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自分の活かし方/私という人(学生時代②)


0. 全体を通して学んだこと

 下記に記載した内容を通して学んだことは、自分を考えていることに
深く深く自分の心に耳を傾けることが大切さでした。現在、自己覚知・自己理解の重要性を実感するスタートラインになっています。現段階でも当時のことをまだ理解しきれていないですし、言語化しきれていないです。それを踏まえた上で読んでいただけると幸いです。


1. 浪人時代

 今回は浪人、大学編入時代について書いていきたいと思います。
学費を少しでも少なくするために大学編入を考えました。浪人時代(1年間)はアルバイト、自宅で受験勉強、前大学の友人とたまにソフトテニスをして過ごしていた。受験勉強は過去の浪人時代の経験が生きたため、あまり苦労はしなかった(いつか書く気持ちになったら、勉強方法について書こうと思います)。この時、友人と一緒にソフトテニスをできたことが大きく精神的に救われた。大学を離れたら関係性が途絶えてしまう。社会とのつながりがなくなってしまうと恐れていました。実際はそのようにならなかったです。自分のネガティブな考え方は、今では恐ろしいです。私にとって、運が良かったのか、日頃の行いが良かったのかなども今でも分からないです。ただ、自分自身や現状に逃げず、向き合わないといけないと考えていました。この経験から自分と似たような境遇の人、頑張って必死にもがいている人には手を差し伸べられる人にはなりたいと思いました。実際に何ができるかは日々悩んでいます。

2. 大学編入時代(大学・学科選び)


 
前大学の単位を利用できたため、大学2年生から臨床心理学科に編入することができました。大学・学科選びには明確な理由がありました。理由は3つあり、1つ目は前大学で得た知識・経験を医療知識は無駄にしたくなかった。2つ目は、心理学という分野に興味があった。3つ目は叔父が、病院で社会福祉士として相談員をしていたため、医療と福祉の狭間で仕事ができると自分を生かせるかなと考えました。しかし、1つだけ悩みました。叔父が持っている資格を取って仕事をするべきか、異なる資格で仕事をするべきかということでした。その時に出会ったのは、精神保健福祉士という資格であった。この資格国家資格で、名称資格(資格を持っていると名乗ることができる、仕事業務を独占してできるわけではない)です。主に、精神科病院・精神科訪問看護などの医療関係の相談員として働いてたり、障害を抱えた方が利用する障害福祉サービスの相談員として働いてたりします。
 最初、私は精神科に興味はなかったです。精神科という科があるのも、このときに初めて認識した気がします。心療内科の名前を知っている程度でした。社会福祉士という資格を取得できかつ心理学を学べる学科を探したが、見当たらなかった。自分の学力と1年という時間、家から通える範囲で考えた場合、選択肢は限られていた。

残った選択肢は3つ
・社会福祉士と精神保健福祉士の資格が両方取得できる大学

・心理学が専攻でき精神保健福祉士という資格が取得できる大学
 
・社会福祉士のみ資格取得できる大学


 私は非常に悩んだ。
これからの自分の人生の分岐点になるので、
自分に問いかけ続けた。

・叔父と同じ資格で働くのは面白くない

・精神科よく分からない。分からないから怖い

・家から通学時間が長いな~

 自分でもよく分からない感情や気持ちが込み上げてきた。
そういった感情とも向き合っていくと、「自分は本当にやりたいことは何だろう」と何度も巡ってきた。
「あーだ」、「こーだ」と言いながら悩み、悩み続けた。

 最終的に決めた要因は3つ
・偶然、「リハビリテーション・カウンセリング」という本を見つけた。
 大学の先生で、アメリカにあるリハビリテーションカウンセラーの資格を
 持っていた。その先生のもとで学びたい。

・社会福祉士と精神保健福祉士という資格は、アメリカでは分かれていない
 こと。ソーシャルワーカーという大きなくくりとして存在する。資格で選   
 択することは、あまり重要ではなくなったこと。

・人の心理を学びたい。

 当時の自分にできる範囲で調べたことの最善は尽くした。後は勘だなと思いました(笑)。それにより、第1志望を心理学が専攻でき、精神保健福祉士という資格が取得できる大学に決めた。最終的には希望通り、第1志望の臨床心理学科2年次編入することができた。


3.次回

 大学編入して考えたことを書いていきたいと思います。
長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。



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