見出し画像

英語はグローバルコミュニケーションツールではない

アイルランドに語学留学をした時のことです。日本の英語教育はコミュニケーションを目的としたものではないということに気がつきました。

中学、高校と義務教育を受けるに連れこの英語教育では英語を話せるようにはならないと薄々感じてはいたけれど、やはりそうだと実感しました。現行の義務教育でも依然として入試のための英語や英検、TOEIC、TOEFLなどで正確な文法、スペル、英単語の暗記、読解力等を点数方式で測っているだけで、自分の意見を話したり、相手の意見を聞いたりするための英語教育にはなっていません

この教育方法は日本人の特徴である正確性や完璧を求める訓練や鍛錬以外の何ものでもありません。同じくアイルランドに留学に来ていたヨーロッパ人は辞書をほとんど使わず、文法や発音の正確性なども気にせずにどんどんコミュニケーションをとっていきます。

一方、日本人は文法の正しさや正確な発音、相手の言っていることを正しく聞き取ることに注意を向けるので、即興で進んでいく英会話になかなか参加できませんし、楽しめません。ヨーロッパ人は文法やスペルの間違いを気にせず会話をすることに注意をはらいます。「私はこう思っている。あなたはどう思っているの?」と。

同じアジア人である韓国人、中国人でさえも日本人と比べると積極的にコミュニケーションをとります。正確性や完璧を求め、間違えを恥じだと捉える文化がコミュニケーションツールとしての英語の機能を失わせてしまっているのだと感じました。

英語だけ話せるようになったとしても英語がグローバルなコミュニケーションツールになるとは限りません。グローバルなコミュニケーションツールとして機能するものは、好きなことに集中できるものを持っているかだと思います。

英語は趣味のようなものであってよいでしょう。何か好きなことに打ち込んでいく中で、英語に興味や意欲を持てばそこで学べばいいですし、学び方も人それぞれでいいはずです。もし興味を持てないのであれば学ぶ必要はありません。嫌いな英語を我慢して学ぶよりも、好きなことにとことん集中して打ち込んだ方がよほどグローバルなコミュニケーションツールとして役立つものになるでしょう。

インターネットの普及で国境がなくなってきている今、英語はもちろんのこと、ほとんどの外国語はAIが翻訳してくれるようになる可能性があります。英語が苦手なら誰かに頼ればいいのです。むしろ誰かに頼り、そこから得た情報を自分のものにできる能力の方が大事になるのではないでしょうか。

英語を学ぶというよりも自分の興味や関心を深く掘り下げ発信していくことで、グローバルな規模でそこに人が集まりコミュニケーションが生まれるのだと考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?