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まいにち

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つまらぬものですが(つまらなくはない)
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#note

音楽が、夏と甘酸っぱさをつれてきた_20190702

中学生のわたしは、吹奏楽部でアルトサックスを吹く女の子だった。 母親が高校生のときに吹いていたという銀色の、めずらしくてとくべつな彫刻が入ったそのサックスは本当にうつくしくて、いつでもわたしの自慢だった。そんな銀色の相棒と、青春のほとんどを音楽で満たしたことを思い出す。  ひさしぶりに、吹奏楽で演奏した曲のひとつを聴いた。 〈この曲〉を聴くとどうしたって、心が、「わああ」となってしまう。心臓がキュッとしめつけられて、ここちよい苦しさで、大人になったはずのわたしが呆気なく

ようふくをすてる_20190701

雨が降り続いていて天気もパッとしない。毎朝、じめじめで前髪はダメになり、肌にまとわりつく湿気をうっとおしいとおもう。 梅雨、鬱々しいから部屋を片付けた。こうでもしないと家に帰るのが億劫になり、無駄金はたいてどこかで夜が深まるのを待つ女になってしまう。 とりあえず先週、とっ散らかった洋服をぜんぶぜんぶ、大きな透明のビニール袋に詰めてみた。 洋服、なんだか知らんがめちゃめちゃある。いまある服を把握していないのがいけない。つぎつぎ買っては大して着ることなく捨てる。それの繰り返

カレンダーをめくるたび_20190630

6月のカレンダーを千切って、捨てた。 冷蔵庫に貼ってあるのは、同居人との共有カレンダー。我が家にカレンダーはこれしかない。 わたしの同居人は去年、わたしは実家を出てこの2Kアパートに越してきた。実家の猫を連れてくるために猫可アパートである必要があり、思いがけず広めの部屋になってしまった。一ヶ月ほど住んでみたがひとりでは持て余してしまい、SNSで「誰か住まないか」と募集した。 そこでやってきたのが、今の同居人。形式上、実は「中学校の後輩」に当たる。 共通の知り合いから連

たぶんおなじ曲を聴いている_20190629

グラスの、細いふちに立っている。 すこし青みのあるガラスでできた、きれいなグラスだ。そこにはなみなみと白の濃い牛乳が注がれていて、わたしはそれを横目に見ながら慎重に足を踏み出す。水面にわずかな波紋が生じる。牛乳の、水とはちがう質感に戸惑った。 このまま、じょうずに歩くことができるのならば。でもわたしは、ほんのひとつまみの不安や弱さで、ぐらぐらとバランスを崩す未熟な人間だ。憎くて憎くて、たまらない。 バランスを崩し落ちて仕舞えばきっと、濃ゆい液体のなかでは目も開けられない

できれば冬は来ないでほしい_20190625

気がつけば実家を出てから一年が経っていて、なんとなく1年間の写真を見返した。 冬って、最悪。最悪な写真ばかりが目立つ。学校行かず、生活をつづけていくためにバイトだけして、安い酒飲んで、昼過ぎや、ひどいときは夕方に起きる生活をしていた気がする。酒を飲んでも大丈夫だった。でも、なにをやっていたかあまりよく覚えていない。 21年間生きてきて、冬はやっぱりダメなのかもしれないという実感がある。春や夏はやっぱり楽しくて、なんでもできるような気がしてしまうのに。 実際、いまとても調

お金のつかいかたを考える_20190531

お金のつかいかたを考える。 わたしはフリーターなので自由につかえるおかねがたくさんあるわけではない。自分で稼いだおかねを、家賃と、光熱費と、食費に充てる。それで残ったものが、わたしの自由に使えるおかね。わずかになるほどそのおかねの価値は高くなるもので、欲しいなと思った洋服やアクセサリーを買おうか買うまいか、頭がおかしくなるほど悩む。どちらのほうが似合うか、どちらのほうがウキウキするか。わたしは悩むのがわりと好きだ。 学生の頃、それはよくバイトをしていた。飲食店でのバイトを

きれいであることを求めすぎている_20190529

他人に自分の理想や観念をおしつけて、勝手に、きれいであってほしい若しくはきれいでいないといけないなんて、求めすぎてはいないだろうか。もちろんきれいな人生を送るに越したことはないかもしれないけれど、人間そんなうまくはいかない。それに、かつて並べた言葉たちはどれも、きれいな部分から生まれたものではない。心臓と肺のちょうどすきま、なんだかよくわかんないところがふつふつとする感覚がいつだって必要だった気がする。拭えないような濁りの、泥臭い部分が、わたしは人間らしくていいなと思う。もし

好きなことにめいっぱい_20190526

今日もとても暑かった。 京都を発ち、バスのなか。 大切なものや守らなくてはいけないものがあればあるほど、じぶんの気持ちを抑えなくてはいけないことが、大人には山ほどあるのだと思う。大人だから。もう子供じゃないから。でもわたしはもう、じぶんの気持ちを抑えないことがどうしたってなによりも大切で、これからもずっと、自分を守らなくてはいられないんだなと感じる。それ以上に愛せるものや、おちつくと思えることがない。自分がいちばん大事でほんとうにごめんなさい。これは子供っぽい?大人になるた

肌に合う生活_20190522

京都での生活 朝、シャワーを浴びて、髪をかんたんに乾かす。ようやく結べるようになったショートボブをくしゃっとまとめるだけでいい。まとまりきらずにおちてきてしまう横髪は気にしなくたっていい。 気にしない、というのは決して、ないがしろにするという意味だけではない。ここでは、着飾らなくてもいい、という意味だ。うまいぐあいに着飾って、つよくおおきくきらびやかにみせずとも、そのままのわたしを受け止めてくれるようなやさしい感覚がここにはある。 東京で暮らすわたしはいつも、ぱんぱ

自分のなかの、性質の話_20190521

恋愛が苦手。 ずっとそうかと言われれば、ずっとではないけれど、「恋愛」が「恋愛」として成立するようになった歳のころからわたしはとことん恋愛下手だ。 なんといえば伝わるだろう、 相手から向けられる恋愛感情が苦手。 友人知人に好かれるのは、もちろんとても喜ばしい。けれども、友好的な好意だと思っていたような相手に、ふと、恋愛感情を向けられたりなんかすると、唐突に相手に対する生理的な拒否をしてしまう。拒否がはじまれば、どうにもこうにもコントロールは効かない。 これがわたし。

愛しいもの_20190520

少しのあいだ東京を離れ、京都で過ごす4日目が終わる。 東京にいれば、会いたい人はわりとすぐ近くにいるもので、指先ひとつでその日に顔を合わせることが不可能でなく、会ったとて大抵他愛もない話しかしないくせにわたしたち人間といういきものはいつも会いたがっているような気がする。 愛しさがあまりにも手近であたりまえになってしまったわたしたちだ。時に人間は、暴力的に愛しさを求めている。 そういったことが簡単にできないように、という意味もある。さまざまな意味があって、わたしはいま京都

僭越ながら、自己紹介と今日の日記_20190519

このアカウントをつくる前に、Tumblrの記事を移行するために別のアカウントを作っていたのだけれど、そちらもまた使い始めることにした。 使い分けとしては、 ● 青い朝 → エッセイや詩などの文学的なところをたのしむ ● こいずみきょん → 仕事としての文章など現実的なところ ライターのバイトをしながら文章の基礎を学びはじめたことでアウトプットするところを増やしたかったため。まとめてしまおうかとも思ったけれど、全くニーズの異なる双方をまとめてコンセプトがブレるのはちょっとな

20歳を終えるこの夜に_20190517

(もう日付け変わってしまっているけれど、寝て起きるまでくらい許しておくれ) 20歳を終えるこの夜に 去年の文章を引っ張り出す。 これは去年書いた文章。 もしお時間あれば読んでいただきたいけれど、 ちぐはぐでだいぶ拙いし、あちらこちらむずがゆくなる。 でもせっかくだから、19歳の終わりに書いた文章を突っついてみよう。 世は華金、こんな夜更けに、酔い冷ましの代わりにでもお付き合い願いたい。 ▼ 自分の気持ちとか、熱量とか、他人の目に見えないものを、 言葉というツールで

京都は心の故郷なので_20190516

唐突に、今年も京都へいってきます。 もう夜行バスに揺られてる。 本名、「京花」と書いて「きよか」と読む。最近になってとてもきにいっている。「京都に咲く花のように、優雅で凛とした女性になれ」なんて、名付けた父が思っていたかどうかなんて知らないけど、とってもきれいななまえでわたしはいつもうれしい。 単純な人間なので、単純に、京都にはなんとなくゆかりがあってほしいなあなんて思っている。 でも京都には確実に、わたしの好きなくうきがある。だからやっぱり毎年、こうして向かってしまう