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人生に嘆く男を開かれたページを介し抱きしめてやる



 今日が日曜日であることを気づいたのが夕方になってからだった。休養してからというもの、曜日感覚がない。休職前は土日祝休みの職だったので、曜日の意識はかっちりしていたんだけどな。カレンダーを見る習慣がなくなってしまったからだろう。覚えているのは『火曜日と金曜日は病院』ということ。あとは流れに任せている。今日は日曜日。しかも24時間テレビやっていたじゃないか。観てなかった。子どもの頃は夏休みが終わる頃に24時間テレビがあったので観るのが憂鬱だった記憶。あと、それとおんなじくらい、日曜日のサザエさんもやたら切なかったな。大人になってからでもサザエさんは切ない。今は観てないけれど。

 

 朝、9時前に目を覚ました。6時に起きたが二度寝した。枕元もしくは布団の横に読んだ本(もしくは読む予定の本)が積まれてあるのだけど、気がついたら本が布団に沿うように壁みたいに積み重なっていた。そろそろやばいと思い起き上がって本棚に戻した。窮屈さを感じながら読むのも嫌いではないのだけれど、ただでさえ狭い部屋がもっと狭くなってしまうのもアレなので、その流れで部屋の掃除をする。掃除というか、ほぼ、整理整頓。

 

 久しぶりの青空を拝めて心が浮いていた。頭痛もなくて、なんて単純な身体だろうと思った。太陽が見えるだけでこんなにも健やかになれるものなのか。それにしても青空がすっかり秋の色だ。突き抜けていた夏の空のような青の濃さは少し薄まり、さらさらしている。羽根が好んで舞うならなら秋の空だと思う。軽やかで清涼で美しい。どうしてこう寂しさを感じるのだろう。夏の名残が後を引いている。私が寂しいのか夏が寂しいのか。秋は寂しい。だけど、冬のつぎに好き。

 今日も今日とて『罪と罰』を読む。気のせいだったら恥ずかしいのだけど、この紙質、いい感じに薄くて気持ちいいのだけど、厚さに応じて紙一枚の薄さも違っていたりするのだろうか。薄く感じるんだよね、川上未映子さんの単行本版の『夏物語』を思い出す。あの本も紙の手触りがすごくいい。似てる。ただの勘違いだったら恥ずかしいので個人的な感覚ということにしておく。でもやっぱ薄い。気持ちいい。そんなことより進捗はというと、そこそこ。進んでいるようで進んでいない。面白いのだけどページが減らない、という感覚。今月中に上下巻読了することを目標にする。そのほかの本も読みたいので余力を保ちつつ。


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 最近無音の空間で過ごすことができなくて、人の声もしくは何か音楽が欲しくて適当にYouTubeでゲーム実況やらlo-if hiphopなどを流していたのだけど、だんだんそれも効果がなくなって落ち着かなくなってしまった結果、波の音が聞きたくなり、「海の音」で検索して出てきた一番上のものを流したら、これがまた心地よくって、しかも映像も高画質で美しくって、しばらく魅入ってしまった。我に返ったら良い感じに心が軽くなったので読書を再開したが、そのうちに眠ってしまった。波の音が遠くに聴こえていることを認識しながら、「今、眠っているな」という自覚もありつつ、素直に夢の世界へと入っていった。

 たくさんの人と会話した夢だった。会いたかった人、会えなくなった人、嫌いになった人とも、他愛無い会話をして楽しんでいた。優しい世界だった気がする。だんだん波の音が近くなってきて、波の音がうるさくて相手の声が聞き取れなくって、「なんて言ったの?」って聞き返して目が覚めた。彩度低めのいつもの天井が視界に飛び込んだ。YouTubeの波の音が流れ続けていて、開けっ放しの窓の向こうでは蝉と鈴虫が鳴いていた。時計を見たらたった30分くらいしか寝ていなかったらしい。読みかけの本はページを開いたまま胸の上で静かにうつ伏せになって寝ていた。頭の中がスッキリしたので読書を再開した。ふと視界をずらすと飼い猫もお腹を上にして、伸びたまま寝ていた。猫じゃらしを横に置いているので、きっと遊んで欲しくて持ってきたのに、私が眠っていたので、諦めて自分も寝ることにしたのだろう。なんて可愛い。起きてから存分に遊んでやった。


 夜、気の合う友人と電話で久々に話した。互いに電話を気まぐれにかけたりかけなかったり出たり出なかったりするのだが、それが一切苦ではなく、時間が合えば話そうよ、というスタンスなので、ちょうど良い距離感を保てている。嗜好が似ているので、頭で思いつく限りのことを存分に話した。小説や映画の解釈を深めあったり、創作の話をしたり、なんだかんだで数時間経つのはあっという間だった。距離も離れているし年齢も違うが、好きなことを好きなように好きなだけ話せる存在のありがたさを感じる。あと、「もう眠たいので切ります」とか「めんどくさいのでやめときます」とか言えるのもいい。遠慮をしなくてよくて、しかもそれが全く攻撃的にも威圧的にもならないから、はいはい、いいよー、おっけー、またね。で終わる。その後、便りがなくても元気だろうと思える。友人との付き合い方もその人によって違うけれども、そういった関係もまた、私にとっては良好な関係だ。大事にしたい。

 

 明日は(今日は)取置きしてもらっている『短歌研究』九月号を買いに行く。短歌新人賞受賞者が掲載されているのだ。あと、鈴木ジェロニモさんも二首掲載されているらしいので読む。私は出していなかったのだが、多くの歌人が応募されていたらしい。目に見える歌人と目に見えない歌人がたくさんいる。それだけ多くの感性、芸術が存在しているということ。星の数ほどいる。明日じっくり読みたい。そして私も、連作頑張ろう。いい歌を歌えるようになりたい。詠むだけど、私にとっては、歌だ。


 明日(今日)は曇りのち雨らしい。ずつーには気をつけないと。


 

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