青髪脳セラピスト

【幸せ脳】セッション開発者・Masterの青髪セラピストと申します。 幸せになるための…

青髪脳セラピスト

【幸せ脳】セッション開発者・Masterの青髪セラピストと申します。 幸せになるためのトラウマなど記憶や思考の重さを断捨離方法を教えています。 ここでは、私の人生ロードマップについて投稿していきます

最近の記事

更新お休みのお知らせ

実業の新企画立ち上げのため、7月いっぱいNOTEの更新を お休みさせていただきます。 現時点では8月になりましたら再開させていただく予定です。 楽しみに読んでくださっていた方、 Instagram「青髪脳セラピスト」は 引き続き毎日更新していきます。 今後ともよろしくお願いいたします。

    • 変化

      これまでの経験から 「私をいじめてきたやつらは全員〇ね」 そんな言葉が浮かび始めたのは 生まれて10年・・・小学校高学年の頃だった そんなあるとき 同級生なのか、違う学年の子なのか覚えていないが 廊下で吐いてしまっているのをみた。 通りすがりの子どもたちは 「キモイ」、「臭い」と言ってたけど 自分がなりたくてなったわけじゃないのに・・・ と、見て見ぬふりはできなかった。 相手はもしかしたら、 私を嫌っているかもしれなかったけど 私はもうすでに「オエッ!」などと言われて

      • 一変

        生きる意味を感じなくなり 人に迷惑をかけず、イジメた側が反省してくれるであろう 死に方を考える日々。 しかし、そんな小学生時代の私の考えが あるとき一変します。 それは、テレビで「少年法」を知ったのがきっかけでした。 罪を犯しても18歳未満は刑が軽く 個人情報も出ない 刑期が短くなることもある そして極めつけは、 罪を犯した少年の気持ちがまるでこもっていない ただ大人に言わされているような、 子どもらしくない作られた反省の言葉。 これを聞いたとき、わたしは 自分が

        • 死にたくなったこともある

          前回、小学生にして、「勉強」時間が就労時間より長い というところを最後にちょろっと書きました。 当時の私は・・・多い時で 土日:9:00~22:00勉強 (休憩は、食事時間とトイレ、風呂洗いのみ) 少ない時で 平日:20:00~22:30勉強 (帰宅後の習い事は別) なかなか気持ちの面でハードでしたが、 私は理解するのに時間がかかったりするほうだったので 今思えばこう決められていたのも 仕方ないことだったかもしれません。 実際は、息苦しすぎて 青母の目を盗んで(買い物

          闇からの転換~小学生の章~

          その言葉に、青母 「悔しかったら、見返してやれ!」 この言葉が、 今後の私の性格形成に大きく関わってくるのでした。 母はきっと隠れて己を責めていたと思います。 体操服を持ち帰らなかったこと 靴下が汚れていたこと ノートを買いに行く頻度が高かったこと 成績表の内容のこと 同級生が遊びに迎えに来ても、断ろうとばかりしていたこと この頃から、ストレスで頭皮を掻きむしり、生傷が絶えなかったこと アトピー性皮膚炎が酷くなってきたこと ・・・など 色々、母の中で、つながったんで

          闇からの転換~小学生の章~

          病みから闇へ

          祖父のお墓で何度も 「死にたい」 「でももうこれ以上、苦しい思いをするのは嫌だ」 「おじいちゃん、どうしたらいい?」 「私はいてもいなくてもいい子」 って、嗚咽を堪えて(お寺の方に見つからないように) 泣いて訴えました。 (お寺の方の朝早いので、もしかしたら、知っていて 目をつぶってくださっていたのかもしれません) が、ある日、急に、事態が変わります。 なんと、私のランドセルに、覚えのない連絡帳が。 クラスの男子の物でした。 私は入れた覚えないし、だいたい、席も近く

          イジメを親に言わなかったらこうなった

          当時の青母は、 「私たちの子どもなのに、なぜ、成績表がオール満点でないのか!」 という教育ママさんでした。 父は、地元で一番の高校を優秀な成績で卒業。 父が2歳と時(父の父で小学校教諭) 突然のくも膜下出血で亡くなっていたので 奨学金で大学へ。 母も、母の姉や、亡き私の祖父母(母方の)曰く、 優秀な成績だったそうです。 毎回、お正月の親戚同士の集まりでは、その話になり、 優秀な従姉、従兄と比較されるたび、居心地が悪くなりました。 従姉、従兄は、そんな私を気づかって、 大人

          イジメを親に言わなかったらこうなった

          私の7年間のイジメ経験詳細(箇条書き)

          はい。 では、今回・・・ ここからのイジメの内容を 今までの様に書いていきますと 恐らくお読みいただいている方に 「相当な不快感」と「恐怖」を感じさせてしまうので 箇条書きで書いていきます! =========================== 【小学校3~6年生でのイジメの内容詳細】 ・石投げつけられる ・体操服、捨てられる ・汚物扱い ・上靴に画鋲又はゴミ箱へ ・机の中にカビパン、蝙蝠の死骸 ・虫、投げつけられる ・教科書やノート、クレヨンで落書き、チョークの粉ま

          私の7年間のイジメ経験詳細(箇条書き)

          「引っ越し」そして「7年間のイジメの始まり」

          小学校3年になる春 父の転勤期間が終わり、私が生まれた町に戻る。 敬愛するおばあちゃん先生と離れることになったのは 悲しかったけれど、ここには大好きな祖母もいる。 (祖父は父が2歳の頃、他界) しかし、友だちはできるのだろうか。 そう思っていたことも杞憂に終わる。 そう、転校生は、アイドル状態なのだ! (しかし、実は錯覚だった) 実は、これが 7年間に及ぶ、イジメの始まりだったなんて・・・ 最初は、転校生がもの珍しく、 私の机の周りには10名近くの人だかりができた。

          「引っ越し」そして「7年間のイジメの始まり」

          理不尽を許せた理由② 「母を尊敬した初めての出来事」

          母を初めて尊敬した出来事。 これも小学校1~2年生の頃。 自宅アパートで過ごしていたら、外から 聞いたことがなかったような大きな音。 母と一緒に何事かと外に出て確認。 道路の方を見渡してみると、交差点で交通事故!! 母、慌てて現場に走る。 私もその後を追う。 私が到着した頃には、母、車内に男の子と母親らしき女性発見。 と、同時に、私に即、いくつかの指示を出す。 ①近所の人(少し先に商店があった)に助けを求めて救急車を呼ぶ ②大人をたくさん呼ぶ ③自宅へ帰り清潔なタオ

          理不尽を許せた理由② 「母を尊敬した初めての出来事」

          理不尽を許せた理由 ①「母に助けてもらったこと」

          「母に助けてもらった」鮮明な記憶。 小学校1~2年の頃 それは、楽しみにしていた社会科見学の日。 私は楽しみに登校。 その時、悲劇が起こる。 なんと、学校の正門で転び、 そのレールのところに顔をぶつけ、前歯(永久歯)折れるという事態。 ちなみに、何故、顔面からいったかというと 当時同学年でも一番前なくらいチビな私。 体力もないのに大荷物を抱えていて、(ザ・昭和) 手で地面をつけなかったから。 そして見事に、 おでこは擦れ、鼻も擦れ、鼻血が噴き出し、 口内も唇も切れ

          理不尽を許せた理由 ①「母に助けてもらったこと」

          逆境プロローグ・理不尽

          時は、小学校1~2年生の頃の記憶に遡ります。 当時、住んでいた賃貸アパートで友だちと遊んでいた私。 何がきっかけだったか… 私の「やめて」と言う言葉が聞こえていなかったのか 友人が私の部屋の壁や襖に私のキャラクタースタンプで押印。 どんどん目の前で押し進めされていく押印。 そりゃもうカラフルなこと。 ショックで青髪の脳内は思考停止・・・ そこで、青髪の母(以下、青母で表現)、帰宅。 (まあ当然叱られますよね) が、驚いたのは 青母は友人を帰し、私が猛烈に叱られるという

          逆境プロローグ・理不尽

          【リクエスト執筆】青髪脳セラピスト逆境からの生まれ変わりストーリー

          noteユーザーさん初めまして。 Instagramのフォロワーさんこんにちは。 青髪脳セラピスト牧野かよと申します。 note最初の投稿では Instagramのフォロワーさんたちのリクエストにお応えし、 青髪脳セラピスト 「逆境からの生まれ変わりストーリー」 をいくつかに分けて執筆をしていきます。 (自己紹介についてはプロフィールをご覧ください) そもそも何故 これを書く流れになったのかというと Instagramには24時間で消える「ストーリー機能」 という

          【リクエスト執筆】青髪脳セラピスト逆境からの生まれ変わりストーリー