私が結婚したくない理由
はじめに
筆者は婚姻制度や法律、ジェンダーについてまだまだ勉強不足であり、本文でも至らないことが多いかもしれません。その点はどうか、ご容赦願います。
今回、この記事を書こうと思い立った理由は、まず自分自身の現時点での考えを明確にしておきたいと思ったことが1つです。私は、4年前くらいから漠然と「結婚したくない」と考えるようになっていました。ただ、なぜ結婚したくないのかと、本気で理由を考えるようになったのは最近です。
眠れない夜やお風呂に入ったとき。何度も自問自答した気持ちを一度まとめておくことで、頭の中を整理できればと思いました。
「結婚=幸せ」という当たり前の中で生きていると、自分の気持ちすらもよく分からなくなることが多々あります。そんな時に、読み返して気持ちを再度確認できる文章があると、とても心強いはずです。
もう1つの理由は、「結婚をしたくない」と考える人もいることを、可視化できるようにしたかったからです。女性差別が徐々に是正されつつある昨今では、「結婚して子供を産むのが女性の幸せ」という認識は薄れつつあります。それでも、こうした女性蔑視的な考え方を、未だに内面化している人は少なくありません。そういった現状の中で、マイノリティ的な立場にある私が声をあげてみることに意味があると考えました。
もちろん、私のような一個人が文章をアップしたところで、大した影響力がないこともわかっています。それでも、私と同じようなことで悩んでいる人に届いて、「ひとりじゃないんだ」と思ってもらえたら幸いです。
日本における「結婚」という制度に不満がある
私は、「結婚」はしたくないのだと先ほど述べました。しかし、「結婚」ではなく、「大切なパートナーと一生を共にする約束」だったら、全然したいと思っています。
読んでくれている方は、「何がちがうの?」と疑問に思ったかもしれません。「大切なパートナーと一生を共にする約束」は結婚というより、婚約に近いです。籍を入れるわけではない。互いに合意の上で、「ずっと一緒にいようね」と約束をし、それを果たす努力をすることを指します。
私も、1人で生きていくのはちょっと寂しいですから、一緒に誰かと生きていきたいです。それこそ、「愛する人」とずっとふたりで生活できたらどんなに楽しいだろうと考えます。そして、パートナーと生活していくために役に立つ制度はどんどん利用したいです。
でも、「結婚」という制度は、できれば利用したくない。なぜなら、私は「結婚」という制度に不満や不信感を抱いているからです。
以下では、制度のどの点に私が不満や不信感を抱いているのかを説明します。
① 同性婚ができない
日本はいまだに、同性同士のカップルの結婚ができません。2015年以降、各県や市などでは、同性カップルの為の「パートナーシップ制度」を取り入れる自治体が増えてきてはいます。しかし、「パートナーシップ制度」では同性カップルが共に生きていくためには不十分なのです。相続ができない、一緒に暮らしていても税金を免除してもらえない、パートナーの命にかかわるときに面会すらできない……。
異性カップルと同じようにパートナーと結婚をして生涯を共にしたくても、「同性同士」というだけで結婚をすることすらできないのです。
愛する人と一緒にいるために、「結婚したい」と切望する同性カップルに対し、大して結婚願望もない人間でもたまたま「異性愛者」だっただけでヌルッと結婚することができます。
また、同性婚に反対する声の中には、同性婚を許すことで制度が悪用されるのではないかという誤った懸念がいくつか見られます。今の社会で同性愛者のふりをして悪用したところで周りの注目を集めるだけのような気がしますが、悪用されると「思いたい」人は残念ながら一定数いるようです。
一方、異性愛者同士であれば、それこそ婚姻制度の悪用と言われてもおかしくないような「契約結婚」であっても、世間に「そういう事情もあるよね」と受け入れられている雰囲気があります。それこそ、何年か前に大ヒットしたドラマの題材にされるくらいには。
これらの出来事にみられる非対称性こそが、婚姻制度の孕む同性愛者差別の証拠ではないでしょうか。
同性愛者に対する差別は根強く社会に残り続けています。国が同性婚を認めることは、現状を変える大きな一歩になるはずです。
それにもかかわらず、制度の差別性を改善しようとしない態度には不満を持たざるを得ません。
私は、偶然、異性愛者であったがために、結婚する・しないという選択肢を選ぶことができます。しかし世の中には、偶然同性愛者であったがために、選択肢すら手に入れられない人々がたくさんいるのです。私がこうして、結婚をする・しないで悩めることは異性愛者の特権なのだと、いつも忘れないようにしています。
② 選択的夫婦別姓をはじめとした女性差別の色濃く残る仕組み
次に、女性差別の観点から私が婚姻制度に対して感じる不満や不信感について説明します。
日本では、同性婚だけではなく、選択的夫婦別姓も未だに認められていません。
民法750条の改正案として選択的夫婦別姓制度の導入が検討されていましたが、2015年12月に合憲判決がくだされてしまいました。その後も、度々訴訟が起こされているにもかかわらず、2022年4月現在も実現がなされていない状況です。
日本では、結婚の際には女性が男性の名字に合わせる、というのが一般的です。その為、名字を変えることによる不利益は女性が被る場合がほとんどです。
この場合の不利益というのは、煩雑な手続きだけではなく、自身の「姓」というアイデンティティの喪失や職務上の弊害など様々。
男性は基本的に名字を変えることがないため、女性よりも優遇された立場にいるといえるでしょう。
このような非対称性から、選択的夫婦別姓を認めない「結婚」という制度には、女性差別的な側面があることがわかります。
さらに、女性が男性の名字に合わせるという行為は、女性が「ある特定の男性の所有物になったのだ」というメッセージを周りの人間に発信しているのだと私は考えています。
このことがよくわかる言葉が結婚した男性を指す、「ご主人」です。「ご主人」という言葉は、基本的に従属関係にある場合に使われます。そして、「ご主人」と対になる言葉は「使用人」や「召使い」です。この法則で行くと、結婚した女性は男性の「モノ」である「使用人」や「召使い」になってしまいます。実際に妻のことを「使用人」や「召使い」だと本気で考えている男性は少ないはずです。しかし、「人妻」などの言葉からも分かるように、結婚した女性を「男性の所有物」とする見方は、確実にあるのだと思います。
このように、特に婚姻にまつわる多くの場面において、女性が「男性の所有物」のように扱われることに私は嫌悪感を覚えます。
よく、「娘さんを僕にください!」というセリフをドラマや漫画で聞いたことがありますよね。婚約したカップルが女性の実家に赴き、彼女の両親に結婚の許しを貰うシーンでよく使われるセリフです。このセリフに、女性のお父さんが「お前なんかに娘はやるか!」って怒鳴り返すまでがセットで。
私はあのセリフ、嫌いなんです。女性を「モノ化」し、所有物として支配しようとする家父長制の欲望がそのまま表れているように感じるから。「『ください』ってなんだよ」って思っちゃうんです。「ください」って普通、モノにたいして使う言葉です。あなたの愛する女性は、人間ではなくモノなのでしょうか?違いますよね。ちょっとした言葉の使い方かもしれませんが、だからこそ使う人の内面する女性差別が滲み出ている言葉だと思います。
「お前なんかに娘をやるか!」というセリフもそうです。女性はいつ、父親の所有物になったんでしょうか?女性は、生まれた時から誰のものでもありません。女性の身体の所有権は、女性本人だけのものです。その前提を蔑ろにし、男性たちが女性の所有権を他人に求めたり、譲ったりすることは女性への侮辱であると、私は考えます。
名字を男性に合わせることも、男性の戸籍に入ることも女性を「モノ化」しているという点で、同じだと思います。長年自分のアイデンティティを形成していた名字を捨て、男性の名字に合わせることは、その女性が「相手の男性の所有物」であることの目印として機能します。そしてそこには、女性の意思は含まれません。
ただ結婚に伴い二人の名字を同じにするだけなら、不便ではありますが、そこまで抵抗感はなかったと思います。一般的に「女性だけ」が名字を変えることを強要されている仕組みに、差別構造やグロテスクさを見出すのです。
このように、同性愛者への差別や、女性差別の構造を保持し続ける婚姻制度を、私は「結婚」という自分の人生の重要なシーンで利用することに抵抗を感じます。
結婚と出産・子育ての問題
「結婚」という言葉は結婚後の「出産・子育て」という行為も内包している場合が多々あります。結婚と出産、子育ては地続きであり、セットとして捉えることが当たり前、ということです。
ですから、芸能人の方でも結婚発表後に公の場に出れば、「お子さんのご予定は?」という下世話な質問をされることが多いわけです。結婚後何年も子供を持たない夫婦であれば、「子供はまだなのかな?」とか、「夫婦仲がよくないのかな?」などと邪推されることもあるでしょう。これは一般人である私たちにも言えることです。結婚後に、もしくは結婚する前から、親戚に「孫の顔を見せろ」と催促された経験がある人は多いのではないでしょうか?
私にとって、この「結婚したら子供を産み、育てるのは当たり前」という規範は、面倒なものでしかないんです。だって子供が欲しくないから。百歩譲って結婚したとしても、子供は産みたくないんです。ただ、この考えはなかなか周りの、特に自分より年上の方には理解してもらえないような気がします。
なぜなら、「子供はまだか」と言ってくる彼らの大多数は、結婚して子供を育てて、「当たり前に」幸せだったという経験があるから。もちろん、自分が上手くいかなかった分、子供には「当たり前」の幸せを手に入れてほしいと思っている人もいると思います。
とにかく、子供を持ちたくないと考える私にとって、結婚後の「子供はまだか」コールは考えるだけでも憂鬱です。
そして、カップルにとってかなりセンシティブな問題である、子供の有無について軽い気持ちで催促したり、圧をかけるような行為はいい加減やめてほしいです。子供がほしいけどできない、まだ二人で話し合っている、産まないと決めた、などカップルで事情はさまざま。それに軽い気持ちで「お節介」をすることがどんなに本人たちを傷つけるのか、少し立ち止まって考えてみるべきではないでしょうか?これは、独身の女性・男性に対して結婚の催促をするときにも注意してほしいです。「あなたのことを思っているから」「心配しているから」何を言ってもいいわけではないのです。
「結婚=幸せ」への疑問
私たちの生きる社会には、結婚と幸せはイコールであるという強い規範が存在しています。ブライダル会社や婚活事業、結婚情報誌など、社会には結婚にまつわるさまざまな企業の広告で溢れています。そしてそれらの広告はだいたい、「幸せ」にまつわるメッセージを発信しています。
だからでしょうか。私の周りの大人たちは、口を開けば「結婚はいいよ」や「いい人を見つけて幸せになるんだよ」といったことを口にします。きっと、結婚をして子供を産み育てることが私の幸せにつながるのだと、私のことを思って、言ってくれているのだと思います。同世代の友達でも、「早く結婚したい」と頻繁に口にする子が一定数います。多分、結婚することで幸せになれると信じているのだと思います。でも、本当にそうなんですか?結婚と幸せは本当にイコールでつながっているんですか?
私は決して、そんなことはないと思っています。
そして、社会にあふれる「結婚=幸せ」というメッセージを盲目的に信じ込むことに危険性を感じています。
少女漫画でも、結婚をゴールとしてハッピーエンドを描く物語が多いですよね。このような表現は、その先に「幸せな未来が約束されている」という強いメッセージ性を孕んでいます。このメッセージを信じ込みすぎてしまうと、それ以外の幸せや選択肢を見えなくなってしまいます。
なぜなら、「結婚=幸せ」というメッセージは、裏返せば「結婚しない=不幸せ」という強烈なメッセージに変化するからです。
特に、女性に対しては「結婚をして子供を産むのが女の幸せ」というまた別の強い規範が存在しています。その為、未婚の女性に対して「売れ残り」や「行き遅れ」といったネガティブなレッテルが張られてしまうのです。
しかし、「結婚=幸せ」が絶対ではないように、「結婚しない=不幸せ」ももちろん絶対ではありません。
これらのメッセージを強く信じ込みすぎると、あるはずの選択肢を見失い、強迫観念に駆られてしまいます。「幸せ」を願っていたはずが、自分で自分を生きづらくしてしまうのです。そしてこれは、個人の意識を変えれば良いという問題ではないと思っています。もっと大きな規模で見直していかなければならない問題です。
私自身が「結婚=幸せ」というメッセージに対抗していくためにできることは、結婚せずに楽しく幸せに生きることなのだと考えています。
「結婚」というゴールがなくとも、誰かと生きていける。ひとりでも楽しく充実して暮らしていける。
こうした姿勢を社会に示し続けることが、「結婚=幸せ」というメッセージを壊すことにつながっていくのだと考えています。誰かに、「こいつは結婚しなくても楽しそうだし、私も結婚しなくても何とかなるかも?」って思わせられることができたら最高だと思います。
まとめ
私は、社会に浸透する「結婚=幸せ」という規範、結婚にまつわる女性差別・同性愛差別に対抗する手段として、「結婚をしない」という選択を取りたいと考えています。結婚という1つのゴールを設定しなくとも、子供を作らなくとも、パートナーと幸せに生きていけるのだということを社会に証明したいからです。理想論に過ぎないかもしれませんが、今現在の私の気持ちはこんな感じです。
その為、これから私のパートナーになってくれる方には、「結婚という制度に一緒に中指を立てて生きてほしい」という、ちょっとハードルの高い要求をすることになると思います。パートナーには私と、一緒に「これっておかしくない?」って話し合ってほしいです。ふたりでいろんなことを話し合って、今、私たちに何ができるのか、一緒に考えてほしいんです。わがままかもしれませんが。
話は少し変わりますが、この文章を書いている間、ずっと辛かったです。
「私は本当にこんなことを思っているのかな」「全部自分の我儘を正当化するための詭弁じゃないかな」と、何度も悩みました。こんなに大層な理由を並べなくても、ただ「結婚したくない」と言えれば良いのにと。
今の社会では、どうしても結婚しないことに理由を求められます。結婚することには、何の疑問も持たれないのに。
こんな社会じゃ生きづらいです。
どうか、さっさと同性婚も選択的夫婦別姓もできるようになって、本当の意味で結婚をする・しない自由が「当たり前」にそこにある社会になってほしいと祈っています。
[参考文献一覧]
・三成美保・ 笹沼朋子・ 立石直子・ 谷田川知恵(2019)「ジェンダー法学入門(第3版)」法律文化社
・MARRIAGE FOR ALL JAPAN 結婚の自由をすべての人に「どうして同性婚」https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/ (2022年4月9日現在)