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勝手に暮れてった夕陽を探さずに夜


 通院日だと昨日から心の中で整理がついていたけれど、朝はギリギリまで寝ようとした。6時に起きて、アラームを消したけど、新たに三個追加した。30分後、15分後、10分後。私はあまりこういった細々したアラームをかけないので、起きれるのかな〜と半ば実験的な気持ちもあったのだけど、いざやってみると案外起きれる、というか、鳴る前には目が覚めていて、鳴ると同時に消す、を繰り返しただけだった。んなことやるなら起きなさいな、と自分に突っ込んで起きた。寒い。これから毎朝寒いって思わなくてはならんのだね。冬だね。

 でも、感覚は冬なんだけど、体のどこかはまだ秋を感じていたいらしくって、頭らへんとか胸元ら辺は秋って思っているらしい。全身が冬だ〜!とは思ってない感じ。好きに感じていよう。ひとりの空にはひとつの季節だけが必要だったのだと寺山修司が我に五月をで言ってたけれどね。複雑な時もあるよねえ。

 いつものことだけれど、今担当してくれている心理士の先生は本当によき先生で、毎回自分の心の奥を知るため、または心理的な分野を学ぶ気持ちで話しているので、帰る頃には心の奥から満たされていることを実感しているし、とても清々しい。心が軽くなった。 

 昼にかけて気温が上がっていたので、あれだけ寒いと思って着ていた柔らかいニットは居心地悪そうに太陽の光を浴びていた。腕を捲るくらいしか逃げどころも落とし所もなくって、不服そうだった。いやあ、こんなに温かくなるとは想定していなくってですね。はい。

 行きもだったけれど、帰りもみょうにゾロ目の車のナンバーと前後になっていたり、もしくは自分の車と同じナンバーの人とも並んだりして、なんか今日はそんなんばっかりだなあと思いつつ、帰り途中でセリアへ寄ると、宝くじ売り場に目がいって、大安吉日!!とパッキリした赤と黄色で描かれていたのぼりを見つけ、目についたってことは買えってことか〜と思い、人生で初めて一人で宝くじを買った。10枚買えば3枚は当たりが出ます〜という宝くじ売り場のお姉さんの話に乗ったものの、今まで当たった試しがなかったのでビビって5枚にした。やってみたら2枚当たった。1枚200円のあたり。2枚で400円。1000円で買ったので600円マイナス…とか瞬時に考えちゃった時点であかんねん、と頭の中で思いつつも400円はありがたくもらってきた。で、10枚で3枚絶対当たるって言われていたのを5枚で2枚当たりだったからラッキーな方だよね、と思うことにした。うんうん。これはラッキー。

 そうして帰ってきてからはやたらと甘えてくる猫をじゅうぶんに可愛がり、西加奈子の『夜が明ける』の続きを読んだり、ゆい奈さんが江國ワールドに入られたので思い出したように私も『落下する夕方』の好きなシーンだけ読み返した。4年前だと思う、最初に読んだのは。そこから、少しずつ付箋が増えていってて、しばらくそのままだった。付箋のある箇所を読み返したんだけど、なんでここに貼ったんだろう、という場所にも綺麗に貼ってて、その時の自分は一体何を感じ取ったんだろうかと考えてみたけど思い出せなかった。でも、すごく好きだから、付箋を剥がすつもりもなくって、またちゃんと再読したときに付箋が増えるかもしれないという期待だけが残った。

 すぎていった時間を取り戻そうとはしない代わりに、読んでいくしかないのだなあとふと思った。本だって、頁を捲るごとに時間が過ぎていくのだから、私も私の頁を捲る手は止められない。捲ったからには書くか読むかするだろうし、そうするほかない。気に入った頁を読み返すことはできても、書き加えることはできないのだから、前へ進むのがいちばんいい。その方が楽しい。きっと。

 

 カラマロスがじんわり、まだ効いてるよ。それに、カラマ読んだからか、より良い人でありたいと思う気持ちが強まった気がする。怒りや苛立ちを手放したいと思っている。すごく、思う。穏やかにいたい。


 明日は後輩と久々に会う。

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