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拝啓 あの旅。 -ベルギーにて-

果たしてここを歩いたのだろうか。

進んでみても角を曲がっても。道路の両脇に建っている煉瓦造りの似通った建物が、記憶の中の風景を混乱させる。歩いたような気もするし違うような気もして、一向に自信が持てない。

あの時はとにかく、地図にある川を目指したのだ。
駅でもらった紙の地図を広げたら、予想通り全てフランス語で書かれていた。道の名前もわからず茫然とし、それより何より目的地のアテもないことに慄いていた。とにかくこの地図にある、蛇行する水色の線が川であろうからそこまで行ってみることにした。
道の景色の記憶よりも、心細さを隠さずに歩いた当時の気持ちがよみがえる。

私はさっきからGoogleストリートビューを見ながら、とある街の駅周辺の道々を、あっちでもないこっちでもないと辿っている。
この街はベルギー、ワロン地方の商業都市”ナミュール”
20年前の初冬、ひょんなことから私が1人で歩いた街である。


その数時間前、私達はハッセルトからブリュッセルへ向かう鉄道の車内にいた。車窓の向こうは起伏のない長閑な田園風景が延々と広がっている。
ときおり数匹の草を食んでいる羊の姿が、単調な風景の中にアクセントのように飛び込んでくる。
「君たちはこの国に住めていいなぁ。」
点景のようなかたまりの一団を景色と一緒に見送りながら、そんな暢気なことを考えていた。
斜めの席に座っていたおばさんが、肩にかけた鞄の中からサンドイッチを出して食べ始めた。お昼ご飯だろうか。あまりじろじろ見てはいけない気がして視線を外したが、生っぽい匂いがふわりこちらの席まで漂って来る。
そもそもなぜ私がベルギーに来たのかを説明しなければならない。

**

この旅は、当時私が勤めていた設計事務所の先生と同業者の方々が企画したものだった。目的はベルギーの首都ブリュッセルから東に約80kmの位置にある、ハッセルト(Hasselt)という町の日本庭園を訪ねる事だ。先生の友人である建築士の方がこの庭園の計画に携わっておられた。竣工して随分年月が経った今、皆をこの地へ連れていき庭園を再訪したいという主旨であった。
驚いたことにうちの先生が、その旅に一介のアシスタントでしかない私も連れて行ってくれると言う。私は突如舞い降りた幸運にすぐさま飛びついたのだった。

私はこれ以前も海外旅行の経験はあったが、いずれも大手旅行会社のツアーに参加するもので、移動も宿泊も滞りなくプランが組まれており、着いた先での名所観光を楽しむものだった。

今回の旅も旅行会社とはいかずとも、基本的に先生方の組んだプランが完璧に組まれていた。行程は首都ブリュッセルを中心に、ブリュージュ、ゲント、アントワープなどの主にフランドル地方の街々を観光し、最後にハッセルトの日本庭園を訪ねるというものだ。
ベルギーは美食の国である。私が事前に調べて得た知識と言えば400種以上のビールがある事。それにムール貝にジビエにチョコレートにまつわるアレコレである。少しでも建築に携わるものとしてはいかがなものかと思うが、これが本当なので仕方ない。
私は荷物持ちと使い走りと、若さと空腹だけを携帯して、先生方の後ろをついて歩いた。旅の後半には、この短い日数の中でも知りうる事ができた歴史やランドスケープを体感し、ここに暮らす人達の人生の豊かさにまで思いを馳せるようになっていた。
すっかりこの国の虜となっていた私は、なので「ここで羊になりたい…」とさえ思うようになったのである。

ブリュッセルへ向かう車内の話に戻る。
おばさんのサンドイッチから目線を外して、代わり映えのない景色をぼんやりとみていた。ハッセルト駅を出発する前、隣接するカフェで飲んだハッセルトコーヒーが胃の中で静かに燃えているのを感じた。街の名産であるジュネヴァ(ジンの元祖と呼ばれる酒)が入ったアイスコーヒー。甘く度数の強い酒の後味と珈琲の苦みが口の奥にまだ残っている。

「ブリュッセルについたら、午後は自由行動にしましょう。」
突然先生が言うので驚いた。
「えっ、自由行動ですか?」
「私はもう一度アントワープへ行って駅舎をみておきたいから。」
その言葉には、「1人で」というニュアンスが含まれているように感じた。
数日前に見た、美しい鉄製ドーム型の骨格と、高い天窓から降りて来る柔らかい光との対比を思い浮かべた。
そういえば同行の先生方ともハッセルトで一時解散となったのだった。もうしばらく日本庭園を散策したいとおっしゃられた。なんせ先方がどこで手に入れたのか分からない法被を着て歓迎してくれていたのだ。

明日は帰国の予定である。
「せっかくだからあなたも自由に好きな場所に行ってみてね。」
そう先生は言って、旅の記録をつけている書き物の続きへ戻っていった。
「はい…。」
こうしてブリュッセルまでの残り1時間もない車内で、私は午後の行く当てを考える羽目になった。長閑な羊の群れなはもう眼中に入らない。

この機能が当時あれば…

***

ブリュッセル中央駅で先生と別れた際ほど、先生の後ろ姿が眩しく見えたことはない。こんな風に異国で自由に行動できる人に心から憧れる。
この旅は贅沢な旅行ではないので、旅の間中先生と私はずっと部屋が同室だった。食事もすべて一緒。私が気を使うのは当然だけれど、先生も相当窮屈だったろうと今更ながら申し訳なく思う。金魚のフン(私)から解放され、先生は揚々と雑踏の中に消えて行った。

私はどうやって行先を定めたのだろうか、しっかりとは思い出せない。
あの車内で、持参したガイドブックを開いて焦りながらアタリをつけたのか、それともブリュッセルに着いてから列車の案内表示を見て決めたのか。
現在のようにWi-Fi片手にiPhoneでサクっと調べられる時代ではない。
一人行動の覚悟を全くしなかったので、突然の事に心細さでいっぱいになった。
英語が通じるのはこの首都だけで、ブリュッセルを出ると場所によって話す公用語がオランダ語、ドイツ語、フランス語と変わるのも分かったのでなおさら不安である。でもどこか先生からは「度胸」を試されているような気もして、とにかくブリュッセルを離れなければいけないと思った。
そして成り行き任せにナミュール行の電車に飛び乗ったのだった。今回未踏の南のエリアへとりあえず向かおうと。

さきほどまでの「世界の車窓から」的な牧歌的な気持ちは失せてしまっていた。日本のように親切な車内アナウンスがあるわけなく、駅に停まるたびに駅名を探し居場所を確認する。名前が書かれていない小さな駅もある。
ここは一体どこなのだ。
たびたび現在地を見失い、不安で泣きそうな顔の日本人を乗せて列車は走り続けた。線路脇には牧草地帯は少なくなり、代わりに工場や民家が目立つようになってきた。心なしか色もグレーを帯びた寂しいトーンに映る。
思えば国内で、飛行機にさえ1人で乗った事も無かったのだ。
一人旅の最高記録はどこだっただろう。
そうだ、あれは神戸から倉敷までの日帰り旅だった。神戸駅の切符売り場の路線図をにらみ、この西の端まで行ってやろうと思って行った。あれはいつだったかな。
身近な追想で気を紛らわせようと試みるが詮無く、度胸のなさを思い知る。
心細くて死ぬほど長い時間のような気がしていたのに、列車はブリュッセルからシャルルロワという駅を経由しておよそ2時間で、ナミュールの駅に到着した。

最短ルートなど知る由もなかった

今思えば本当にもったいないことだけれど、ナミュールに着いた時点で心はすっかりしょげていた。とりあえずインフォメーションで地図をもらい、出口に向かったのだろう。
「ほら、ここでとりあえずお茶でもして落ち着けばよかったのに。」とは、ストリートビューを気ままに動かす20年後の私である。あの頃に比べて肝だけはついた(はず)と思える。

現在のナミュール駅の構内はとても近代化しているようだ。近年建て替えたのだろう、全く記憶にタッチしない。それでも駅を出て地図を広げた私が見た景色はさほど変わっていないはずである。

ナミュール駅を出て南へ。この景色に心細さを1000+

地図はとてもシンプルでおまけにフランス語で、私には街のフォームと川の位置関係しか捉えられなかったと思う。
見分けのつかない路地を行って戻って、また行ったりした。ハッセルトの食料品店や雑貨屋の軒先で、洗練されたディスプレイに心を奪われたような、そんな余裕は今なかった。むしろ、すれ違ったティーンエージャーと思われる女の子達からきつい煙草の匂いがした事や、建物の手すりのようなところに、大きな蜘蛛が巣をつくっていたこと。その蜘蛛の巣が、雨粒をひっかけてネックレスみたいに見えた事が思い出される。(雨上がりだったのだ)
私はそんな情景の方を、未知の地図に刻みながら歩いた。
「川を見て戻ろう。川をみたらブリュッセルに戻ろう。」
帰りの列車時刻のメモを気にしながら、そればかり思っていた。

どこをどう歩いたか。確かめながらいま見てあるく。

そしてやみくもに歩いた先に空が開けて、目の前に川が現れた。
そして「よかった。これで戻れる」と思ったのだ。

マース川に掛かる橋の向こうにシタデル(城砦)を見たのは覚えている。
今ならば。ゆっくり散策できるだろう川沿いの道々。

度胸も何もあったものではなく情けない思い出なのだけれど、私の記憶の中にはこの感情は見た景色よりもリアルに残っていて、しっかり刻み込まれている。

でもこれは後悔の思いではない。
どちらかと言えば、いまよりもっと未熟だった自分を慈しむみたいな気持ちに近い。ナミュールのこの環状線の内側を、不安な顔でウロウロ歩くミニチュアになった私を、現在の私が俯瞰で覗いている。
声はかけず、ただ見ているだけ。

ブリュッセルへ戻る列車の中で、私は自分の勇気のなさを噛み締めていた。
そしてこれが等身大であるな、とも思って可笑しくなった。

拝啓、あの旅。
私はまだ、あの半日の異国の1人旅を、パッケージにしたままで大事にしています。多分この先も、記憶をぬりかえないままで。

※画像はGoogleマップ、Googleストリートビューからお借りしました。










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