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私がこどもたちにできること

私をFollowしてくれている数少ない方々は、最近この人の投稿多いなあと思っている人もいる…のでしょうか?

投稿頻度が高いのは、自分の中で考えて、まとまってきてるものが多いから。
アメリカの大学は5月~8月下旬までが夏休みで、これまでコロナの時ぐらいしか経験したことのなかった「時間がある」というなんとも有難い状況。
仕事をしてお金を貯めたり、研究を進めたり、ここでしか出来ない経験をしたり、いろんなことにこの時間を使ってます。
そして何より、自分について考えることに時間を割くことが出来ています。

そんな中で、このnoteはもちろん、過去に自分が考えていたことを振り返ったりすることで、初心に戻れるというか、その時ははっきりしていなくても、確実に自分の「軸」になっているなという事柄を見つめ直すことができています。
だから、今この瞬間に考えていることを言語化して残すことをしようと思って、noteの更新をしています。

さて、それはさておき。

私の「軸」の1つである「教育」
これについて今日は今の想いを書こうと思います。

今回は長めです。笑

①きっかけは反面教師との出会い

教育に興味を持ったのはおそらく中学生くらいのころ。
学校に行きたくない時期があったり、当時の先生達の姿に疑問を持ったことから始まりました。

特に印象に残っているのは、「スカート丈チェック」。
私の学校では抜き打ちで校門に先生たちが並んで、スカート丈や靴下の長さをチェックする日がありました。

歴史が長く伝統を重んじる学校でもあったので、厳しい校則の裏には然るべき理由があったのだとも思います。

でも、それを生徒に説明できる大人がどれだけいたか。説明する価値を理解している大人がどれだけいたか。それを説明する時間がどれだけあったか。これに関しては、ずっと疑問です。

それから、挨拶をして校門をくぐる生徒たちに対して、挨拶を返すことなくスカートをジロジロみてチェックする先生。(もちろん全員ではないです。ごく僅か。)

それを見た時、「自分はこんな大人にはならない。」
14歳かそこらの私は、40歳くらい歳の離れた大人をみて、そう感じたのを鮮明に覚えています。

多分これが、「学校教育」とか「教師の役割」に対して考え始めた第一歩。
きっかけはマイナスなことだったけれど、今でも第3の母と呼んでいるような素敵な恩師に出会ったり、教育に携わることの素晴らしさを感じさせられることがあったりと、良い面・悪い面どちらにも触れながら過ごした中学・高校時代でした。

②学校以外の教育の場

そして、教員になることを目指して大学に入って、教育実習を経験して(ここでも色々感じたことはあったけれど長くなるから割愛)、教員採用試験の勉強をして…。

でも、勉強しながら、試験問題に対して「ん?」と思うことがあって、まだ教員になるタイミングじゃないし、なんだか飲み込まれてしまう違和感がして、大学院に進学することを選びました。

そして、コロナ直撃の大学院生活。授業はオンラインで、家から出ることもできなくて、時間が有り余っている。そんな状態だったからこそ、オンラインでの「子どもの支援ボランティア」に出会いました。

そこで気がついたのは、「学校だけが教育の場所じゃない」ということ。
それからというもの、貧困家庭の子どもの居場所支援とか、不登校児童支援とか、「公教育」から少しだけ離れた領域に興味が移りました。

③教員をしながら感じた違和感

ただ、大学院を修了するとき、目指していた「フィンランド留学」に届かず、何をしようか考えた結果、「いったん教員をしてみないと何も語れない。」そう思って、1年間だけ教員をすることを決めました。

ただ、この経験が良くも悪くも私の「教育熱」みたいなものに火をつけました。

私が一番違和感を感じたこと。
当時は言語化できなかったけれど、今思えばそれは、

生徒を信じない大人が多いこと。

「あの子たちは厳しくしないとすぐに大人を舐める」
「自立なんてまだできてない未熟な子達だから、手取り足取り教えなくちゃ」

そんな雰囲気。そこが私にとって一番違和感でした。

④大人がこどもにできること

自分自身、教師としての振る舞い方に悩んで、叱ってみたりしたことはありました。でも、自分の中で「伝わった」感触はゼロ。

じゃあどうしたらいいのか。

そんなふうに悩んだから、外部の指導先を回って、価値観を聴いて、「良いな」って思ったところに飛び込んで指導させてもらって、

そして見つけた共通点は

こどもを信じて尊敬すること。
そして、自分の力で自立していける環境をつくるのが大人の役割。

ということでした。

こどもたちは置かれた環境の中で、自分で感じ取って、自分で選びとって、自分で成長できる存在。

当時14歳くらいの私が、挨拶を返さない大人を見てここまで育ってきたように。

ただ、現場にいながら、こどもを信じて環境を整えることの難しさを痛感したのは事実。だからこそ、私たち大人は学び続けなきゃいけないと思います。

⑤今の私が未来のこどもたちにできること

そして今、アメリカで修士課程にいる私がこれから仕事としてしたいこと。
それは、「良いな」って思う現場の取り組みを、「研究」の力で広めること。

「日本の教育は10年遅れている。」
なんてよく言われています。何を基準にするかによるのは重々承知で、でも少なくとも私が思うに「進みづらさ」はあると思います。

でもそんな中でも、よりよい教育の形を追求して形に残している現場の人たちが大勢いるのも事実。

だから私は、「研究」の立場から、そういう人たちと日本の教育を進めていく人になる。

そしてもう1つ仕事としてやりたいこと、
それは、「校長先生になる」こと。

これは高校3年生の私が、大学進学のための小論文を書き始めた頃、下書きの1枚目の書き出しで書いていたことです。
その後、何度も修正を重ねて実際に提出したものからこの文は消えていたし、ふとこれを書きながら思い出したけれど。

でもやっぱり、現場に出続けることはもちろん、いつか私の人生の中で自分がその場を創る側になりたい。
欲張りだけど、そんなふうに思っています。

過去の自分で今の自分ができているように、今の自分が未来の自分を創り出す。だからこそ、「今」を大事にして生きる。そしてそれがきっと、これからの未来をつくる「こどもたちにできること」。




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