戦い方を知らないのでとりあえず剣は捨てろ
今日は一日中冷ややかな雨が降り続けた。暖房を使っていない部屋や廊下は呼気が白くなるほど寒くて、その寒暖差にいちいち身震いした。お風呂に入るのも億劫で、湯船に浸かればよかったもののその気にもなれずシャワーで済ませた。ストーブを出して以降、ストーブの暖気が届く範囲から出ることが辛い。室内でもボアのついたパーカーを羽織っている、靴下は2枚ばきなど、防寒対策に余念がない。 寒い時は寒い。なぜなら今ホルモンバランスがガッタガタだからである。仕方のないこと。ひたすらに温めながら、本を読み、アマゾンからの配達を待つ日だった。
徳島で短歌雑誌『ねむらない樹』を取り扱っているのが1店舗しかなくて、そこに買いに行ける時間も余力もなく、仕方なくアマプラに頼って今日届くのを心待ちにしていた。午前中に配達中だと通知が来ていたのに届いたのは夕方6時半を過ぎてからだった。随分待った。しかもその間に別の配達がAmazonから来ていたのにそれらは全てわたしの荷物ではなかった。本当にやっと、やっと届いたので立ったままで、歩きながら、すぐに読んだ。熟読はできていないけれど、第4回笹井宏之賞の受賞作が載っているのがとにかく読みたかったので、それらを読んだ。また、選考座談会も。そうして自分の名前は当たり前にないことへの、残念さでは全くなく、安心があった。
うまく言えないけれど、私は猛省したというか、自分が送った作品の稚拙さや、まだまだ勉強、経験不足だと言うことが受賞作を読んで気付かされた。もちろん当たり前のことなのだけど、あの日、作品を送った時、『出すことに意味がある』の精神ではあったのが確かで、だから何かに選ばれるとかそういった期待はしていなかった。
素直に受賞者の作品の素晴らしさにおおおお、すごい…と感動した。
個人的には神野紗希賞の、安田茜さんの『遠くのことや白さについて』が、個人的にはすごく良かった。日本の社会性を歌っているものが多い中で、安田さんの世界があって、それが短歌の中で出てくる。最初の一首がいきなりそうだった。『雪山を裂いて列車がゆくようにわたしがわたしの王であること』の中にある『わたしの王』っていうワードや、『戴冠の日も風の日もおもうのは遠くのことや白さについて』のなかの『戴冠』。安田さんのなかの世界を表している感じがところどころにあって、でも、全てがそういったイメージでできているわけでもなくて、『方言をほめてもらったその夜にやっとリボンを捨てられたんだ』という現実で起こったことがそのまま短歌に落とし込んでいるものもあったりで、だけど全体的に表題のように遠くのもの、そして白さを感じて、わたしはすごく好きな50首だった。わたしには絶対に作ることができない世界だった。当たり前だが。
そうして密かに気にしている鈴木ジェロニモさんのお名前も見つけたのだった。ふっふーん。やっぱりすごいなジェロニモさん…カッケー!と思いつつ読む。まず表題の『ヨライヨライ』とは何だ、と思いながら読んでいたらなるほど、となった。『オーライがオライオライのエネオスでヨライヨライと叫ぶ新人』なるほどなるほど。想像してちょっと笑うまではいかないけどその人のヨライヨライをちゃんと聞こうとしてしまうし、次また通り過ぎる時にもヨライヨライの人おるかなって期待して見ちゃうかもしれないなあなんて想像した。それにこの短歌のリズムも音の開き方も良くって、オライオライとヨライヨライのところをちょっとラッパーみたいな気持ちで読んじゃうというか、そうしてその流れでいつの日かジェロニモさんがTwitterにあげてたやたらグルーヴ感のいいカラオケの様子まで思い出したりしていた。他の短歌もリズム感が良くて、『にんじんを狙うきりんのむらさきの舌が本体みたいに伸びる』って本体みたいにって言うところがむらさきの舌の衝撃を表してて、個人的に好きだと思ったのだった。ああ〜!!!50首全部読みたい〜〜〜!!!!という念だけ送っててもいいですか、念だけ。
とにかく全ての短歌がキラキラしているように見えて、自分の稚拙な50首よどうか安らかに眠ってくれ…と言う気持ちになった。ごめんよみんな、となんだか謝りたくなった。そうしてなんていうか、ちゃんとやれよ自分、もう十分わかったでしょ何が足りないか、と己に問いかけた。
また第5回の募集も始まったので、それが9月の締め切り。絶対に出そうと思った。縁を結んでいきたい。次はもう「出すことに意味がある」で終わらずに、全力投球できるようでありたいと思った。
プライドと勢いだけで手に取った剣では戦えないのだ。しかもそれはおもちゃの剣だったのだろう。わたしはただのごっこ遊びをしていただけだと言うこと。歌人ごっこをしていたんだなあ、と痛感したのだった。
そんな衝撃を受けた夜。時間は前後するけれど、日中はひたすら読み物をしていて、『同志少女よ、敵を撃て』を読了し、これがまたいい作品やって、やっと読むことができてよかったなあと満足した。戦況を描いているシーンは凄惨たるものであったので、己の想像力の豊かさに若干の吐き気と頭痛を催したけれど、少女たちが銃を持ち、敵を殺すと言うこと、いやむしろ、戦争というのは、知れば知るほど明るいものなどひとつもなく、汚くてどす黒くなっていく。戦争は人を悪魔に変えてしまうのだ。人が人を殺すことに慣れてしまうことの恐ろしさや、そのリアルな心境の変化もうまくて、ぐいぐいのめり込んでいった。またラストの展開もまさかそうきたとは…!!と驚き。読んで損はないし何より読んでよかった。
そのほかにも江國香織さんの『都の子』や梨木香歩さんの『水辺にて』を読んで心を癒され、その後に読んだ柿内さんの『町でいちばんの素人』の日記の日付がとうとう今日を追い越した。未来を読む楽しさよ。ふふ。でもちょっとここで減速してしまうな。読みたいけれど、現実の日付と日記の日付の付かず離れずのところくらいをキープしたいと思っている。
また、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読み始めた。もうすでにナオミの良さに惹かれている。だめだだめだと思いつつ惹かれている自分がいます。これはまた面白い予感。
今日、短歌について感じたことをここに書きたかったけれど、出し切っては自分の心からは抜けていってしまうので、手書きのノートに書くことにする。歌人友達とも語らいたいが、それもまた機会があればいいな、と言うことで。
夜はもう少し長い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?