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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第40話 傷跡

第40話 傷跡

「佳奈ちゃんなんだけど、来月中旬に退院して、予定通り児童保護施設に行けるみたいなんだ」

 私は弘樹さんの報告を聞いて自分のことのように嬉しくなった。彼女は自らの力で薬が無くても前を向いて歩けるようになったのだ。
 弘樹さんは麻衣ちゃんのお陰と言ってくれるが、私はただあの子に過去の自分を重ねてしまっただけ。
 例え彼女がこれから先、苦労しても親を恨まないで欲しい。誰に何を言われても、子供には罪はないし、未来を変えるのは結局自分自身の強さなのだから。

「しかしびっくりしたなあ。あの田畑がタバコ辞めたって? 明日大雨……いや、槍でも降るのかな?」

「私の腎臓の話が忍にバレてて……体調は悪く無いって言ったのに、突然タバコやめるって」

「まあ、いいんじゃないか? 田畑は麻衣ちゃんの体調が心配なんだよ。それに、あいつも病院勤務でどうせタバコ吸う回数減ってるだろうし、これも丁度いい機会だろ」

 今日の診察結果によって色々とこれからの治療が変わってくる。忍には薬は飲んでいないと咄嗟に嘘をついたが、大分前から続く貧血と低血圧は一向に改善されていない。
 総合受付に自分の外来待ち番号の呼び出しがあり、私はそのまま忙しそうな弘樹さんに礼をして内科外来へと足を向けた。

「おう、田畑さん久しぶりだねえ、元気かい?」

 私の担当医である藤堂先生は弘樹さんとも忍とも仲が良い。
 散々私の身体を心配してくれ、早く水商売はやめろ、違う仕事にした方がいいと心配してくれていたのに病気が怖くて受診をギリギリまで先延ばしにしていた。

「さあて、お待ちかねの結果なんだが。いいかい? 田畑さん……」

 先生はいつも真顔で私をじっくり見つめてくる。これがいい話なのか、悪い話なのかさっぱり読めない態度にいつもドキドキさせられる。
 もしも治療や手術しないとダメならそれはそれで今後の仕事を考えないといけない。

「おめでとう! 数値は殆ど普通に戻ってるよ、貧血はまあ仕方ないレベルかな? 薬はあと1ヶ月飲んで様子見よう。そんで、何かいい事でもあったのかい?」

 先生はとにかく色恋話が大好きだ。こないだ忍が入院している部屋の前に立っていたのも見られているし、兄妹だと言った方が早いのだろうか?
 一人で自問していると、先生の方から更に追撃をかけられた。

「田畑くんは君のお兄さんなんだろう? 何故か頑なに君の事を知らないって言うんだけど、何でだろうね?」

「ええっと……うちは家庭が複雑なもので……確かに忍は私の兄ですが、本人が私を妹と認めたく無いならそれでいいんです」

 そう、私は忍と確実に繋がっている。だから、周りからどう思われても問題無いのだ。
 藤堂先生は普段私に説教しかしないのに、珍しくふっと穏やかな笑顔を見せた。

「そうか、数値が良くなったのは医者としても喜ばしい事だよ。田畑くんとはこれからも仲良くね」

「はい」

 普通に返事したつもりなのに、何故か先生は目を丸めて驚いたように私を見つめていた。そんなに忍と私が兄妹と言うのはここの病院のスタッフにとって変な事なのだろうか?
 数秒後に先生はまいったな……と独り言のように呟き頭をぽりぽり掻いていた。

「いやあ……ほんと、田畑くんが羨ましい」

「こら、先生。若い子にちょっかいかけたらダメですよ! 田畑さん、受付でまた番号出ますので少しお待ちくださいね」

「は、はい……先生ありがとうございました」

 付き添いの看護師さんに怒られた藤堂先生はだってよー、となんだか悔しそうな声を出していた。──まさか、受診に来た私の格好がおかしかったのかな?



 ───


「おかえり、麻衣」

 夜勤明けで翌日も休みを取っていた忍は私が受診を終えて帰宅するまで待っていた。
 一人ぼっちの家に待ってくれる人が居ると何とも心がほっこりする。私は照れたまま、小さくただいま、と告げた。
 玄関でそっと触れるだけのキスをしても、もう忍から全くマルボロの味はしない。布団の中での話は冗談ではなく、本当にタバコを辞めたらしい。
 てっきり、今日も私が居ない間にベランダで吸っていると思ったのに、吸い殻は一本も見当たらなかった。

「……そんで麻衣、結果は?」

 真面目な忍の瞳に私は大きく頷く。

「うん、仕事辞めてから調子良いみたい。貧血はあと1ヶ月薬続くけど、久しぶりに藤堂先生から褒められたよ」

「そっか、良かった……マジで安心した」

 ホッとした忍が視線を下げ私の胸元を見てあ、っと気まずそうな声を上げた。

「何……? まさか……」

「いや、ほら、あのな。ええっと〜、これはですねえ……」

 突然動揺し、少し離れた忍を不審に思った私は洗面所にある鏡を確認する。鎖骨の少し下辺りにうっすらとキスマークが残されていた。
 帰り前の服装を整えていた時に藤堂先生が何とも変な反応をしていたのはこれのせいか!

「し、忍……なんて事を……!」

「だ、だからな、それは不可抗力だ。不慮の事故だ!」

「もうっ……! 受診の時に何て顔したらいいのよ! バカっ!!」

「いや、それ言ったら俺なんて明日出勤した時に藤堂先生に何言われるか……あいたっ」

「それは自業自得でしょっ! ああもう恥ずかしい……!」

 全く反省していない忍の後頭部をポカり、私はもう一度服の上から印をなぞった。
 恥ずかしさはあるが、自分は忍のものという印に正直喜びを隠せない。
 他にもついてないか確認していると、忍の携帯が鳴り、誰かに呼び出しされているようだった。

「麻衣、小野田ん家の喫茶店覚えてるか? 雪ちゃんが妊娠してるらしくて、そのお祝いするから今晩貸切でパーティやるぞって誘い来た」

「ええ!? さっき弘樹さんに会ったのにそんな話ひとつも……」

 そもそも、雪ちゃんから妊娠した報告を受けていない。これでも長年の親友なのに、そういう大事な報告を彼女は普通に忘れる。
 多分、弘樹さん経由で私と忍のどちらかに言って、それでもう二人に連絡が通じていると思っているのかも知れない。

「まあ……あいつら言ったつもりが多いからな。しかもタイミング的に俺達が迷惑かけちまってたし」

 それは反省しかない。忍が事故で記憶を無くしたこと、私がキャバクラで定期的に弘樹さんから忍の話を聞いていたこと、そして殺人未遂事件に巻き込まれた忍に佳奈ちゃんの件。
 どれも長い間雨宮夫婦に迷惑をかけている。雪ちゃんとて、妊娠初期の不安定な時期に話せる状況では無かったのだろう。

「麻衣?」

 無意識に私は忍が刺された左脇腹を触っていた。ドレーンが抜けた傷口は綺麗になっている。
 しかし例え忍の傷が消えても、私の記憶には忍が刺されたという事実が永遠に燻り続ける。
 私の顔が暗くなっていたせいか、忍は苦笑しながら私の髪を梳いた。

「これは麻衣を守った名誉の負傷だからいいんじゃね? あの時麻衣がもし刺されていたら、俺はあの女をぶん殴るじゃすまねえ。例え関係無かろうとあのガキだって許さないからな」

 普段滅多に怒らない忍がこういう時は意外と激情家だった事に驚いた。

「ありがとう、忍……あの2人を許してくれて」

 コツンと額を当てて瞳を閉じる。自然に近づく気配と共にそっと唇を重ねた。



「──小野田の喫茶店に行くまで、まだたっぷり時間あるな」

 顔を肩口に埋めたまま甘い声で囁く忍に、私は耳まで赤くなりながらバカ……と小さく呟き、彼の大きな手をぎゅっと握り返した。


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