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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第17話 忍sideー 子供



 N大附属病院は意外と働きやすい場所で、俺みたいに資格を持たない奴にもみんな優しく接してくれた。
 特に看護師さん達は動けない患者さんの世話をするのが大変みたいで、俺でもそこそこ役に立っているらしい。
 何ヶ月働けるかな、なんてぼんやりと考えていたものが、気がついたらもう一年が経過していた。俺の後輩に当たる男性の介護助手も一人入ってくれたので、益々話しやすい環境になって万々歳だった。

 丁度その頃、久しぶりに彼女が出来た。4階の整形病棟で働いている3歳年下の澤村舞という黒髪ストレートの二重で綺麗な顔の子だ。
 ただ、麻衣と同じ名前の響きなので、付き合ってもなかなか彼女を下の名前で呼ぶ事が出来ないでいた。

 マイ、なんて世の中に沢山居る名前なんだから全く気にする必要なんて無いのに。本当に情け無い話だ。

 澤村から夜勤明けに海に行きたいと言われ、俺はイクメンをしている弘樹に声をかけた。たまにはあいつの子育てっぷりも見てみたいと思ったのと、名前も呼べないのに2人きりになるのが気まずい気がしたからだ。
 弘樹は何も言わなくても俺の意図を察してくれる出来た親友だ。想定通り車で病院の玄関まで迎えに来てくれた上に双子のチビを連れて来た。

「おうチビ共悪いな、大好きなパパの休日を奪ってよ」

 しかし出迎えてくれる弘樹の笑顔とは正反対に、膝の上で思い切り頬を膨らませて不貞腐れているお姫様が俺を睨みつけてきた。

「しのぶ嫌い! パパが久しぶりに蒼空そらと遊んでくれるはずだったのにぃ〜!」

 蒼空と名乗った女の子は嫁の雪音ちゃんにそっくりな顔立ちで、完全なファザコンだった。もう幼少期から今後が恐ろしい。
 もう一人の双子の男の子大輝だいきはパパである弘樹似なのだが、こいつはほとんど活動している姿をみない。
 今も微動だにせずスヤスヤ寝ているのでこれが双子なのか? と疑いたくなるくらい違う。

「わぁ~、子供さんかわいい〜! 薬剤部の雨宮先生ですよね。いつもうちの先生達がお世話になってまーす」

「いえいえ、整形の先生方は注文が多くていつも苦労しますよ。本当に業務終了受付ギリギリの時間に大量の処方箋出すのやめてください」

「あはは……手術の先生と外来と病棟と別々だから、前日になかなか用意出来ないんでしょうね。すいません、リーダーにも言っておきます」

「っていうのは建前だから全然気にしなくていいよ。いつも部長がぼやいてるだけなんで。俺らはただの下請けだから」

「は〜、やっぱ雨宮先生カッコいいわ。忍も見習って!」

 二人の訳わからない話を聞き流して蒼空の御機嫌取りをしていたのだが、突然沢村に肘で小突かれて俺はえ? え? と2人を見やった。

「丁度蒼空が砂遊びしたがってたから、有明の方まで行っていいかな?」

「そういやよ、弘樹。お前運転テク上達したのか? 昔クランクで……あでっ!」

「しのぶ! パパの悪口ダメ!」

 すかさず蒼空が俺の後頭部を全力でぶっ叩いてきた。子供は加減してくれないので結構痛い。

「いってぇなあ……お前んとこのお姫様はどういう教育受けてんだよ」

「教育に関しては雪に言ってくれ。俺は休みの日に子供達とドライブに行くだけだからさ」

「ママは、まいたんとデートだよ?」

「まいちゃん?」

 澤村の膝の上が一番落ち着いたのか、蒼空はちゃっかりそこを陣取っていた。まだぐっすり寝ている大輝は助手席のチャイルドシートから動く様子は無い。
 マイ、という名前に反応した澤村が蒼空に自分の事か指を指して尋ねていた。

「んーん、まいたんはまいたん。ママとデート」

「蒼空、それじゃあ誰にも分からないよ。麻衣ちゃんは田畑の妹さんで、嫁の親友なんだ」

「まいたん、いつも蒼空に新しいお人形くれるの!」

 嬉しそうに麻衣から貰った猫のぬいぐるみを見せてくれた。よく見ると車の中に色々な動物のぬいぐるみが転がっている。
 そういえば麻衣は昔っからぬいぐるみを愛でるのが好きだった。「にいたん」って言いながら眠れないとぐずぐず泣いて、でかい熊のぬいぐるみを抱っこしたまま俺の布団に入ってきた時期は本当に可愛かったのに、どこを間違えてああなったのだろう。

「……完全に餌付けされてんじゃねえか。大丈夫なのか? 弘樹」

「うるさいしのぶ! まいたん大好き」

「俺と麻衣との差が激しすぎじゃねえかよ……」

「へえ〜、ねえねえソラちゃん。私もマイって名前なの。私の事もまいたんって呼んでくれる?」

 澤村が期待を込めて蒼空にアタックしていた。相手は子供だから女には甘い。そう考えていたのだろう。
 しかし、蒼空は困ったように運転に集中しているパパにすがるような視線を向けていた。
 それでも、運転モードの弘樹に話しかけるのは大変危険だと幼心ながらに理解しているのだろう。  
 蒼空は大好きなパパからの助け舟が無い事を悟り、首を振った。

「ダメ」

「あはは。やっぱり初対面だと無理かー」

 澤村は気にした様子を見せなかったが、俺は何と無く知っている。弘樹の子供はあいつの遺伝子を継いでいるので年齢の割にかなり頭がいい。
 多分、蒼空にまいたんと呼ばせているのは子供が舌ったらずな理由ではない。

 例え子供であっても、あいつは自分の事を麻衣と呼ばせないのか。

「まいたんは、まいたん……」

「分かった、分かった。まいたんはまいたんな」

 俺は窓の外を見ながら困ったように呟く蒼空の言葉を復唱しただけなのに、思い切りまた後頭部を叩かれた。

「しのぶ、うるさい!」

「おい! すぐ暴力に出るのは良く無いんだぞ! お前の大好きなママを見習え! 雪ちゃんは清楚で可憐なんだぞ」

「ママは可愛い、パパは可愛い、しのぶは……」

「なんだよ、弘樹も可愛いなのか? もう少しバリエーションをだなあ……」

 また言いかけた所で蒼空に叩かれた。しかもギャアギャア騒いだせいでせっかく助手席で大人しく寝ていた大輝が目覚めてしまい、怪獣のような泣き声を上げたので、危うい運転を続けていた弘樹の車はすぐに路肩へと止まった。



 ────



 結局、有明公園まで俺が途中から運転する羽目になったのだが、弘樹の運転用黒縁眼鏡は見るに耐えなかったので丁度良かった。
 こいつの学業はとんでもなく優秀なのだが、筋金入りの運動音痴のせいで車の免許を取るまでにかなり苦労をしている。
 少しでも気が削がれると事故一歩手前の運転に早変わりするので、こいつが運転している間は絶対に話しかけない、テリトリー内に入らないがルールだ。
 今回は怪獣を起こしてしまったので、弘樹と子供達を後部座席にするしか方法は無かった。
 俺は仕事で特殊車両も運転していたので、運転は得意だ。

 空は澄み切って青く、子供が遊べるには十分な広さがある砂浜に二人の怪獣は一目散に走って行った。蒼空は澤村が気に入ったらしく、ちゃっかり手を引っ張って走っている。
 俺はチビ達が離れた所でやれやれとタバコに火をつけた。

「大分喫煙スペース減ったのに、お前も懲りないな」

「口寂しいんだよ。コレがねえと」

 俺はポケットからマルボロを取り出し、弘樹にも吸うか? と一本出す。
 子供の為だけにヘビースモーカー仲間だった弘樹はあっさり禁煙した。俺がそうやって誘惑してもいらない、と首を振る。

「付き合い悪いの」

「お前、ずっと麻衣ちゃんに言われてただろ、いい加減タバコやめろって」

 そういえば去年、麻衣が定食屋で泣いていたのを見たのがあいつを見た最後だ。
 綺麗な黒髪を金髪にして──でも何でオムライス食って泣いてたんだろう?
 あの時は思わず入職で貰ったばかりの高そうなハンドタオルをそのまま渡してしまったけど、麻衣は俺を見てかなり驚いていた。

「雪ちゃんがこうやって定期的にあいつに会ってくれてるのが救いだよ」

「……田畑」

「しかしいいなあ、子供って。無邪気で可愛い。俺もあの頃に戻れたら、もう少し違う未来があったかな」

 煙を大きく吐き出した所で俺は指に挟んでいたマルボロを弘樹に奪われた。
 そのまま捨てられるかと思ったが、あいつは一点を見つめたまま自分の口に咥えて、「久しぶりだとかなり苦い」とぼやいていた。


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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