泡日記-五月 文フリのことなども
毎朝8時半、父親に電話をかける。出たりでなかったりで、出ない場合は見守りアプリで位置情報を確認してかけ直すなどする。位置情報の確認は見すぎると極度に疲れるので最近はほとんど見ないようにしている。去年まだ母が携帯を使えていた頃は、たまに道ではない場所を移動していると表示されることがあり、こちらで地図を確認して慌てて電話をしたり(実際はスーパーまでの使い慣れた抜け道だった)、お金を送金したそばから二人してうどん屋やら保養所の温泉に行っているのを複雑な気持ちで眺めていたりしていた。行くなとは言えない。少ない楽しみでもあるはずと分かっているけど、私は悶々とするのだ。
なので緊急時や連絡がつかないときの確認手段として補助的に見る以外は見ない事にした。父は私に居場所を見られていると分かっている。
夜になると父からショートメールが入る。それも極力夜は見ない。緊急であれば電話をかけてくるはずだし、お酒が入っていると知っているので言葉を真に受けているとこちらが参ってしまう。
母にはケアマネさんが就いてデイサービスを受けてはいるが、父が担う部分も多くあってそれは本当に辛いと感じるのだろう。退院したあと認知が進む母は「家」への拘りが強く、それはもう今の家や昔暮らした神戸の団地でもなく、ましてや私や弟の暮らす家でもない。ここではないどこかにある「家」に「帰る」という思いが口をついて出る。父は真正面でそれに対峙している。
でも私は父にごめんねという感情は持たない。夜届くメールには、そばに居なくてごめんと思わされる言葉が沢山届いていて、ものすごい吸引力をもって私がまだ彼らの一部であった頃の「娘」に戻そうとする。だから見ない。見るなら朝にする。大抵父は覚えていなくて、昨日送りつけたメールのことも話題にしない。
巳年の二人が絡まり縺れる腐れ縁。易学をかじっていた塾の先生に両親を占ってもらって言われた一言を手のひらに取りだしてはながめる。そういうことかと何度も思ってきたけど改めてまた思う。この道ゆきが父と母の宿命なのだと思う。
母と電話口で話す。
今日は調子が良いのか言葉もはきはきとしている。電話の方が私が娘だと分かるようだ。どこも行ってないん?と聞かれて、ゴールデンウィークの事を言っているのか分からなかったけれど、私が体調を崩していた事や子供のサッカーの試合ばかりで出かける暇もなかったよと言ったら、その返事は聞いておらずもう別の事を聞かれる。そんなであったとしても朝話せるのはいい。顔よりも声の方が母に触れていられるのだな。私も母の声が好きだ。そういえばもう居なくなった人たちの声はまだ耳に近く残っている。祖父も叔母も、Tさんも。
来週はいよいよ文学フリマ東京36。あと一週間しかないので、いよいよ緊張して家事の効率がぐっと下がる。とはいえずっと低水準だから家族は変化に気づいていないと思っている。去年知ったばかりの文フリに、自分が出る事になるなんて思いもよらなかったけれど、今回は心強い友人と一緒なのであの熱気の中でもなんとか居られそうな気がしている。こちらではZINE「げんざいち」を販売します。SNS告知もびっくりするぐらいやれていないので、触れるのはこの記事が初めてぐらいなのが情けない。自分の作品も手に取って頂きたいけれど、きっと会場でたくさんの素晴らしい作家さんや作品に出会えることの方が楽しみでならない。直近の血が沸くような目標点でもある。
ちなみに二作目のZINEを現在製作中です。東京には間に合わないけれど実は来月の文フリ岩手に個人で参加する予定なので、そちらで販売できるように頑張ります。一つのことしかできなくて文章を書くのに時間がかかり計画やデザイン周りも何も手をつけられていなかったのを、素晴らしく強力な友人たちが助っ人になって背中を押してくれ、仕上げられそうです。
さぁ書いてしまったからもう本当に頑張らなくては。
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