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今までのこと①Twitterを始めるまで

まず、私のことを見つけてくださって、この文書を読んでくださってありがとうございます。
これまで何があったか、など時系列順に分けて書こうと思います。
私のことに興味を持ってくださった方にお話したいのと、私と同じような経験をしている誰かの力にほんの少しでもなれれば、またいつか私が昔のことを振り返るように書こうと思います。


私は、中学生の時に両親が離婚して、親戚との繋がりもほぼない母親との二人暮しになりました。
離婚の原因は両親の仲が上手くいかなかったことですが、その時は父親の方が私には悪くうつっていました。
母親との二人暮しが始まって、最初の方はギスギスしていた雰囲気が消えた!と思っていました。
母と父の喧嘩を聞くことも無くなるし、なにより私は父の怒鳴り声がとても苦手でした。 父の飲むお酒の匂いが苦手でした。酔っ払った父の声の大きさが苦手でした。
ちょうどこの頃から夜が眠れなくなりました。
リビングから聞こえるテレビの音が母親と父親の喧嘩の声に聞こえて心が苦しくて息が詰まるようでした。
リストカットを始めました。

父親が居なくなっても、生活は明るくはならなかった。
数カ月経っていくうち、母親は私に段々と冷たくなりました。私の顔は父親似で、私の顔を見ると父親を思い出すと言いました。
私の作る料理が美味しくない、と言いました。
私の洗う皿も、洗濯も、随分と下手くそで手際が悪くて、見ていてイライラすると言いました。
私の為の食費も学費も勿体ないと言いました。
いつのまにか、昔の優しい母親の姿は無くなっていました。
何が悪いのか分からなくて、どうして父親はもういないのに一向に母親が昔のような明るい人に戻ってくれないのか、ずっと悩みました。
ずっと母親の足音がするたびに息が詰まりそうでした。
何を言われるか分からない不安と恐怖、今度は母親の怒鳴り声を聞く日々で、自分が悪いのだとずっと思っていました。
私が悪いから、母親は怒っているんだと思っていました。
リストカットがどんどん深くなって行きました。
学校では両親の離婚の話も、嫌なお家のことも、何も言わないようにして、ずっとただただニコニコしていました。
一種の躁状態でした。嫌なことを考えないように頭を空っぽにしてずっと無理やりあげたテンションでキャラクターを作りました。 そんなに楽しくなくても ちっともそんな気分じゃなくても、家では笑えない分、外で笑っていないと全てが終わってしまうような気がしました。

そんな時にTwitterを友達がやっていて誘われました。投稿するようなことなんてないからな…とその場では断ったのですが、こんな私も誰かに話を聞いてもらいたい、誰かに助けて欲しい、友達と仲良くするためではなくて、誰かにsosを出すために。誰にも言えないことを吐き出せる場が欲しい。そう思い、Twitterを始めました。


とりあえず、Twitterを始めるまでの話です。
長々とした拙い文章ですが、ここまで読んでくださってありがとうございました。



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