見出し画像

【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第39話 忍sideー 未来へ



「結局、麻衣ちゃんと一緒には住まないのか?」

 いつもならこの時に呆れた、と言われるのだが、弘樹はいつもとは違い笑顔で妙に寛大だった。多分、麻衣の態度が変わった事が大きな要因だろう。
 麻衣はなんだかんだで、弘樹の嫁である雪ちゃんの親友。──そりゃあ旦那としてはどちらの事も心配に決まっている。

「まあ、結局はこのスタンスが俺達にとって一番いいからな。雨宮“先生“、いつもご馳走様」

「全く……都合のいい時だけ先生呼ばわりすんな。──気をつけて帰れよ」

 俺は弘樹に出してもらった紅茶を飲み干し、時計を確認して薬剤部を後にした。
 日勤の時は自分の家に帰るのだが、夜勤明けは麻衣の家に必ず帰る事にしている。その方が色々ゆっくりと時間が取れるからだ。

 西武新宿線に揺られながら俺は夜勤明けの疲れも重なって寝落ちと戦っていた。これで降り過ごすととんでもない所まで連れて行かれてしまう。
 目的の駅までついた所で麻衣にLINEをすると、到着時間を告げていないのにあいつはラフなTシャツに短パンという格好のまま駅の北口でうろうろしていた。
 おいおい、ここが新宿とか渋谷だったらそんな格好でいたら攫われちまうぞ、とついお節介が働いてしまう。
 買い物に来ていたのだろうか? まだ俺が到着した事に気づいていない麻衣の後ろを俺はコッソリつけて歩いた。

 目的地はただのコンビニだった。あいつは吸わない筈のマルボロを店員さんに選んで貰って買っていた。間違いなく俺のだろう。
 未だにマルボロから抜けられない俺も弘樹を見習って少しは変わらないとダメなのかも知れない。

「えっと……あとは、もう少しでスーパーが開くから豚肉探して……」

「じゃあ今日は肉じゃがかな〜」

「肉じゃが……もいいけど、アスパラと人参があるから……って、忍!?」

 漫画のように驚いた麻衣からはすごくいい香りがした。しかも長いロングヘアを無造作に上げてるからエロいうなじが……。

「……麻衣、美味しそうなうなじと足出すの禁止な」

「お、美味しそうって……どうせ誰も見てないわよ」

 突然ソワソワと慌てる麻衣が可愛い。普段完璧な奴がちょっと指摘されて動揺するのはどうしてこうも可愛く見えるのか。

「いや、ここにガン見してる男が一人……」

「もう……バカっ……!」

 間髪入れず麻衣に胸を叩かれたが、昔のような凶暴さは全くない。寧ろ物足りないくらいだ。

「そんで、結局スーパーに行くのか?」

「う、うん……やっぱり豚肉買おうかなって。あ、でも忍がお昼寝してる間に行こうかな」

 俺がLINEするの遅かったせいで麻衣の買い物予定が少し崩れたらしい。もっと遅く来るのかと思っていたようだ。
 いつもは俺がこの後麻衣の家に来て、遅い朝食を一緒に食べて、俺が夜勤明けの仮眠取って、動けるようになった夕方くらいから一緒に出かけるプランを何となく考えていたのだろう。
 でも今日は確かに薬剤部を出るのが早かった。電車も2本早いのに乗った。多分、それが原因だろう。
 仕事も慣れてきたし、残業も減った。そうなれば麻衣に少しでも早く会いたいというのが俺の本音だ。

「え〜、“まいたん“、疲れてる俺に添い寝してくれねーのか」

「もう……子供じゃないんだから、そんなバカな事言わないで! は、恥ずかしい……」

 恥ずかしいと言いつつ顔を背けたまま俺の手をちゃっかり握る麻衣。大体これはイエスの合図。──ホント、素直じゃねえな。そこが可愛いんだけど。

「……何? 私、変な事言った?」

「いや、全然。麻衣と一緒に居るとマルボロ辞められるかもな」

「ホント!? タバコは、吸う人の気持ちわからないけど……忍が時々変な咳するから、心配で……」

 優しい麻衣は俺がベランダでタバコを吸っても止めては来ない。ただ、吸う本数だけはチェックしてて、すぐ2本目に行こうとすると悲しそうな顔をする。
 体調を心配してくれるのは有り難いのだが、口寂しいのが解決しないとなかなかやめられない。
 弘樹は雪ちゃんとガキの為にタバコをピタッと辞めたが、その解決方法はただの意思の強さ。とても俺に真似出来るものではない。



 ────



 部屋に着いた途端、俺は妙にムラついて靴を脱ぐ麻衣を背後から思い切り抱きしめた。
 若者の街じゃないからってそんな格好、無警戒過ぎるんだよ……。麻衣に目をつけてたあのイケメンホスト野郎だってわざわざここまで来たわけだし。

「──あ〜、麻衣いい匂いする……眠くなりそう……」

「ちょ、ちょっと、寝るなら布団に……」

 冗談でそう言ったつもりが、甘い香りのせいで物凄い睡魔に襲われた。俺は最後の力を振り絞り、麻衣の布団をめくる。

「うう……やっぱりシャワー浴びて来なきゃ……」

 一瞬だけそのまま枕に引っ張られそうになったが、何とか気力で体を起こす。

「無理しないで先に寝てもいいよ? 大丈夫?」

「流石に病院から帰って来た身体だからな。シャワー先に入る……汗臭いし」

 結局何とかシャワーを浴びた俺は全て洗い落としさっぱりした顔でベランダに出た。
 そしてさり気なく麻衣が補充してくれている新しいマルボロに火をつける。
 確かにタバコは無くても気にならない日が来るかも知れない。そもそも、仕事をしている8時間は一切喫煙室へ足を向けていない。
 最近はお局様に仕事の合間喫煙室に誘われても行く回数が減った。その代わりにタバコを吸わない弘樹の仕事を邪魔しに薬剤部へ行く事が増えた気がする。
 タバコを辞められるなら今すぐにでも辞めたい。それが出来たら苦労なんてしない……。
 麻衣は元々タバコが嫌いだ。
 それは死んだ親父がヘビースモーカーだった事と、消せないタバコの匂いと共に違う女の香水の匂いがいつも混じっていたから……。
 そのせいで両親はとにかく喧嘩が絶えなかった。親父が仕事だと言い、家に帰る回数が日に日に減ったのも母さんのせいだろう。

「これを辞めたら麻衣は喜ぶかな……」

 チラリと部屋の中を見ると麻衣はエプロンをつけて楽しそうに何かを作っていた。夜勤明けはそんなに食べられないので、先にシャワーに入ってよかったのかも知れない。
 朝昼兼用って感じで身体には良く無いんだが、これが落ち着く。もう一度溜め込んだ白い煙を吐き出したところで俺は部屋に戻った。

「ご馳走様。やっぱり麻衣は料理上手いな」

「夜勤明けで身体辛いでしょ? 先に寝てていいから」

 茶碗を洗う麻衣の背中を見つめながら俺はぼんやりと考える。
 ──結局、俺達はこうやってお互いが家を行き来するだけしか方法が無い。生家が存続している以上、兄妹で別の実家となる場所を新たに構築する事は出来ない。
 麻衣は……こんな関係で幸せなのだろうか?
 この疑問は多分永遠に続くかも知れない。今はまだいい。だが麻衣だって若い。俺以外の奴と幸せになる道を選んだとしたら、いずれ雪ちゃんのように子供だって産めるだろう。俺と一緒になる事は、その道すら絶たれるのだ。

「何で、俺はバカ兄貴に産まれちまったんだろうな……」

「また悩んでるの? 忍に必要ないと思って今まで言ってなかったけど……子供は私産めないの」

「は? な、ど、何処か病気でもあったのか!? 悪い、俺何も知らなくて……」

 俺は麻衣のベットから身体を起こし、茶碗を洗い終えて一緒の布団に入ってきた麻衣を見つめた。
 この関係になってからデリケートな話はまだした事がない。それに、こういうのは聞いていいのか分からなかったし、まだ実際麻衣に手も出してない。

「忍が知らなくて当然だよ、だって言ってないもん。あと言わないように雪ちゃんに伝えてるし」

「は、え、え?」

 多分、弘樹は雪ちゃん経由でこの事を知っているのだろう。だが麻衣が病気だなんて──?

「あれか。もしかして、腎臓か?」

「ヤダ、何で知ってるの? そっか、忍の病棟って藤堂先生が居るんだ」

 片側の腎臓が機能してないとか何とか、だいぶ前に弘樹が吠えていた気がする。その割に麻衣は人工透析とか話は出てないし、食事制限とか特にしていない気がする。一体何故?

「麻衣……状態、悪いのか?」

「ううん、全然。キャバクラ辞めたら数値も良くなって今は薬も飲んで無い。あと、いきなり悪くなったのはお酒と過剰なストレスでホルモンバランスが崩れたんじゃないかって。だから、今が幸せだから良くなったみたい」

 笑いながら今が幸せ、と麻衣の口から聞けて俺は安堵した。一気に力が抜けて睡魔が来る。

「麻衣、俺……やっとタバコやめられそう」

「ホント!? ど、どうやってやめるの?」

「キスして、麻衣……」

 目を閉じて反応を待つと目の前でしょうがないなあと小さく笑う麻衣の声がした。



 口寂しいからって理由だけでタバコ吸い続けていても仕方ない。優しくて可愛い麻衣を幸せにする為に、俺も未来への一歩を進もう。

 ──まずは、タバコをやめる。それからだ。



前へ(第38話)マガジン次へ(第40話)

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?