見出し画像

「げんざいち」を「百年」に

太郎さん、太郎さん…!
すごいことです、太郎さん。

こちらと向こうから、人がどんどん行き交って散り散りとなる。ここは渋谷駅の連絡通路の一角で、私は巨大な壁画の前に立っている。ほとんどの人が手元のスマホに視線を落とし、壁画を見あげる事も、立ち止まる事もなく早足で通り過ぎていく。この場所はもう人々の日常の風景の一部となっていて、私のように足を止める人の方が少数だ。
こんなに巨大でエネルギーの塊のようなものが一体どうやって行方不明となれたのか、隠れていられたのか。いや、そんなこと今どうでもいい。
どの太郎さんへ向かおうか。
頭の上の化身のような赤色の帯と目があった。

***

少し前まで私は吉祥寺のある書店にいた。
私の作ったzineを見て下さいませんかと、問い合わせのメールを送ったのは2週間前。文章を打ちながら、嘘のない言葉を綴る事だけ考えた。失礼を承知で、私がこちらの書店を訪ねた事がないこと。この1年と少しの間、積極的に外に出られなかったこと。でもこの期間を使って作った1冊のzineを持って、置いて欲しいと思う本屋さんを訪ねて行きたいと考えていると伝えた。

私にとってのこの渾身の勇気は、書店側にしてみれば日々寄せられる多くの熱のうちの一つだろう。だから返事がもらえなくて当然と思っておこう。ただこの行動から学ぶことがあるはずだから、自分が出来る事はこの一つのメールの文面に、簡潔に真摯に思いを込めることだ。

「ぜひ、お持ちください」というメールの文面を、私は何度読んだか知れない。それから実際に書店を訪ねるまでの間に、犬が手術を受け、子どもがサッカーで悔し涙を流し、真夜中の着信に起こされて、離れて住む親のGPSが地図上で病院を指す画面を、ただぼぅっと見たりしていた。
日々は一つの事が順番にやってこないのだ。浮いてそれて、引き戻されて引きはがされる。私は犬の身体を毛布で温め、子どもと鍋を囲んでワールドカップを観て、三苫選手の事を「みとま」と言えず、何度も「みこま」と言って子どもに怒られたりした。弟とのラインで、彼が状況を把握して両親に対峙してくれているのを理解した。
この雑多な毎日の中で、私の動く「何か」はあるかとずっと考えていた。
一つはこの日、書店を訪ねること。先に置かれた鉱物に触れに行くような思いを抱きながら今日までのカレンダーを見ていた。

*

店主の樽本さんに、しどろもどろに手渡したzineについて説明した。どんな気持ちで書いたのか、私は言えたのだろうか。
「(身体から)出したいと思って書いています。」と言ったことは覚えている。そして樽本さんが「それでいいと思いますよ。」と仰ってくださったことも覚えている。
それから「置きますよ。」と仰ってくださったことも。

そこからは身体がふわふわと1ミリぐらい浮いているみたいになった。その割に長居をして自分の為に本を3冊買った。ふわふわしているのにこの場所が心地よくて、恥ずかしさは心の別の場所に置いていけるような気がしていた。私のzineがここに居場所をもらえたということだ。
本を、言葉を、誰かが見つけに来る場所に、居場所ができたということだ。

座り慣れない井之頭線の車内で、まだ茫然としたままでいた。ここですぐSNSで発信する瞬発力は持ち合わせていないから、向かいの席の窓の外の曇天の景色をじっと見ていた。大げさなのかもしれないが、この感覚をきっとずっと覚えているだろう。

渋谷の改札を出てまっすの所に岡本太郎の壁画「明日の神話」がある。私は顔をあげてずんずん歩いて行って、巨大な壁画の前に立った。
ここに勝手に標していこう。
太郎さん、聞いてください。


吉祥寺「百年」さんに、zineをお取り扱い頂くことになりました。
百年さん。店主の樽本さん、ありがとうございます。大事にします。

zine「げんざいち」店頭に並べていただきました。
(許可を得て撮影させて頂きました)


岡本太郎「明日の神話」



この記事が参加している募集

#最近の学び

181,465件

#私の作品紹介

96,225件

興味をもって下さり有難うございます!サポート頂けたら嬉しいです。 頂いたサポートは、執筆を勉強していく為や子供の書籍購入に使わせて頂きます。