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失いたくないもの、手放すもの

自己理解プログラムを受けた。
やりたいこと、見つかった。
「やってみるか!」ワクワク感が生まれた。

しかし今、自分の向かうべき方向が実は最初から間違っていたのではないかという疑問が生まれ、虚無感が押し寄せている。

仕事・家事・趣味…
何であろうと、自分の時間を何かに費やすということは、その分他人に注ぐ時間が減るということ。

もしそれが原因で、誰かが寂しい・悲しい思いをしているのなら…。
特に、自分に近い大切な人が傷つくことになるのなら、それは本当に自分のやりたいことなのだろうか?
大切な人と過ごす時間を犠牲にしてまでやる価値は、果たしてあるのだろうか?

この問いは、プログラムで見つけた「やりたいこと」の実現段階(今)になって生まれたもの。
しかし私の大切な人は、私の時間の使い方にプログラム関係なく本当はずっとずっと苦しんでいたようだ。


自分大好き人間、1人時間がないと生きていけない私は、これまで何においても「自分の時間」を優先してきた。

自分の時間が足りないと感じたら不満を表すのは当然。
逆に寂しいと思ったら自分からすり寄る。
でも飽きたらまた撥ねつける。

一緒にやろうよ、と相手が言ってきたことに興味・関心・気分が向かなければ絶対にやらない。

「2人のために」で動く相手に比べ、私の判断基準は「自分」にメリットがあるかどうか。

こうやって書いてみると、はた迷惑な話だ。
好き勝手するのもええ加減にせえよ、と思う。

大切な人がいつも側にいてくれるのが当たり前で、やりたいように我がままに振舞っても自分は許されると素で信じ切っているんだろう。

これだけ我がままに振舞っておきながら、いまだに我を追求しようというのか?

本当は、「側にいたい」と心から言ってくれる人の存在を一番に守るべきなんじゃないか?

大切な人と笑い合えるのって、それだけで素晴らしすぎることなのに。
それで充分なんじゃないの?
「自分はまだ上に行けるはず」なんて、おこがましいにも程がある。
そんな大層な人間じゃないやろ、自分。


プログラム終盤、「よし、これから!」という時になってこんな予想外の問題に出くわすなんて。


……結構キツイ。

でもこれも、大切な人との時間を今まで杜撰に扱ってきた自分にツケが回ってきただけ。自分のせい。

だから、自分にも相手にも、誠実にならないといけない。
ここは乗り越えないといけない。

何を大切にしたいのか。
絶対に失いたくないものは何なのか。

ちゃんと考えて答えを出そうと思う。



すごく大げさな話になってしまいましたが、要は、

「やりたいことをやることで大切な人との時間が制限され、相手が傷つく」
「そもそも自分は相手に無関心過ぎて好き勝手行動してきたことを痛感し、器の小ささ加減に落ち込んでいる」

という内容です。


誤解を招くようなことはしたくないので言っておくと、プログラム終盤でモヤモヤしてしまっているのは完全に自分サイドの話です。
プログラムには何の非もありませんので、そこは誤解されないように…
むしろ、自己理解プログラムは全人類が受けた方がいいです!



あー。あんなに自己理解したのにまだまだボロボロ出るわ、自己。
自己理解って果てしない。

とりあえずあと2回残ってるコーチング、どうしよう 笑


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