コミュニケーションはそもそもすれ違うもの
動画配信でこの言葉を聞いたときに、その通りだよなぁ~ってしみじみした。
人はそれぞれ見ている世界(意識でどう見えているか)が違うと思う。
例えば、Aさんから見たBさんは、しっかりもので物事をそつなくこなす人。
Bさんは自分のことを特徴がなく、凡人で個性がないなぁと思っている。
ここでAさんからみたBさんと、BさんからみたBさんは違ってくる。
そうやって一人一人、自分の意識で世界を見ているので、それぞれが見ている世界は違う。
そうした人同士が、話をするわけで、そもそもコミュニケーションはずれ、摩擦が生じるものと考えていいと私も思う。
最初からそう思えば、正直相手に腹が立ったり、なんでそういうこと言うの~?と傷つくこともなくなるかもしれない。
また別の見方をすると、コミュニケーションはすれ違いを確認するためのものだとしたら、相手とのずれや摩擦を知る=違いを楽しむものと考えることもできると思う。
そう考えたら、人と話すのもちょっと楽になるかもと、昔の私に言ってあげたい。
違っていて大丈夫。
1年ぶりにnote復活、気まぐれで書いたり書かなかったりと自由人です。
よろしくお願いします。
マイノリティのたわごと。
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