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脱ぎっぱなしの服も光らせる陽光


多分だけど、週間の日記が書けている人はメモとかここに下書きで毎日書いていて、それをポンとあげているのだな、と思い(違うかもしれんが)、そうしてみよっかな〜、なんて思ったけど、やっぱり自分はすぐに忘れてしまうし、書くのも遅いので、できる範囲で出すことにする、要はいつも通りってこと。

桜があっという間に散ってしまって寂しい。咲きほこっていたのは幻だったのかな、って思うほどに早くて、だからみんな桜の時期は外へ出たくなるのだな、とも思う。桜の開花から散るまでの速さが日本人の体にインプットされているから、お花見は盛り上がるし、外出している人も増えるんだろう。
そして、散れば散るほど桜は寂しくなっていくけれど、別の美しさへと変化していき、すでに葉桜になっている木々は夏に向かっている気がした。

時系列はバラバラになるけれど、先月末の誕生日を祝ってくれた方々へ、TwitterのリプやLINEでおめでとうと伝えてくれて、ほんとうに嬉しい、と言うことがひとつ。SNSのいいところはそれで、誕生日だと書けば誰かが祝ってくれて、誰でもいいわけではないけれど、そうやって毎日、繋がっていたり繋がっていなかったりする人がわざわざおめでとう、プラスメッセージを打ち込んでくれるのが嬉しい。私が人と仲良くできていることがわかる感じもあるし、これからも周りの人に感謝して生きていこうと思い直せる。
ところが私は人の誕生日を覚えることがずうっと苦手なので、ぜひみんなも誕生日には「今日誕生日です」とか「明日誕生日です」とか、匂わせたり堂々と報告してほしい。私も祝いたいので。

それから、ゆい奈ちゃんに教えてもらった『僕と魔女についての備忘録』がすんごーいよくって、なんだか嬉しかった。時守の魔女の美しさといったら。そして絵の描き込みも細かくて美しいし、私は紙媒体で買ったきり、電子は読まないでいる。本当は読みたい。でも大事に置いておきたい気もして、とにかくいい漫画に出会えたからそっと置いておこうと判断。私は時々タロット占いをしていて、その時に「魔女見習いとして占わせてください」という宣伝文句というか、そう相談者に伝えていて、自分は魔女になりたいとか、魔法使いになりたいとか、子どもの頃の明るくて愉快な夢の延長に、現実に足をつけた結果、じゃあ魔女と名乗るならば占いかな、白魔女になれるならなりたいもの、みたいなライトさはあるけれど、魔女のモチーフになるものは大体好きで、でも、悍ましいものは苦手だから、なかなかそういった大人になっても楽しめる魔女漫画がなかった、と思っていたのに、今回のような美しさとピュアが詰まった作品はシンプルに嬉しい。
人から知って読むようになった本は結構あるけれど、そもそも好みが似ている人が読んでいる本は大体私も読んだことがあるか読んでなくとも好きになるものばかりで、嬉しい。でも、ちょっとずつ好きの度合いもニュアンスも違い、感想を言い合えば全く別のものの見方をしているのもまた面白いな、と思うのだった。

週末には初めて家族がやってきて、実家猫が使っていたキャットタワーを設置してもらった。自分の住んでいる家に家族が来るのは新鮮で、なんだかくすぐったい気持ちになり、うちの庭に自由に伸びている雑草を見て早く草刈りしないと夏場が大変だよ、という恐ろしい言葉を残されて帰っていった。こうなったら早いほうがいいと素早くカマやらミノやら草取りに必要な道具を揃えて、雨が降った次の日でもやろうかなって考えていた矢先、猫たちが粗相やら寄生虫を吐いたりなどをして人間はパニック、そして私もずっと完全な休みを持たずに動いているせいか体調があまり良くはなく、でももう、目の前の悲劇をどうにかするしかない、ということで自分の体調を優先して有給休暇を使い、力ある限りに猫の病院やら部屋の掃除やら、諸々を済ませてヘトヘトになった月曜日。

火曜日は元々休みだったので自然と三連休になったのにも関わらず全く休めた感覚がない。本を読む暇があったのは皮膚科に行った時の待ち時間くらいで、その時は久々に森下典子の『日日是好日』を読んだ。
読んでいると、自然の中で生きているのに、自然に抗って生きている気がしてくる。だから私の肌は今こんなに荒れていて、一つもゆっくりできなくて、どうしようもないのか、とクサクサしそうになった時に呼ばれ、診察の結果あれもこれもいろんな可能性(病名)があるねえ、と言われ、カルテには各病名の最後に??がつけられていた。?だらけになったカルテを見ながら、いろんな可能性のための薬をいくつか出され、ものの5分くらいで終わってしまった。帰り道に咲いている桜やチューリップが大きく揺れ、車内に新しい風がずっと通り抜け続けた。疲れているのは自分であって、ケアをするのも自分なのだから、少しでも楽観的に、ゆるやかに考えていたいよなあ、と思い、無駄に笑顔を作ってみるとおかしくって、しかもすっぴんだし、医者には大学生に間違われるし、と一人で楽しくなってきて、そうしているうちに気分が良くなって、さあさあ午後からも頑張りますか、喉は痛いけれど、と切り替えることができたのだった。もらった薬は効き目がよく、少しおさまった気がするので、これからも継続してみる。来週も通院予定。

猫たちの粗相のおかげで彼の布団がダメになってしまったので、捨てて、新しいかけ布団とカバーを買ってきて、布団は干した。猫たちは落ち着き、健康体そのものといった感じで、こないだ病院で寄生虫の有無を調べたが彼らの中に寄生虫はいないという結果が出た。なんでじゃあ吐き出したんだよ、と思うがそれ以上の詮索をしようにも私が病院に連れていったわけじゃないのでわからず、目の前にいる猫たちは元気なので、とりあえず様子見。

昼は彼のお父さんがわけてくれていたミートソースを使って、ハンバーグドリアを作った。うちにはテラスというか、ちょっとしたそういう場所があって、椅子やテーブルが置かれているのでそこで昼食をとった。春の生温い風が通り、簾で遮断された日光がちょうどよく、ポカポカしていた。誕生日にもらった花束(これも彼のお父さんからである)をいろんな花瓶に挿して飾っているので、ちょっとした植物園みたいになっているのを見て、もっと花やら葉っぱやらを増やしたらナウシカの秘密の部屋みたいになるなあと思い、少しだけ構想を練る。とはいえ花の管理は基本水やりだとはいえ簡単ではないので少し思いとどまる。庭に生えているいろんなみかんの木も育ってくれるように雑草を抜かなくてはならないし、休みのたびに忙しいなあとぼんやり思いつつも、なんとなくそれが楽しみにもなっている。成木はきちんと育ててあげないと家相にも響くからと祖母や母から今まで散々聞かされてきたので、早くどうにかしてあげたい。

午後は少しだけゆっくりできて、近所の公園で桜を眺め、車の中で少し眠った。それから帰ってきてまた眠った。枡野浩一さんの歌集『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』を読みながらだった。うつらうつらとしながら一首一首を読んでいるうちにとうとう眠ってしまったのだけど、短歌いいなあ、日常を切り取って歌っている短歌を鑑賞していると気がつけば自分の生活にも似たようなシーンがあることを思い出し、わかる、と思ったり、逆に想像もつかないようなシーンがこの人にはあったんだな、ということもわかったりして、歌集はとても贅沢なものだと思った。思いながら、眠った。

そして水曜日、やっと仕事に行く。毎日毎日労働してて偉いな、と思いながらの出勤。今日からはバランスをとりもどして、読んだり書いたりしたい。



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