結末を知っているが自分のためにあえて深く思い出さない
まず、こんな時間から食べるシュークリームの背徳的な美味しさに浸りつつ日記を書いている今、月によってはこんなことをしたら大後悔してしまい、なんならリバースしてしまう時もあるというのに、今日はとても満足感で胸がいっぱいである。してはいけないことをやる、その行為が常習化することは望んでいないが、たまにやってしまっても許せるようになりたいと思う。今日みたいに。
ごちそうさまでした。
今日は飼い猫がとても甘えん坊の日だったので、あっちに行ってもこっちに行ってもついてくるついてくる。猫にもそういう気分の時があるんだね〜、と言いながら、ひたすらに抱っこしたり遊んだりして過ごした。抱っこが好きなので向かい合って目を合わせれば飛びついて肩のところまでやってくる。毎日のことだが、抱っこ好きな猫って可愛いなあと今まで何度も動画でみたことがあったので、実際こうして抱っこ好きな猫と過ごしていると、愛着関係がこうして築かれているんだなあと思うとしみじみする。なんか重くなったねーとか、逆に軽くなった?とか、肩にかかる重みでわかるこの瞬間を、いつかくる別れの後、絶対に忘れてしまうことがありませんようにと思う。
昨日の続きで『未成年』を読む。再読とはいえ主人公の女性裁判官の夫は59歳、いや60歳にもなって、妻とはもう最後の夜がいつだったか覚えているか、と聞かなければならないような関係だからと(とはいえ七週間と一日なんだけど)若い頃の情熱を取り戻したいという物凄く勝手な理由で、年下の若い女性と寝たい(いやむしろもう寝ている)のだという。なんて勝手な。まあ年齢はどうでも良いとしても情熱を取り戻したいから他の人と寝るってなんだろうか。まず妻と話し合おうよ。というかいっそ墓場まで持っていく気でこっそりやればいいよやるのなら。公言しちゃってうまくいくと思っているのか。自由すぎやしないかい。
序盤からこの勢いで、いきなり夫婦生活に亀裂が入ったのを傍観しているのだが、人生何がいつどのタイミングでバランスを崩し、壊れてしまうかはわからないもので、一見何事もなく平穏に見えるその水面下では、もうとっくに取り返しのつかないようなヒビが入っているかもしれないんだな、怖いわ。結婚。しかも他人の意思だから防ぎようのない場合もあるじゃんか。うわ〜。えげつないな〜なんて思いながら読む。でもこの妻もまだこの時点では、あの少年と出会うことも、どういう関係になるのかも、まだ知らないのだ。知っているのは読者の私と作家のマキューアンだけである。再読の楽しみの一つ、未来を知りつつ主人公を見つめること。まるで神のような気持ち。
本棚を眺めていると、ジャンルにブレがないなあと思う。そもそも文字に色が見えるので、好きな色を多く感じるものを選んでいる場合すらある。
やはり私は心に響くものが好きだ。少々感傷的になるくらいがいい。暗くても、切なくても、生きていくことが辛いと思っていても、本当は生きていくことに貪欲で、傷つきながらもどうにかこうにかやっていこうとする、回復しようとする、そんな物語が好きだ。
読めば読むほど後から心に染みて効いてくる漢方薬のような。即効性はないけど、必ず自分の心のためになる、そんな物語が好きだ。(もちろん明るい話も好き。)入り込みすぎて抜け出せなくなり、思考が主人公に寄ってしまうこともあるけれど、それでいいと思っている。フラットに読めなくて、エネルギーを消費する読書をしてる自覚もある。でもそれが好きなんだから仕方ない。だから読書はやめられない。何歳になっても本を読み続けていたい。
明日も読む。短歌も作る。
そういえば今日新しいシルバニアファミリーが増えたんだった、思いがけないプレゼント。嬉しい。
真ん中の子が増えたよ。ライアンくんだって。
一応公式の名前がみんなついているのだけど、自分で名前を考えるのもありだなあと思っている。
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