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歴史に「もし」は存在しないから

“もし明智光秀が本能寺の変を起こさなかったならば、織田信長は天下統一を成し遂げていたのだろうか”

この問いを持ったのは小学生のときで、わたしが歴史への興味を持つきっかけとなった問いであった。織田信長が天下統一をしていたら日本はどのようになっていたのだろうかと想像を膨らませることもあった。
彼はもしかしたら将軍になっていたかもしれないし、宣教師との交流が深かった彼のことだから世界進出も考えたかもしれない。同時代のスペインは「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたほど世界全体に植民地を有しており、当時覇権を握っていた巨大な帝国であった。彼のことだから、スペインの皇帝の真似をしようとするだろうなあ、とさえ思った。
それでも、本能寺の変は起こってしまった。はじめて織田信長の伝記を読んだ小学生のとき、本能寺の変で織田信長が亡くなってしまったという事実を受け止められずに泣いてしまった。

しかし、歴史に「もし」は存在しない。
事実として、織田信長は志半ばで死んでしまったのだ。確かに本能寺の変が起こる前にはさまざまな可能性があった。彼が天下統一をする可能性だってあったけれど、本能寺の変でその可能性は消えた。起こってしまったらもう、「もし」を考える余地はないのだ。

わたしは大学で日本史学を専攻し、嫌というほど、歴史に「もし」は存在しない、ということを突き付けられた。「事実」があるのみ、しかし「解釈」はさまざまであるとも。大学にて古代史の先生がしていた話が興味深く、とても印象に残っている。

「歴史学とは、ひとつの事実に対する解釈と評価の学問である。“保護”と“統制”という言葉は、実は同じ事実を指している。でも、受け取る印象は全然違うとは思わないか。」

奈良時代や平安時代において、中央政府は寺や神社を保護するためによく法令を出している。政府からしたら寺社の「保護」であるが、寺社からしたら政府から「統制」されている、と見ることができる。「保護」と「統制」は、事実は同じでも、受ける側と与える側の見方は全く違う。同じひとつの事実を見ているはずであるのに、視点を変えて物事を見てみると、見える景色ががらりと変わる。

わたしたちの日常もまた「事実」と「解釈」が転がっていると思う。
わたしたちの人生は選択の連続だ。選ぶことも、あるいは選ばないということも、わたしたちに委ねられている。

今日どんな服を着るか。何を食べるか。どこに住むか。どんな仕事をするか。誰と過ごすか。どんなふうに生きたいか。どんなふうに在りたいか。
意識的に、あるいは無意識的に選択を続けていて、あらゆることが日々起こる。

「もしあの言葉を言わなかったら」「もしあのとき気づいていれば」「もしあの人を助けられていたら」「もしあの選択をしていれば」と、「もし」を考え出したらきりがない。それでもなお、過去にあった分岐点を、ふと思ってしまうときもある。もしあのときこうしていれば、と。違う道を選択していたらどうなっていただろうか、と。

しかし、もう起こってしまった「事実」は変わらない。過去における「もし」を考えても、もう過ぎ去ったあとなのだ。だけれど、「解釈」は変えられるのではないかと思う。

“人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか? ”
平野啓一郎『マチネの終わりに』


小説『マチネの終わりに』の中で、一番好きなセリフだ。過去は繊細であり、振り返るその時々によって、過去の解釈は簡単に変わってしまう。

わたしにとってアイデンティティの揺らぎが激しかった大学時代も、生きづらさや葛藤を抱えていた教員時代も、その時の瞬間は苦しかったけれど、あのときがあったからこそ、いまの自分が形成されている。だから、あって良かった時間だったと、いまになってあのときの自分を肯定してあげられる。
心の内に散りばめられてきた記憶の断片は、時間を経て、意味を成すときが来るのだと思う。

事象としての過去の「事実」は変わらなくとも、「解釈」は自分に委ねられている。

あとから振り返ったときに、正解だったと思えるように、選んだ道を自分自身で正解にしていきたいなと心から思う。

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