やがて失われてしまうとしても【連載小説】#1

 祈りを捧げる。
 灯篭を川に流し、お母さんと一緒に手を合わせた。

 お盆に現世に戻ってきていた先祖の魂が死者の国に戻る儀式。
 僕はおじいちゃんの灯篭を流した。

 せせらぎに委ね、ゆっくりと流れていく灯篭。
 それぞれの放つ暖かな光が辺りを包み込む。

「この灯篭も流していただけませんか」
 川辺で佇んでいると、ふと見知らぬおばあさんに声を掛けられた。

 灯篭を手渡され、お母さんの顔を見る。
 送り手がいない灯篭もあるんだ。
 首を傾げながらも「流してあげたら」と促され、先ほどと同じように川に流す。

「ありがとね」
 お辞儀し、おばあさんは去っていった。

 灯篭はしばらく水際を漂い、やがて川の流れに沿って動き始めた。
 他の灯篭と交じり合い、大きな光となる。

 これだけたくさんの灯篭が一緒なら、あの灯篭も寂しくないかもな。
 そんなことを思いながら、僕はぼんやりと川を眺め続けていた。

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「やめろよ!」
 次の瞬間、アツシは机を蹴とばしていた。
 衝撃音の後、静寂に包まれる。

 対面する僕に教室中の視線が集まる。

 きっかけは些細なことだった。
 アツシがうっかり好きな子の名前を漏らし、それを必要以上に僕が弄ったのだ。

 正確に言えば僕だけではない。
 数日に渡り、ヨータもケンジも一緒になって囃し立てていた。
 でも、この場にいたのは僕だけだった。

 ジェンガみたいなものだ。
 最後に崩したのは僕。
 蓄積されたアツシの感情は、僕に向けて爆発した。

 しばらくして、誰かが呼んだのだろう。
「どうした?」と、先生が駆けつけてきた。

 放課後になり、職員室に呼び出される。
 僕は先生の立ち合いのもと、お互いのお母さんの前で事情説明することになった。

 アツシは先に帰っていた。今は話せる状態じゃないそうだ。

 アツシのお母さんの目線が怖かった。
 先生は最初から僕を悪だと決めつけて話を進めた。

 言い返そうとする僕を制し、お母さんは僕の代わりに頭を下げる。
 お母さんは関係ないのにな。

 くだらないと心の中で呟いた。
 納得はできないものの、早くこの場が終わってほしい。
 僕は黙って口を閉ざしていた。

 やがて、最終下校を知らせるチャイムが鳴る。
「彼も反省しているようですし」と先生が言い、その場はお開きとなった。


 帰り際、「なんで、お母さんが謝らないといけないの?」と尋ねた。

 僕がアツシに謝るならまだわかる。
 でもあの場にアツシはいなかった。
 あの場で僕が謝らなければならないことってなんだ。

「もう六年生なんだから、自分で考えないとね」
 お母さんが諭す。

 怒ることはほとんどないが、こういう時に悲しそうな笑みを浮かべる。
 僕はそれ以上何も言えなかった。


 アパートに着くと、駐輪場の陰からジジが飛び出してきた。

 二年前から我が家の飼い猫となった黒猫のジジ。
 名前は流行りのアニメから付けた。
 放し飼いのため、日中は家の近くを縄張りにして遊んでいる。

 一人っ子の僕が寂しくないようにと、出張中のお父さんがどこかから連れてきた。

 ご飯までの間、僕はねこじゃらしでジジと遊ぶ。
 手前、左右、跳べ!
 離れた位置で振ると、深く身構えてお尻を何度か振ってから駆け出してくる。
 素直に反応してくれて面白い。

 抱きかかえようとすると嫌がり、後ろ足で首元を掻き始めた。
 毛の間を探るとノミがウロウロしている。

「お母さん、またジジがノミつけてきた」
「あら、また? ノミ除けの首輪もあまり効かないのね」

 戸棚からピンセットを取り出し、ジジを仰向けに寝かせ、あくせくと動き出すノミを見つけては一匹ずつピンセットで掴む。
 地道な作業だが、爪切りと一緒で、慣れてくると爽快感がある。

 手足を伸ばし、全身を委ねるジジ。
「お前は気楽だなぁ」
 ノミを取り終え、ちょっと悪戯したくなり身体をくすぐる。

 驚きソファに飛び跳ねるジジ。
 尻尾を立ててこちらを警戒するが、やがて疲れたのかそのままソファで丸くなった。


 ご飯の時、お母さんと一緒にもう一度今日の出来事を振り返った。

 自分だけが悪いんじゃない。
 ヨータ達も同じようにアツシをからかっていた。
 アツシだって嫌なら嫌って言えばいいのに。

 断片的に感情を吐き出す。
 お母さんは一つ一つ頷いて聞いてくれた。
 
「アツシ君とはもう話せなくなってもいいの?」
 最後にお母さんはそう尋ねる。

「それは嫌だ」
 アツシとは友達だと思っていた。

「そう、じゃあ明日ちゃんと謝りなさい」
 僕は黙って頷き、この会話はおしまいとなった。

 お皿を洗い、テレビを観て、ちょっとゲームをして、お風呂に入る。

 お風呂の中で、明日アツシに会ったら何と言おうか考えた。
 うまい言葉は見つからないけど、とにかく謝ろう。
 そう決めたことで僕の心は少し軽くなった。

 布団に入ると、ジジが膝元に乗ってくる。
 心地よい重みを感じながら、僕はいつの間にか眠りについていた。


 翌日から僕の環境が変化し始めた。

 まずアツシが学校を休んでいた。
 高熱が出たそうだ。

「不登校ですかぁ」と誰かが声を上げる。
 クスクスと教室内に笑いが生まれる。

 先生は「そういうのは良くない」と軽く指摘するだけだった。

 ホームルームが終わり、ヨータとケンジが僕のところにやって来る。

「昨日、アツシがキレたんだって?」
「お前、やり過ぎたんじゃね?」

 両側から矢継ぎ早に責め立てられる。

 自分達のことを棚に上げるつもりだろうか。
 ごめんでも、どうしようかでもない。
 全てを僕に押し付けてくることに腹が立つ。

 二人を睨みつけるが、教室の空気に気付く。
 どうやら周りも僕だけが悪いと思っているようだ。

 ヨータもケンジもクラスの人気者だ。
 運動ができて、よくクラスの代表にも選ばれる。
 僕もそれなりに発言力があると思っていたが、二対一では負けてしまうだろう。

 結局、僕は色々と飲み込む。
 アツシには自分から謝っておくと約束したことでその場は収まった。


 次の日も、その次の日も、アツシは学校に来なかった。

 高熱だし数日休むこともあるだろう。
 先生はそう説明したが、クラス内では僕が不登校児を生み出したと噂され始めた。

「俺達は内申点が悪くなると困るんだよ」
 ヨータがクラスの代弁者となり僕に詰め寄る。

 俺達って誰だ。
 そこには僕もアツシも入っていなかった。

 内申点なんて中学受験にはほとんど影響ないはずだ。
 受験前の俺達に迷惑を掛けるな。
 日頃のストレスの矛先にちょうどよかったのだろう。
 ただ漠然とした怒りをぶつけられていた。

 本で読んだ魔女狩りみたいだ。
 誰か一人を吊るし上げ、他の人は安心感を得る。
 くだらない。

 優勢を感じると野次馬も図に乗る。
 やんややんやとまくしたてる奴が次々と出てくる。
 くだらない。

「じゃあどうすればいいんだよ!」

 机を叩く音が教室に響き渡り、みんな押し黙る。
 ああ、これで完全に孤立したな。

 悪役らしくみんなを睨みつける。
 みんなが望んでいることってこういうことだろ。

 結局、その後は下校まで誰とも喋らなかった。
 僕はずっと席から窓の外を眺め続けていた。
 先生も何も触れなかった。


 そして、下駄箱から僕の靴がなくなっていた。

 こんなことするのかよ。
 さすがに肩からがっくりと力が抜けてしまった。
 先生に言おうかとも思ったが、言っても解決するとは思えなかった。

 上履きのまま歩く帰り道。
 買ってもらったばかりのNikeのスニーカー。
 お母さんにどう言おうかと考えた。

 間違って上履きのまま帰ってきてしまった。
 ありえないか。

 友達が欲しがっていたので貸してあげた。
 これならしばらくなくても辻褄が合うだろうか。

 にゃあ。
 家の近くでジジが声を掛けてきた。

 足元にすり寄る。
 おなかが減っているのだろう。
 早く家に連れて行けといわんばかりに先導する。
 
「ただいま」
 ジジと一緒でなければ、扉を開けられなかったかもしれない。

「おかえり」とお母さんが出てきた。
「ちょうど買い物に行くところだった」
 靴を脱ごうとして、お母さんの視線の先に気付き硬直する。

「靴、どうしたの?」
「友達に貸した」

 お母さんは、「そう」と答えたが、視線は上履きから離れない。

 どれくらい時間が経っただろう。
 僕はずっと俯いていた。

「ねえ、お母さん……」
 言葉に詰まった。
 お母さんは黙って次の言葉を待ってくれた。

「……明日から学校に行きたくない」
 声が震えている。

「どうしたの」
 お母さんは穏やかな口調で続ける。

「嫌われていると思うから」と絞り出す。

 お母さんはそっと僕の頭に手を置く。
「どうしてそう思うの」と続ける。

「わからない」
 これ以上は言葉にできなかった。

 ぽたりぽたりと大粒の涙がこぼれ始めた。
 止めたくても止められない。

 お母さんはそれ以上は問わず、しばらく僕の頭を撫でてくれた。

「そう、じゃあちょっとお休みしようか」

 その日の夜、お母さんは僕の好きな料理をたくさん作ってくれた。
 夕食の後は一緒にお皿を洗い、テレビのお笑い番組を観ながら一緒に笑った。

 いつものようにジジと遊んで、お風呂に入って、パジャマに着替える。
 布団に入るとジジが膝元に乗ってくる。

「ジジはその位置が好きみたいね」
 そう言ってお母さんは笑った。



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