青い夕焼け

青く燃える夕方の空のような。

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最近の記事

自分の能力に雇用されたい

サラリーマンになってしまった。 私は内心こう思っている。 いい会社に入ったと思う環境は悪くない。でもそこら辺の会社に入るよりマシだなといった感じだ。これは会社に属するという状態自体が私の気持ち的に最良の選択では無いからだ。みんなが知っているような大企業に入ってたとしても、これは変わらない。 ただ私は自分の力だけでお金を稼ぐ術を持ち合わせていない。だから会社に入って、その力で稼ぐしかなかった。私の能力を見たら最良の選択である。 この気持ちと能力の乖離と向き合いながらサラリ

    • 生きる理由が死なせてくれない

      よく「〇〇最高!生きる理由!」的な発言を目にする。 めちゃくちゃ分かる。私もいくつか生きる理由を持ち合わせている。 しかし、私は思う。 私たちが『生きる理由』としているものは本当に言葉通り生きる理由なのか。死ねない理由とした方が正しいのではないかと。 あれを見るまでは、あれを聞くまでは、あそこに行くまでは、の次にくる言葉として「生きなきゃ」よりも「死ねない」の方がしっくりくる。 私自身「あれが無ければ死ねるんじゃないか」と思ったことは一度や二度ではない。 死にたくな

      • 憧れは反復である

        憧れることは”できる”人と”できない”自分の反復である 昔、好きな作家がこのような話をしていた気がする。気がすると言っているのは、ふんわりと覚えているからで一言一句覚えている訳ではないからだ。これを聞いた時、非常に共感したという事は強烈に認識している。 言語化できていない自分の感情が解明されたと思った。ずっと気持ち悪かった。できる人を目の当たりにすると、胸を締め付けるような、マイナスな感情が湧いてきて辛かった。シンプルに『凄い』と思う事が出来なかった。 ただ、問題なのは

        • やりたいこと見つけてね

          難しい。逆に問いたい「あなたは今やっているそれはやりたいことですか」と。 私は今、新卒で入社した会社で研修を受けている身だ。給料を頂いておきながら何も生み出さず教育を享受し教育にためだけの課題を与えられ、それを解決している。現時点では会社には一つも貢献していない。凄く申し訳ない。しかも配属前である。また配属先でも教育が待っている筈だ。結局、一から教育されるなら配属前の教育は最低限で良いのではと思ったが口に出してはいない。 「研修中にやりたいこと見つけてね」そう言われた。諸

        自分の能力に雇用されたい

          非現実的現実

          私はプロレスが好きだ。ひいてはデスマッチを見る(凶器を使うあれです)。一概にプロレスが好きと言っても色んな層がいる。存在は知ってても見ないなどの理由でデスマッチに一度も触れないプロレスファンもいると思う(ランバージャックとか金網とかではなく凶器を使う前提のルールで闘うものの話だ)。そんな中、私はデスマッチと出会ってしまった。 プロレスが好きになったきっかけこれは私の別の趣味であるラジオから来ている。ある日、番組を聞いているとパーソナリティをやっている芸人がプロレスが好きだと

          非現実的現実

          おかしい、主人公になれない

          自分の人生の主人公は私自身である。 こんなこと言ってるやつの目の前で言ってやりたい。「おかしいですね」と。 私の人生にはハイライトが無いこれは本当に良くないと分かっているが不幸な体験をしてる人(大怪我や事故などを体験した方)を見ると平凡な私の人生なんかより、よっぽど良いじゃないかと感じてしまう。苦労や痛みを味わうことはなく、「人生に起伏があって良いですね」と。私の人生はそのくらいに特筆することがない。一応、自分の責任になる形で人生の岐路ごとに選択してるはずだが、選択と結果

          おかしい、主人公になれない

          才能があるという事について

          普段生活していると「あの人は才能があって良いよな」という旨の事を思う人は多いと思う。こんな文章を書いているので私も当然このような事を思っている。しかし私は自分に才能が無いとは思っていない。これは自慢とかそういう類のものではない。問題は才能があるかどうかではない。 才能を発揮できているのか これに尽きる。誰にだって何らかの才能はある。そうであって欲しい。でなきゃ救われない。少なからず私はそう思っている。 才能を生かしている人と自分との大きな違いは自分の才能を発揮できる“そ

          才能があるという事について

          インタビューされたい

          もっと自分のことを話したい。そう思う事がある。 1対1で会話してる時、基本的に私は相手に質問する事で話を展開させるタイプだ。特に趣味が合わない相手と話すときはインタビュアー役に徹する。幸い、私は人が好きな事について話しているのを聞く事に興味がある。それなら別に良いじゃないと思う方も多いと思う。でもそれとこれとは話が違う。私だってインタビューされたい。 この感情が湧く相手は、ある程度仲が良い人で、初対面の人や親交が深くない人においてはその限りではないことだけ触れておく。

          インタビューされたい

          自分を幸せだと思いますか

          タイトルの通りなのだが、皆さんはどうだろうか。 まず幸せをどう評価するかというのが難しい。加点方式なのか原点方式なのか。自分という器を満たす流体のように考えるのか、固体のように数で考えるのか、それ以外の考え方もあるかもしれない(私は思いつかなかった)。絶対的に評価するか相対的に評価するかというのも大きく影響すると思う。 本題だが私は自分を幸せだと思っていない。これは私が幸せを相対的に評価する人間だからだと思う。 前述したことを覆すようで申し訳ないが、もし全人類の幸福度を

          自分を幸せだと思いますか

          元気があるという事について

          私は良く「元気ないね」とか「顔死んでるよ」とか言われる。変化球で「年齢と顔が合ってないよ(老けて見えるよの意)」と言われたこともある。自分で言うのも何だが老け顔ではない。これ言ってきたバイト先の人に街頭インタビューした結果を見せつけてやりたい。 今春、一員となった会社内も例外ではない。 研修の面倒を見てくれる方が僕の同期に「彼はいつも元気ないね」と言ってるらしい。直接言ってこないという事は、よっぽど深刻に見えてるのかと一瞬だけ思った。(同期の君、それを俺に報告する必要ある

          元気があるという事について

          はじめの一歩

          はじめの一歩として自己紹介をしてみようと思う。 noteで文章を投稿してみたいと思ったのだが最初に書くべきことは自分の事な気がしたからだ。 noteで文章を投稿してみようと思った理由として挙げられるものは2点ある。 ・単純に文章を書くことに興味があった ・noteに投稿された文章を読むのが好きだから私もその一部になってみたかった 基本情報として神奈川県の上の方出身。 大学は理系だった。 今年、新卒で中小企業に就職して社会に放り投げられました。 性格については別

          はじめの一歩