ご飯を食べるだけの簡易デート

たまには気分を変えて学校で勉強でもしようと、その日は教室に一人で残っていた。黙々とシャーペンを走らせ、気づけば外は日が沈み始めていた。
「帰るかぁ…」
筆記用具を筆箱に入れる時特有のカタカタという音を鳴らして片付けをしていると、背後でドアが開く音がした。
「あ、」
その声にほんの少しだけ驚いて振り向くと、そこには彼が立っていた。
「あっ………びっくりしたぁ。どうしたの?」

「筆箱忘れちゃってさ。まぁ持って帰っても使わないだろうけど」
「いや使いなよ」
ふふっと2人の笑い声が教室に緩やかに反響した。
「じゃあ今日は使うか」
「それがいいよ」
彼は口の端に笑みを浮かべながら自分の机の中の筆箱を取り出した。
「そっちはまだ勉強するの?」
「私は今日はもうしなーい」
「じゃあ筆箱置いてけよ」
「ちょっと意味わかんないよ」
なんて、くだらない話をしながら、私も彼も手の中で筆箱をもてあそんでいた。彼といる時はいつもなんとなく手が気まずい。彼が筆箱を机に置き、口を開いた。
「ねぇ」
「うん?」
「お家の人、ご飯もう用意してくれてたりする?」
「え?ううん、まだだと思うよ」
「それならこれからご飯食べいかない?」
ちょっと照れたように笑う彼が眩しい。私はもちろんその誘いを受け入れた。

「どこ行きたいとかある?」
徒歩で通学している私達は、肩を並べて広い歩道を歩いた。
「私は特にないかな…あっ!ガッツリ系がいい!」
「え?ほんとに?俺はそれ嬉しいけど無理してない?」
「勉強したからお腹空いたの」
少しだけ彼の歩幅がせまくなった。
「よく食べますね〜」
「うるさいな〜」
「ラーメンでもいい?俺行ってみたかったとこあるんだよね」
「いいよ。どんな感じ?」
「ガッツリ系」
「ガッツリ系」
歌うような彼の口調を私も真似た。歩く度に彼と少し体がぶつかるのがなんだか嬉しかった。あたたかい風が顔にふきつけ、私は目を細めた。
「あたたかくなってきたね」
彼も風をうけてそう思ったのか、私の方を見て言った。
「うん、あたたかくなってきた」
そう言って私がそっと頷くと、彼も頷いた。
「春だな」
「春だね」
「春はラーメンがおいしい季節だ」
「そうなの?」
「夏も美味しい」
「秋も?」
「冬も」
馬鹿みたいなことを言う彼に思わず私は噴き出してしまった。
「結局いつも美味しいのね」
「そうなるね」

しばらく歩くと、ほのかにスープの匂いが漂ってきた。
「あ、あそこ」
赤いのれんのかかったこじんまりとしたお店を彼は指さした。
「わぁ、いい感じだね」
「うん」
のれんをくぐり中に入ると、少し暗めの照明と黒い木のテーブルと元気の良い店員さんが私たちを出迎えた。
「いらっしゃいませぇ〜!何名様ですか?」
「二人です」
「二名様ご案内〜!」
カウンターの席の隅に案内され、私が座ろうとすると彼に手で制された。
「俺奥座っていい?ごめんね」
「あ、うん、いいよ。奥好きなの?」
席に座りながらそう尋ねると、
「左利きなんだよね」
と彼は言った。
「えっ、あっ、そうなの!?ごめんね、気が付かなくて……。」
「ううん、俺も言ってなかったし。」
相手が左利きかも、なんてこと考えなかった自分が恥ずかしかったのと、自分の性質を理解して行動できる彼を尊敬したのとがあって、私は曖昧に笑うことしか出来なかった。
「気にしてる?」
にやにやと笑う彼に、私はちょっと顔を顰めてみせた。
「気にしてる」
「よしよし、注文きめよ」
「…うん」
彼が味噌チャーシューの大盛りを頼み、私はそれの普通盛りを頼んだ。
「いただきます」
「いただきます」
しばらくお互いに黙って麺をすすっていた。ズルッという麺の音は、意識すると店内のあちらこちらから聞こえてきた。

ズルッ

ズルッ

「あ、そういえば今日は部活なかったんだね」
麺の音はやんだ。
「私?」
「うん」
「テスト前だからね」
「うっ、そういやそうだ」
「バスケ部はテスト前もあるんだね……」
「まぁな……。休みのことの方が珍しいよ」
苦笑いをして彼はチャーシューを齧った。
「私、いつも勉強と部活両立しててすごいなって思ってるよ」
「まぁね?でもどうしても地理ができない」
「難しいよね」
「今度教えてよ、地理得意じゃん」
「まぁね?」
ムカつく、と彼はケラケラ笑った。

ラーメンはすっかり無くなりお腹も膨れた頃、彼が伝票を持って、そろそろ行くか、と立ち上がった。
「伝票ください」
「ダメです」
「次は私が出すってこの間言ったでしょ」
「よく覚えてるな……」
「甘えなさい」
「……。ありがとう」
「ふふん」
「次は俺ね」
「交代制だね」

お腹も満たされ、心もいっぱいいっぱいで、私と彼は店を出た。たくさんの車がライトをつけて走っていた。空には星が何個か浮かんでいた。
「送るよ」
「いいの?ありがとう」

お腹の中のラーメンは、彼と歩いて話しているうちに少しずつ溶けだして胃に馴染んだ。さっきで気まずそうに居場所を探していた手は、いつの間にか私たちの身体の横におさまっていた。口の中のラーメンの残り香と鼻に突き抜けた春の夜の香りが混じりあって、それはとても幸福な香りだった。

#短編小説 #デート #恋愛 #ラーメン

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