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自分の活かし方/私という人(学生時代)


1.初めての投稿
 なぜ、私がnoteに投稿した理由は2つあります。私が世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方の本を通して、「自己覚知・自己理解」の本質に気づきました。それにより、自分の考え方や悩んでいた理由や背景が一つ一つ明確になり、自分の頭の中が整理された。それを記録に残したいと思いました。もう一つは、この経験を他の人にも伝えていき、少しでもこの後の人生が「自由」、「楽しく」、「ワクワク」するきっかけになってくれたら良いなと考えました。そのためにも、まずは私がどういう人なのかを知ってもらうために、幼少期の頃からの出来事を書いていきます。

2.私の生きづらさ  
 3歳
軽度脳梗塞、それによる右半身麻痺(技能試験1回落ちたが車の免許取れた、炒め物が入ったフライパンが重く感じるほど筋力・握力が弱い、片足立ちが10秒以下しか持たないなど)、歩きやすくするために9歳アキレス腱の手術をした。服を着ていると表面的に障害が分かりづらく、周りにはあまり気づかれなかった。高校の先生には、3者面談で「リハビリの勉強(理学療法士)ができる大学を受験する」という話をしないと気づかれなかった。この生きづらさが、最初に大学留年・退学(大学2年生、21歳時)の時に直面した。

3.大学留年・退学の時の生きづらさ


 この学生時代の生きづらさから自分の運命と向き合い、誰かに話し、自分を抑圧していたものを解放させることを学んだ。
大学には現役で合格することはできなかったが、コンビニで夜勤をしながら、塾に行って勉強する浪人生活を送った。その努力が報われて1年で大学に入学することができた。この浪人生活は、私にとって生きづらさに感じなかった。なぜなら、自分がなりたい職業やそれを目指す理由について明確であったからである。それであれば、なぜ自分が入りたい大学・学科に入学することができたのに、大学留年・自主退学を選択したのかが気になる部分である。それは実技試験の時、左手で関節部位を固定しながら、ゴニオメーター(関節の角度を測る器具)という器具を右手でうまく扱うことができなかったからである。この場面で、右手の麻痺であったことが響いてしまった。自分なりに同級生と一緒に実技試験の練習したり、道具の持ち方の工夫したりしていた。しかし、実技試験に本心から向き合えていたかどうかと言われると、現在の私が見ると向き合えていなかった。なぜなら、実技試験に受かりたいけど、「苦しい状況から逃げたい」と思いを持ったまま取り組んでいたからである。今年に入ってから、自己理解を勉強し過去を振り返ったとき、本気で理学療法士になりたかったら、「自分の右半身麻痺がある中でどうすれば実技試験が通りますか」と大学の先生に聞くべきだった。当時、自分の障害を弱さとしか認識できなかったため、「自分の障害を隠す=自分を守る」しか行動できなかった。よく考えると、自分がなりたいと思っていた仕事は本当に目指していたかったのか疑問である。そういう中途半端な気持ちで進んでいては、なりたいこともなれない。いつか自分の障害の影響を受け挫折していただろう。私は留年や退学という形で現れ、自分の弱さを認められ自分と向き合うことができた。実際、先生に自分の障害のこと含め思いを打ち明けられたかというと、留年決定後の進路相談のときに話した。そのとき、思った以上に怒られた (笑)。その代わり、「肩の荷が下りた」というのがこのことかと分かるほど、スッキリした。これが私の自己理解の第一歩であった。
 
 4. 次回
 まだまだ自分の言葉が分かりやすく表現することができていないけど、少しでも誰かに届けば良いなと思ったこの頃でした。
 次回、編入のための浪人時代、編入学生時代について深堀りして書いていきたいと思います。







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