ぴったりくるもの

大事件が起きた。
すっきりとしたシルエットのパンツを買えたのだ。
それだけならまだしも、Aラインシルエットのスカートも買えたのだ。
これは私にとって大変なことで、世界の見え方も変わるような大事なのである。

大半の人は「はぁそうですか。良かったね。」くらいにしか思わないだろう。
しかし女性物の服を着る人は身長150cm程度、男性物の服を着る人は160cm程度(女性物の服、男性物の服って何だとは思うが、主題と逸れるのでまた今度)の方にはよくわかってもらえると思う。

合うボトムスが本当に見つからないのだ。
通常の10分丈パンツは、まず合わない。ロングスカートは踏んづける。
服の形は販売されている形を正としているので、裾上げしたところで解決するわけでもない。

例えば裾に向かって細くなるテーパードパンツは裾上げするとテーパードされていないところで切られてしまう為、ただのストレートパンツになってしまう。
(趣味ではないので私は履かないが)裾に向かって広がるベルボトムのパンツも裾上げをするということは”裾が広がっている“というチャームポイントがなくなるということである。
スカートやワイドパンツ等の広がっている形の類のものは裾を切ったところで幅のバランスは変わらない為、何だかモサモサした印象になってしまう。

そういうわけで私はスキニーデニム(これは裾上げしてもまだマシ)や7部丈パンツ(座ると流石に脹脛の方まで見えてしまうが、お洒落な長めの靴下を履いて”こういうファッションですが何か?”という顔をして過ごしていた)やワンピース(裾上げしなくても何とかなりやすい)を多用し、この数十年を生きてきた。こうやって工夫するしかなかった。
トップスはまだ何とかなる。私の勝手な想像だが、人間の成長の過程は上半身の育成をメインにしている。内臓があるからだ。内臓を安定した位置に確保できる領域を作り、その後「まだ伸ばす余力あるかも」と身体が判断した人間は手足が伸び、身長が高くなる。高身長の人と低身長の人の座高の差が身長差よりも少ないのはそういうことだと思っている。(繰り返すがこれは私の想像であり、この認識が生物学的に正しかったとしても、これに当てはまらない人は多く居る。)
とにかく私は、自分に合うボトムスを求めていた。けれど、そんな物は無いと軽く諦めていた。

ところが最近、低身長向けの洋服ブランドが増えてきたのだ。
多くは実店舗を持たずネット販売。中には数ヶ月に一回程度の試着会を設けているブランドもあり、それに行ってみたときのこと。
期待半分、疑い半分の気持ちだった。だって、既製品の服がぴったりサイズだったことなんてほぼ無いのだから。店員さんに案内してもらっても、どこかスレたような気持ちでいた。いくつか商品を見繕い、試着室に入った。

・・・?

えっ? 
えっ? 
えっ?こんなことってある???

ストレートデニムもワイドパンツもタイトスカートもAラインスカートも

全て私のために作られている?????

そんな気持ちになった。
丈とウエストヒップ周りのフィット感と全体のシルエットが完璧なバランスだった。こんなことって今まで無かった。感動で目の前の靄やら鱗やらたんこぶやらが全て無くなる心地だった。
自分の身体が、求めていた形になる感覚。なりたかった者になれた感覚。そんな感じだった。
久々に服の物欲に飲まれそうになったが、ここは試着会場。何も買うことはできないのでそのままその場を後にした。
(この後めちゃくちゃ買い物した)

シンデレラにはガラスの靴。
ハリーポッターには魔法の杖。
セーラームーンには変身ブローチ。

ぴったりくるものには、その人を元気にしたり強くする力がある。
この度の私にとってのそれはサイズの合う服のことだった。

何も服に限った話ではない。私たちの暮らす社会は「標準」とされるものに基づいて作られている。標準とはある一定の基準でしかなく「当てはまる人が多い(かもしれない)」という程度のことである。その程度であるのに、多くのものが標準に合わせて作られている。

もちろん標準で作られたもので快適に過ごしている人が多いだろう。ぴったりくるものに元気をもらえていることや強くなれていることに気付きづらいだろうと思う。9の標準に当てはまり、1の標準に当てはまらないという人が多く存在すると予想するが、9の標準に当てはまることで、当てはまらない1については特に考えたりすることも無いのかもしれない。
例えば五体満足であり、異性愛者であり、家があり、ごはんを食べられる。そんな人は。

ふと、考えてみる。身体が思うように動かない人。言葉を発せられない人。同性愛者の人。人を愛さない人。家が無い人。ごはんを食べられない人。その他色々。色々。

標準とされるもので形成されている社会で、その標準に当てはまらない人は暮らしているだけで弊害があることが多いのではないかと思う。だからこそ、その人たちにぴったりくるもの、元気や強さを得られるようなものや仕組みが必要だと思うのだ。目の前の靄やら鱗やらたんこぶやらが全て無くなる心地を味わえる環境を、整えていくべきだと思うのだ。

ぴったりくる服を着たことでこのようなことを身をもって感じ、再認識した。
元気や強さを、みんなが感じられるような世界。考えていきたいと思いませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?