生きる理由が死なせてくれない

よく「〇〇最高!生きる理由!」的な発言を目にする。
めちゃくちゃ分かる。私もいくつか生きる理由を持ち合わせている。


しかし、私は思う。

私たちが『生きる理由』としているものは本当に言葉通り生きる理由なのか。死ねない理由とした方が正しいのではないかと。

あれを見るまでは、あれを聞くまでは、あそこに行くまでは、の次にくる言葉として「生きなきゃ」よりも「死ねない」の方がしっくりくる。

私自身「あれが無ければ死ねるんじゃないか」と思ったことは一度や二度ではない。

死にたくなるような現実を忘れさせてくれることに到達するために生活を続ける。あの山まで頑張ろう方式でループを組みあげて、それを繰り返し続ける。身を削りお金を生み出して捧げる。決して多くはない自由にできる時間を捧げる。

俯瞰で見ると、やっぱり死なせてくれないの方が正しく見える。『生きる理由』の奴隷に見える。現実を忘れるために現実を生きるという矛盾を行っている。最早、呪いなのではないか。


かく言う私を今日も『生きる理由』が死なせてくれない。



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