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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第7話 本質は変わらない
マルボロの香りが残る啄むキスの後で私ははっと現実に戻り、慌てて腕時計を見た。もう8時を過ぎている。
いいムードだったのに、と頭をぽりぽりしている忍の様子に私は顔が赤くなるのを隠しながら違う話題に切り替えた。
「忍、仕事は? 時間、大丈夫なの?」
「ん……? 今日は夕方からだから大丈夫」
そう言えば忍が事故ったまでは弘樹さんから聞いていたが、今もまだ建設関係の仕事にいるのか詳しい話は聞いていない。
でも仕事の話はなるべくしたく無い。こちらの仕事内容を聞かれるのが怖いから。
手っ取り早く稼ぐ為にキャバクラに入ったので、正直昼間の仕事が出てこないのだ。OLと言ってしまえば早いのかも知れないが、浮かぶ会社の名前も無いし、調べられたらすぐにバレてしまう。
かと言って専門職と嘘を吐くにはハードルが高すぎるし、免許も無いのでそれもバレるだろう。
大学も中退したので、自分の経歴もこれ以上上塗りは出来ない。
「よかった。私も今日は休みだから、ゆっくりできるね」
「そうか? マキが迷惑じゃないならいいんだけど……」
「全然、迷惑だなんて思わないよ。だって忍と一緒に居たいもの」
仕事が休みというのは嘘。忍も夕方から仕事と言っているので、そこまで長くは居ないと踏んだ。
仮眠を取りたい気持ちはあったが、忍が自分の所に帰ってから夜の仕事開始まで電車の移動と新宿の家でトータル3時間くらいは眠れるはずだ。
「そうだ。タバコ……吸ったらまずいよな、悪いちょっと外行くわ」
「ベランダに灰皿置いてあるから大丈夫だよ」
万が一に備えて灰皿を買っておいて良かった。ところが、真新しいその灰皿を手に持ち忍は訝しげな顔をしていた。
「これ……新品じゃねえか。いいのか使って?」
「新品じゃないよ、忍にずっと会えなかったからその間洗って綺麗にしまっておいただけ。だって、前も使ってたでしょ?」
一瞬どきりとしたが、忍にまだ過去の記憶がない事を祈りつつ勝手に話を作る。こういう時に仕事で培ったポーカーフェイスは役に立った。
「そっ……か。ごめんな、俺が知らない間に色々待たせちまって」
忍は大切そうに灰皿を持ってベランダへと消えた。何か考え込んでいる忍の横顔がすごく気になる。
『彼女』では無いと薄々感じているのだろうか。でも、それを確認するつもりは無い。
忍が消えた事で、私と私の家族は完全に崩壊した。忍を追いかけて大学を勝手に中退した私を、母さんは絶対に許さないだろう。
母さんに会うのが怖い……いや、会いたく無いし、会うつもりもない。
ここまで作り上げてきたんだ。これで、また忍を見失ってしまったら、私は今度こそ生きる意味を無くしてしまう。
2本タバコを吸い終えた所で忍は部屋に戻ってきた。空腹だと言っていたくせに、そのままバスタオルを手に鼻歌を歌いながらシャワーへと消えた。
この家で自由にしている忍を見て嬉しくなった。実家に居た頃を思い出す。
忍に服を入れているタンスの場所を教えて、今度休みが合う時に一緒にその他の必要な物を買いに行くのも悪く無い。
ただ、残念な事に私は恋人を作った事がない。
高校卒業まで全て女子の中で生活し、大学に出てからも異性との距離感が分からないままだった。
彼氏、と言ったものの忍が何もかも初めてなので、世の中の恋人がどういう一日を過ごしているのか分からない。
恋愛については弘樹さんに聞いた方が良さそうなのだが、あの場所で恋愛初心者の話をするのは無理だ。
多分、忍は他の女と遊んでいるだろう。もしも今のキスより先に進んだら、この関係が偽りであるとすぐにバレてしまうのでは無いだろうか。
時間が無い、という理由で昨日はそのまま別れたけど、忍がシャワーから出て、朝食を食べてから、それから──。
「マキ、卵焼き焦げてる」
「あっ……ヤダ! ちょっと、何やってんだろ私」
いつの間にシャワーから出てきたのか。突然後ろに立っていた忍にも驚いたが、私はすぐに火を止め換気扇を回した。フライパンを床に落とさなかったのがせめてもの幸いだ。
焦げた卵焼きを捨てようと横付けしているビニール袋に手をかけた所で忍に止められた。
「勿体ねえだろ、別に丸焦げじゃないんだから」
「食べてもらうのに、これは流石……」
「ははっ。俺の胃袋を舐めんなよ、マキの作ったものは絶対大丈夫だ」
少年のように微笑みそう話す忍の言葉は、昔自分が料理を始めてした時と同じだった。
あの時は目玉焼きを作ろうとして、結局卵が崩れて裏面は丸焦げだった。私が泣きそうな顔になっているのを見て、忍は満面の笑みでそれをつまみ食いしていた。
『俺の胃袋を舐めんなよ、麻衣が作ってくれたものは絶対大丈夫だから!』
フライパンも焦がしてしまい母さんに怒られたのを覚えている。麻衣はまだ火を使うのは早いって。
そしてその後にすぐ忍が庇ってくれたのも覚えている。俺が腹減ったから麻衣に頼んだんだ──って。結局忍の方が怒られちゃったけど、一緒に母さんに怒られてくれて凄く嬉しかった。
「……ホント変わらないな、忍は」
「んん〜、砂糖入れたらそりゃ焦げるよな、別に無くてもいいぜ、焦げても美味い」
私がぼーっと昔を思い出している間に、菜箸を奪い取った忍は焦げた卵焼きをフライパンからつまみ食いしていた。
「ちょ、ちょっと、焦げてるんだからそんなバクバク食べないのっ……!」
「はいご馳走様、マキチャン」
忍の綺麗な指先が少し触れただけで緊張している私に、彼との恋人関係なんて無理なのかも知れない。仕事では全く動揺しないのに、こんなにも心臓が落ち着かない。
慌てる私を見てニヤリと微笑んだ忍はそのまま顔を近づけ頬にチュッと口付けた後、すぐさま何かに気づき目を丸めた。
「その傷、どうした?」
突然トーンの下がった忍の声に驚いたが、私は圧迫止血した後にファンデーションで厚塗りして隠していた頬の傷を思い出した。
かなり顔が近づいたのであの切り傷が見えたのだろう。何て観察眼だと呆れてしまう。
優しい指先が傷を撫でる。その刺激に身体がビクリと強張ったが、忍は気にする様子もなく労わるように傷口を撫でてきた。
「これ、結構深いな。料理で切ったのか?」
「そ、そう。ちょっと昨日の夜にドジっちゃって。瓶を落としてその破片が飛んだんだよね〜」
「……こんなに綺麗な肌なのに。気をつけろよ、マキの肌を傷つけた瓶を殴りてえ」
真面目な顔でそう話す忍の言葉に思わず吹き出してしまった。
「瓶なんて殴ったら、忍まで血だらけになっちゃうよ」
「当たり前だろ、俺の大事なマキを傷つける奴は、例え瓶だろうと何だろうと許さねえ」
それは私を慰める為の冗談だったのかも知れないが、忍は昔からこういう無茶な事をよく話す。
母さんにあれこれ無理な期待を背負わされて私自身が殆ど笑わない子だったから、私を何とか笑わせようと冗談をよく言うようになったのかも知れない。
例え記憶が無くても本質的な忍は何も変わらない。
焦げた卵焼きを台所で互いにつまみながら長い間2人で笑っていた。
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