見出し画像

【短編】あなたの愛は公平だが平等ではない

あなたの愛は公平だが平等ではない

若津仰音・作



娘にそんなことを言われる日がくるとは思わなかった。
「そもそも貴女は、愛ではなく、愛情しか使ったことがないじゃない」


大手電機メーカーの営業本部でマネージャを勤めながら、娘と息子を育て上げた。夫はゼネコン系の会社でディレクタを勤めている。俗に言う中流階級の生活レベルで、それなりに裕福な環境で子供たちを育ててきたつもりだ。

娘は製薬会社でMRをしている。二年前に同じ部署の同僚と結婚した。今は出産を控えているため産休を取得して家に戻ってきている。三歳下の息子は、半年前に彼女と入籍し先月結婚式を挙げたばかりで、傍から見れば幸せそのものの家族の構図が出来上がっていることだろう。

息子も娘の影響で医療関係に興味を持っていたが、生憎娘程頭がよくなかったため、薬学部への進学は諦め、看護師になった。息子は娘と違って就職先に恵まれず、転職を二回した。二回目の転職は、結婚相手の父親から結婚を反対されたためにしたようだ。家の近所にある赤十字病院に勤めていたが、去年医療機器メーカーに転職した。


久しぶりの娘との生活を、最初は新鮮な気持ちで過ごしていたが、正反対の性格が災いしてか、最近ではちょくちょく喧嘩をするようになった。夫は娘から今だに嫌われたくなくて気を遣っているのか、彼女のことはお客様扱いだ。

風呂上がりに娘の足の爪を切ってやっている最中、つけっぱなしのテレビでは不景気による非正規社員増加のニュースが流れていた。私は何の気なしに

「あんたはほんとによかったわよね、いい会社に入れて。旦那さんまで同じ会社で」

と娘に向って呟いた。娘は「何それ」と言って私の頭部をちらっと見遣った。

「貴女にとってはそれこそが生きる糧で、それだけが自分を証明し得るものだったんでしょうね」

娘は私のことをいつの頃からか「貴女」と呼ぶようになっていた。

「いつまでテレビつけてるの?一日中テレビつけて、他にやることないの?」

「その口のきき方はなんなの?親に向っていうことじゃないわよ」

「親だから何なのよ。なんで親は子より偉いのよ。なんで貴女はいつもそうなの。昔からそうだった。自分では何も考えてこなかったつけが、定年を迎えた今巡って来てるのよ。私は、貴女の創作物じゃないの。ただのひとりの人間なの。ただ貴女の子宮を通って生れて来たってだけ。いつまでも誤解しないで。生むことはそんなに偉いことじゃないわ」

その日の晩はそれで終わった。

次の日の朝、娘は大きくなったお腹を抱えながらリビングで朝食の準備をしていた。昨日のことを悪かったと思って私より早く起きてきたのか。

「今日、自宅に帰るわ」

味噌汁をお椀に移しながら、娘はいの一番にそう言った。早くに起きて準備をしていたのはどうやら私の思っているような理由からではなかったようだ。

「何言ってるのよ、予定日までもうあと一週間もないのよ」
「覚えてる?私が一人暮らししだしたときのこと」

急に話を変えて何を言い出すのかと思ったが黙っていることにした。

「給料ももらって貯金もあったから、何もかも自分のお金で準備したわ。それが普通だと思ってたから」

「——」

「和樹が入籍して彼女と同棲しはじめるとき、貴女たち、何もかも準備してあげてたよね」

娘は自分の父親のことを「あの人」と言うとか「貴女たち」と言って私とひっくるめて呼ぶ。呼ぶという言い方も違うかもしれない、最近は娘から夫に話しかけている姿を見たことが無い。

「和樹は、男の子だから。結婚相手の娘さんやご両親にも、ちゃんとしてるところをお見せしないと、不安にさせちゃうでしょ。お母さんたちが準備してあげるのは当たり前でしょ。それに、和樹はあんた達より給料も安いんだから貯金もなかっただろうし」

「そういうところよ。貴女のそういうところがムカつくのよ。公平にやってるとでも言いたいんでしょ。貴女のはこれだから、愛情でしかないのよ。貴女は公平に愛情を注ぐ術は知ってるけど、平等に愛を分かちあうって
ことを知らないのよ。そもそもちゃんとするって何なのよ、どうなったらちゃんとしてないことになるのよ」

「お母さんに何が言いたいの。あんた、お金お金って、お金しかないの?」

「こっちのセリフよ。お金や地位で人を比べて贔屓してるのは貴女のほうじゃない。私たちには全てがあって、和樹たちにはそれがないから、結婚式の費用も全部出すの?なんでもかんでもお金なのは貴女たちのほうじゃない。あと、そろそろ自分の事お母さんて呼ぶのやめたら?」

私のやってきたことは間違っていたのだろうか。
一体私の何がそんなに気にくわないのか。

「男親だから、結婚式だって、それなりに豪華にしてやらなくっちゃ向こうのご親族にも面目立たないでしょ」

「結局自分達をよく見せたいだけじゃない。そんなの愛情ですらないじゃない。私の旦那には母親がいないから、見栄の張り場がないとでも言いたいの?だから一銭も出してくれなかったの?このご時世に、まだ貴女たちは男親が出すのが常識とでも思ってるの?それともまた、私達にはお金が有って和樹たちにはないからとでも言いたいの。私があんなにも結婚式なんてしたくないって言ったのに、貴女断固として認めてくれなかったよね。普通女の子は花嫁衣裳をきて、豪華な結婚式を挙げて、ちゃんと写真も撮っておくものよとか言って。貴女の愛情は、もうお金でしか測れないのよ。そうさせたのは、貴女でしょ。そうはなりたくないの。私は貴女みたいにはなりたくないの。なりたくないのよ。子供だって生みたくないの。貴女みたいにはなりたくないのよ——」


娘はその日タクシーで自宅へ帰って行った。

娘の旦那さんは産休をとって、娘に付きっ切りでいてくれたらしい。生まれたばかりの女の子の動画が旦那さんのSNSの方から届いた。その後も娘の旦那さんは、誕生日やらクリスマスなんかの行事のあるたびに、ちょくちょく孫の動画を送ってくれた。



二年半が過ぎた頃だった。玄関の方から小さな子供の声が聞こえた。

「ば~しゃ、ば~しゃ」

空耳だろうかと疑いつつ、ドアを開けると、うす紅色のワンピースを着た丸い顔の女の子がぽつりと立っていた。娘の子だった。孫が元来た道を振り返って走り出したから、慌ててドアを大きく開けたら、門の前で、大きなお腹を抱えた娘が、きらきらと笑って立っていた。



【YouTubeでは朗読もやっています (ここクリックすると動画に飛べます)】



--------------------------------------------------------------------------------------

この作品についてetc


私達人間は
物事に「情」を結び付けなければ
愛を感じられない生き物だったりもします。
(言い方を変えれば、人間は物事に
"情"を結び付けて体験することができる
生き物だとも言えます)


「愛情」は「愛」の一部だと思います。
愛の一部が愛情ではあるので
愛情は愛でもあると言えますが
"愛情を知っていれば愛も知っている"
というわけではなさそうです。


地球は宇宙の一部なので
地球は宇宙でもあると言えますが
地球を知っていれば宇宙も知っている
というわけではないのと同じです。


なぞなぞみたいですね(笑)

人は、特に人から発せられる愛情に敏感で
それが自分のものとは違っていると
拒絶反応を示したり
相手の方を正そうと
試みたりする生き物だったりしますが
どっちの愛情表現が正解で
どっちの愛情表現が間違っている
という観方自体
不要なようにも思います。

無論、エゴのことを
愛情だと勘違いして
周囲に発動させている場合は
例外になるのかもしれませんが…

十人十色
みなそれぞれに違っているおかげで
自分の愛情や
周囲に流れる愛を
俯瞰して見ることができ
それをどう変化させたり
分かち合ったりしていこうかと
試行錯誤し続けることが
できるのかもしれません。


公平と平等の違いについても
考えるきっかけになればと思います。



#love_is_to_share


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?