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変化


これまでの経験から
「私をいじめてきたやつらは全員〇ね」
そんな言葉が浮かび始めたのは
生まれて10年・・・小学校高学年の頃だった



そんなあるとき
同級生なのか、違う学年の子なのか覚えていないが
廊下で吐いてしまっているのをみた。

通りすがりの子どもたちは
「キモイ」、「臭い」と言ってたけど

自分がなりたくてなったわけじゃないのに・・・
と、見て見ぬふりはできなかった。


相手はもしかしたら、
私を嫌っているかもしれなかったけど
私はもうすでに「オエッ!」などと言われていたので
嫌われる怖さはもうなかった。

なにより、
具合が悪い人を放ってはおけなかった。


・・・〇ねの思っていたなら
放ってほけばいいのに、今思えば矛盾してますね。
それほど、今思えば子どもたちの「〇ね」という言葉など
言っている方からしたら、軽いものだったのでしょう。



先生を呼び、
先生が保健室へ具合の悪い子を連れていくまでの間に
処理するためにもってきた道具を使って
私は、飛び散った汚物がある廊下を
雑巾やトイレットペーパーで拭きました。



今の時代では考えららないことですね。
むやみに素手で触らないようにと言われますから。



正直、臭ったけど、具合の悪い本人が一番辛い。


こういうときに、私まで知らんぷりしてスルーしたら
私が大嫌いな奴らと同レベルになる。


他人の為でなく、自分の心のためにした行動でした。


しかし、自分のためだけど
人が嫌がることでも人目を気にせず
自分から初めて行動できた瞬間でもありました。



小さな小さなできごとでしたが
私の心の中で、何かが変化した(スッキリ?)
記憶が今でも残っています。




次回、「這い上がれ!」です。
お楽しみに!







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