【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第38話 スターチス
麻衣、と呼ばれた瞬間私はもうこれで忍はまた離れてしまうのだと目を閉じたまま覚悟を決めた。
忍は明るい性格で昔から男女問わずモテる。多分、澤村さんのような可愛い彼女だってまたすぐに出来るだろう。私がいつまでもくっついていたら忍にとって迷惑にしかならないのだ。
「はぁ……また早とちりしてんだろ」
嫌われる、離れられると思いきや想像していたものは全くこなかった。
ここで泣いたらダメだ。泣いたら忍をまた縛ることになってしまう。そう頭の中では理解しているのに、どんどん涙が溢れてくる。
「やっぱ、変わらねえな」
苦笑した忍の力強い腕は私を抱きしめ、背中をトントン叩いてくれた。昔と同じように……。
心地よい腕の温もりと優しさに自然と涙が止まっていく。
「いいか、麻衣。一回しか言わねえからな」
次は額にそっと触れるだけのキスが落とされた。これは昔泣いていた時には無かった儀式だ。
「俺は麻衣を泣かせる奴は絶対に許さねえ。なのに麻衣を泣かせているのはいつも俺だ。離れても側に居ても麻衣はちっとも笑わねえ。寧ろ悲しそうな顔したり、困った顔したり……これはどうしたもんかと久しぶりに弘樹に詫びて相談したんだ」
「弘樹さんと、仲直り……したの?」
弘樹さんに相談したという言葉が聞けて私は少しだけ安心した。自分の身勝手な行動で2人の仲が悪くなるのは絶対に耐えられない。
「ああ。そしたらな、あいつもよく雪ちゃんを怒らせたり泣かせたりするから、笑顔にさせる方法を聞いたんだ」
忍はそこまで言うといつも愛用しているリュックから黄色と紫がかった花束を取り出した。先端が少し飛び出ていて、あまり見たことのない形だ。
「勿論花なんて詳しく無いし、買ったのも正直人生で初めてだ。でもよ、勘違いばっかりする麻衣にはコレ渡しておかなきゃなって」
「これ……何て花?」
「スターチスって言うんだ。まあ、俺も詳しく無いから花の名前よりも、花言葉を麻衣に贈るよ」
少しだけ照れたように笑いながら忍は私の手にスターチスという花束を渡してくれた。
そもそも、花に疎い忍がデパートで店員さんに何と言ってこれを買ってきたのだろう。こんな珍しい花があったのか。
「これな、ドライフラワーになってる事が多いから手に入れるの大変だったんだよ。ちょいと紫っぽいけど……ピンクは永遠に変わらない愛。黄色は愛の喜びと誠実。ほら、ピッタリだろ?」
「そ、それって……」
愛の喜び……誠実に、永遠に変わらない愛の花を私にくれたという事は、忍は私のところから離れない?
「麻衣……また泣いてる」
「ち、違う……こ、これは……嬉しくて……」
まさかのサプライズプレゼントに心は物凄く嬉しくて笑っているつもりだったのに、私はまたポロポロと涙を流していた。どうして忍の前だと上手く笑えないのだろう。
涙を乱暴に拭っているとマスカラが落ちて目がパンダのようになっていた。それを見て忍が小さく笑う。
これが夕暮れだから良かったものの、今は他人に見られたく無い酷い顔だ。
しかも厄介な事に、カバンに入れてある筈の可愛いハンカチを探していたのに、以前泣いていた時に忍に貰ったハンドタオルが真っ先に出てきた。
これも結局捨てられなくて、しかも忍に会った後も本人に返せないまま、ずっとバックに大切に入れていたものだ。
「おーおー、それまた随分と懐かしいものをお持ちで……」
「ち、違……えっと、これは……忍に会ったらいつでも返せるように、その……」
「俺、まだ何も言ってないけど?」
確かにこのハンドタオルが誰のものかなんて指摘されてないし、男物のブランドではあるが、別に忍のものとは一言も言っていない。
私が自爆して慌てる様子を見てニヤニヤ笑う忍が少しだけ憎らしい。完全に私の反応を見て楽しんでいるのだ。
騙された気分になった私はさらに真っ赤になり、カバンの奥に潰れていた自分のハンカチを取り出してそのまま顔を覆った。
「──とあるキャバクラにマキちゃんって金髪の女の子がいてな。その子、すげえ可愛くてモテるのに何故か安い定食屋で泣きながらオムライス食ってたんだ」
麻倉マキと私が同一人物である事は忍も知っているはず。ならばあの時タオルを渡してくれたのは、泣いているのが私だと知っていたからなのか?
恥ずかしさと同時に忍の話が聞きたくて、私はハンカチに顔を伏せたまま黙っていた。
「その子な、最初は綺麗な黒髪だったんだよ。記憶が無かった俺に、俺の恋人だって言ってきたんだ。本当に、誰にも見せたく無いくらいめちゃくちゃ可愛い笑顔だった。ガサツな俺に、こんな可愛い彼女がいたんだってびっくりしたくらい」
「そ、それで……?」
「俺がとある事に気づいた途端、マキちゃんは笑わなくなっちまった。オロオロして、何かに怯えるように」
そうだ。いつも怯えていた。忍の記憶が戻ってしまったら私達の関係は終わってしまう。記憶なんて戻らなくていい、偽りの関係でもいい。私は永遠に麻倉マキという偽名を使ってでも忍の側に居たかった。
けれども、私の願いも虚しく、忍は想定よりも早く記憶が戻り離れて行った。
記憶が戻ったのは本当に喜ばしい事なのだが、私はやっと忍の側にいられた時間を失った事で完全に心が壊れた。
「次に定食屋でマキちゃんを見つけた時、俺の大好きな綺麗な黒髪は金髪になっちまってた。何か吹っ切れたのか、それとも新しい男でもできたのかな、って少し安心したんだけど実は違ったんだ」
頭上に忍の気配がある。私は涙でぐしゃぐしゃな顔を見られたく無いのでただ黙ってハンカチで顔を覆っていた。
「俺はマキちゃんの笑顔を取り戻したい。俺に見せてくれたあの笑顔を、記憶のない田畑忍じゃなくて、目の前にいる田畑忍という一人の男に見せて欲しいんだ」
「そ、それは、マキちゃんに言えば……」
最後の砦にしていたハンカチを忍に奪われた。私は慌てて手で顔を隠そうとしたが、その手首も忍に掴まれる。こんなに乱暴な忍は初めてかも知れない。しかし、忍は決して怒っている訳ではなく、酷く切ない顔をしていた。
「麻衣、俺は冗談なんかで花屋を回ったりなんかしねえ。俺の気持ちはこの花の通りだ。俺と一緒に居てもこれから先、辛い事の方が多いのは分かっている」
忍だって分かっているのだ。私と一緒に居ても兄妹という重い枷に縛られて、お互い幸せになれないと言う事を。
「麻衣は本当の気持ちを俺にだけは言わない。他の奴には言ってるのにな。いつもいつも又聞きで弘樹と蒼空から怒られる俺の身になってくれ」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝って欲しい訳じゃねえんだ。単純に、イエスかノーだけでいいんだよ」
私は返事を込めて思い切り忍の身体に抱きついた。周りは誰も認めてくれないし、これから先、誰かに勘ぐられない為に一緒に住む事も出来ない。
それでも、私は忍しか考えられない。
例えこれから先色々な人とお付き合いしても、他の人に会っても、親友の家族を見ても、どこにいても忍の事を考えてしまう。
多分、私は物心ついた時からずっと病気だ。これからも永遠に治らない忍への恋の病。
「忍の事……ずっと……ずっと大好きなんだよ、バカ野郎……!」
「バカは余計なんだよなあ……でもそれが麻衣らしいか」
もう一度互いをきつく抱きしめキスをする。たった3年、忍と離れただけで私は自分のしてきた行動がわからなくなっていた。もう自分の気持ちを偽らない。
忍が好きだ。これは、絶対に変わらない気持ち。スターチスの願掛けは私にも当てはまる。
永遠に、忍への変わらない愛を。
「あー麻衣……ごめん、生理現象」
「──バカ……」
いいムードも思い切り台無しにする忍に、私は久しぶりに声を出して笑った。もうすっかり暗くなった海岸に私達の笑い声だけが響く。
「家に帰ったら続きだな」
「……うん」
キスのその先まで期待してしまい、私は途端に顔を赤らめた。流石にもう暗いしバレないだろうが初めて男の人とお付き合いしたような気持ちでドキドキする。
おとなしい私を不審に思ったのか、忍はいつものようにニヤニヤ笑いながら私の顔を覗き込んできた。
「お、“まいたん“が折れた? バカって言って叩いてこない?」
「もうっ……バカ! こんな顔ジロジロ見ないでよっ!」
忍はずっと楽しそうに笑っていた。砂浜に投げ捨てられていたリュックを背負い、私の手を引いて先を歩き始めた。
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