【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第30話 忍sideー 異変
麻衣の様子がおかしいと気づいたのは、俺が退院してから2ヶ月目の事だった。
いい感じに丸く収まって、また一緒に暮らせると軽く考えていたのだが、麻衣は俺に迷惑がかかるからと言い、引き払う寸前だったマンションから出ようとしなかった。
しかも一度家具まで引き払っているのにまた新しく入れ替えしている。これは断固として俺と一緒に住もうという空気ではない。
俺も金を稼いで、麻衣が安心出来る状態になったら一緒になりたい気持ちを伝えようとしていたので、あいつが一人暮らしを続ける意思を尊重していた。
そんな矢先だ。麻衣が突然倒れたのは。
別に何処か病気でとかそういう理由ではない。
あいつがぶっ倒れた場所で誰かが通報してくれたお陰で、かかりつけ医のいるN大附属病院に搬送された。
「一体何があったんだよ……」
「……ごめんなさい」
俺は夜勤明けで今日だけ一度家に帰った事を後悔した。まっすぐ麻衣に会いに行っていたら倒れる前に助けられたかも知れない。
また以前のように表情を無くしている麻衣を見て俺は胸が締め付けられそうになった。やっぱり俺と一緒に居ても麻衣を笑わせる事は無理なのだろうか?
麻衣が俺ではない男と一緒の方が幸せになれるなら、いつでも俺は身を引く。麻衣の気持ちは、一応俺を好きで居てくれてはいるものの、その表情は嬉しそうではない。
「今日は様子見の為に入院だってよ。ゆっくり寝てろ」
「うん……ありがとう、忍……」
俺は麻衣の頭をそっと撫で、そのまま部屋を後にした。
結局、麻衣がぶっ倒れた原因は不明で、過度なストレスを一気に受けたものではないかと言われた。
「しかし、田畑くんの妹さんだったとはな。だからあの時に聞いただろう、田畑麻衣さんは知り合いかって」
「へーへー、すいませんねえ。麻衣には色々取り巻きが多いから、迂闊に言えなかったんスよ」
「とりあえず、以前よりデータは良くなっているんだが、今回倒れたのは心因性のものだろう。何か過度なストレスがかかる事件があったかい?」
「事件ねえ……」
俺が刺された事は麻衣にとって衝撃的だったかも知れない。しかしあれは2ヶ月前の話だ。俺が夜勤明けで会いに行くと、はにかんだ笑顔で出迎えてくれたし、他に何かあったとは考えにくい。
最近になってまた表情が暗くなっているので、俺の知らないうちにあいつの家近辺で何かあったのだろうか?
気がかりな事はいくつもある。麻衣が未だに西東京市から離れようとしない事だ。何か、あそこに居なきゃいけない理由でもあるんだろうか?
「お邪魔します〜……」
俺は麻衣に内緒で、借りていた合鍵を使い部屋に入った。カレンダーを見ると、俺が来る日付に全て赤い○と小さなハートマークがつけられている。
「……意外と乙女な事してんだな」
我が妹ながら可愛いなと思いつつ、俺はさらに探索を続けた。あまりあちこち漁るわけにはいかないが、何か手掛かりがあるはず。
もうひとつの部屋に入ると、使っていないタンスの上に見覚えのない手帳が置いてあった。
「誰のだ、これ……」
人様のものだから開けない方がいい。そう思ったのだが、その手帳から血の匂いがしたので俺は気になってそのページを開いた。
麻倉マキに遭遇、奴を仕留め損なった。
本名、タバタマイ。
タバタには肉親あり、タバタシノブ。N大附属病院にて勤務中の兄。その仲間、アマミヤ。
アマミヤは家族あり。子供2人、嫁。
アマミヤは子供を溺愛しているらしい。シノブよりも先に子供を──。
そこで文章は途切れていた。誰かが証拠隠滅しようとしたのか、上から黒いボールペンであちこちぐしゃぐしゃにされている。
「──まさか、麻衣の心を潰そうと俺と弘樹の家族を狙っているのか……?」
精神的に痛めつけられるのは、自分ではなくもっと大切な者が死ぬ事だ。
弘樹達の身に何かあれば、麻衣は絶対に立ち直れない。あいつはそういう子だ。自分が悪く無くても、例え関係なかろうとも、自分を責め続ける。
俺が羽球を辞めた時と一緒だ。
あいつのせいで俺は羽球を辞めたわけじゃ無いのに、何度言っても自分が羽球を奪ったとまだ己を責めている。
麻衣があんな性格になってしまったのは、俺があいつを母さんから守れなかった所為だ。
手帳の持ち主と血糊は気になったが、先に弘樹へ電話した。幸いあいつがまだ薬剤科にいてくれて助かった。少し麻衣の様子を見てほしいと伝え、今度は安全確認の為に雪ちゃんへ連絡をした。
『はいはい忍ちゃん、どうしたの? 蒼空〜、忍ちゃんから電話だよお〜』
「ああごめん、蒼空はまた今度な。それよりも気味の悪い手帳見つけてよ。多分、麻衣がキャバクラで働いてた時の誰かのメモだとは思うんだが……」
『えっとお、もしかして……アマミヤコロス的な?』
雪ちゃんから物騒な言葉を聞いたのは地味に初めてだったので俺は正直驚いた。という事は、もう弘樹達の家が知られているのか?
「雪ちゃん、チビらと離れないようにな。もしかして、何か変な手紙でも来たのか?」
『ううん、そういうのじゃなくて、麻衣ちゃんにこないだ言われたの。雪ちゃんの家にコロスとか、シネとか、変な脅しや知らない人が来ても全部絶対に出ないで無視してって。近いうちにそれも無くなるからって』
「それも無くなる? 一体どういう事だ……」
『しのぶ〜! 元気? まいたんは?』
いつの間にか雪ちゃんから娘の蒼空に代わっていた。いつもなら相手するのだが、今はそれどころではない。
「蒼空、悪い。すぐママと変わってくれ。その、まいたんの件で大事な話なんだ」
『ぶう〜。ママご飯作ってて忙しいもん。代わりに蒼空が聞くよ』
困った。多分、雪ちゃんは重大な話だと思っていないのだろう、こうなった蒼空を動かすのは至難の業だ。俺はとりあえず雪ちゃん達の安全が確認出来たのはわかったので蒼空を適当にいなして電話を切った。
電話を切った瞬間に今度は弘樹からのコールが入る。嫌な予感が先行したので出てみたが、雑音しか聞こえなかった。
「お、おい。弘樹?」
『──が、──早く!』
「全然聞こえねえよ! どうした!?」
弘樹の声は殆ど聞こえないが、周囲で看護師が麻衣の名前を呼び、床に押さえつけている声が聞こえてきた。
妙な胸騒ぎは酷くなってきた。麻衣が発狂した声で殺してと叫んでいるのが電話越しでもハッキリと聞こえてきた。
そうだ、前に弘樹に言われたんだった。
麻衣ちゃんが死にたいって言ってもお前は無関係を装うのかって。
俺と関係を戻した所で、お前はやっぱり死にたいのか……。
何がここまで麻衣を苦しめているのだろう。俺達はただ一緒に生きて、普通に暮らしたいだけなのに。
そんな小さな幸せすら俺達には模索する権利も与えられ無いのか?
「麻衣、しっかりしろ! 今すぐそこに行くからな!」
勝手に死んだら絶対に許さねえ。それが聞こえたかどうかは分からないが、俺は携帯を握りしめたまま病院までとにかく走った。
あいつの声が聞こえなくなる前に。
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