見出し画像

あなたのやり残したことは何ですか?【後編】

高校を卒業した私の、東京での生活が始まりました。

前回はこちら

専門学校はとても楽しかったです。
授業と課題とバイトと遊び。
寝る間もないくらい忙しい日々。
2年間に詰め込んだ学生生活は、
むしろ私には合っていたかもしれませんでした。


大卒じゃないと入社試験受けられないんだ


しかし、卒業するときに知ったのでした。
大手の会社は、「大卒」でないと受験資格さえないことを。

社会人生活は、小さな会社からスタートしました。
何度も転職をしましたが、会社を辞めるたび母は言いました。
「次は大きな会社を受けるといいよ。」

「女の子だからいいよね。」
そう言われた私は、離婚して子供を養わなければいけませんでした。
一方、兄は結婚はしましたが、子供はいません。
皮肉なものです。

田舎出身で、東京でのなんの後ろ盾も無い生活の大変さ。

娘の同級生の離婚した親の多くは実家暮らしでした。
子供の面倒も見てもらえ、パート収入でも暮らせたのでした。

「せめて大学に行かせてくれていれば。」
ずっとずっと、そう思って来たのでした。


手に入れて初めて気づく「これじゃない」


40代になって、中途で「大きな会社」に入社しました。
専門職で「一級建築士」があったために、
「大卒」でなくても入れたのでした。

やっと何のハンデもない状態になったのでした。
「安泰」な生活は手に入りました。

あんなにも
「大学に行かせてくれていれば」
と思ったのは、
大学に行っていれば
「こんなに苦労しなかったのに」
と思ったから。

でも、実際に安泰な生活が手に入って、初めて気づきます。
これを求めていたわけじゃない」と。

娘は、無事社会人になりました。
会社は、恵まれた待遇でした。
簡単に言うと楽でした。
クビになることもない。
特にノルマがあるわけない。
時間に追われる訳でもない。
黙っていれば給料がもらえる。
65歳まで居られ、その間にも70歳まで居られるようになるかもしれません。

これで「上がり」なはずでした。

でも、私が望んでいたものは、これではなかったのです。

何が足りないと思っていたのか?
何をやり残していたのか?

忘れたころに見る夢。
宿題をやっていなかった、試験勉強をしていなかった、という夢。
それは、「もっと勉強しておけばよかった」という後悔です。

私が後悔していたのは「大学に行かなかった」ことではない。
チャンスのあった一校を「受験しなかった」ことだったのです。
落ちたとしても挑戦すべきだったのです。
「挑戦」から逃げた自分を後悔していたのです。

こう気づくと、いろいろ合点がいきました。

大きな会社にはありがちです。
「予定調和の、形だけの会議」
「自分たちは勝ち組」意識の人たち
「意味がないとわかりつつ、命令だからやる仕事」
「周りの顔色ばかり見て、自分の意見を言わない」
こういったものへの違和感
「挑戦しない」人たちに違和感を抱いていたのでした。

それが「大人」の知恵であることは充分わかっていました。
一人変えようとしたところで変わらない。
一つも得することはないのです。

しかし、自分がどうしても我慢できないもの。
それは「自分がしたいこと」の裏返しでした。


「私は私である」ということ


思い返してみれば、過去にこんなこともありました。

20代後半、就職する会社を探していた時。
ある小さな住宅メーカーの面接を受け、話がほぼまとまりました。
「では〇月〇日から、よろしくお願いしますね。」

そのあと、会社の方が
「事務所の様子、見て行かれますか?」
と言ってくれました。
「はい」

そうして事務所に行ったのです。

男性はネクタイにジャケット。
女性社員は紺色の「制服」を着ていました。

今は少なくなったと思いますが、
当時「女性は制服」の会社は多かったのです。
「制服、着ないといけないですか?」
私は聞きました。
「女性社員は制服着用ですけど。」

「すみません、先ほどのお話、なかったことにしてください。

びっくりですよねー-?

制服がオシャレだったかどうかも憶えていません。
制服が便利とか、制服の意味も私にとっては問題ではなかった。

「私は私である」
ややこしいアイデンティティの持ち主なんだな。
今なら説明できます。

でも、当時は我慢ならない違和感しかなかったのです。


自分を形づくったもの


自分が「求めていたもの」に気づくと、
自分が「してもらえなかった」ことへの恨みの感情
これも、「違うかもしれない」と思うようになります。

親が何一つ私に期待せず、「勉強しなさい」と言わなかった。
だから、私は勉強が嫌いにならなかったのかもしれません。
私の、おそらく人の何倍もある好奇心は「知りたい」という欲求です。
押し付けられ義務的に勉強していたら、
この欲求は、生まれていなかったかもしれません。

そして
「あの時に挑戦しておけば」という思い
それが、私の生きる原動力になっていたのかもしれません。

人生に「もしも」は無い。

50代にもなって、私はやっと気づくことができたのでした。

残りの人生、本当に 「やりたかったこと」に向かって。

私は、会社を辞める決心をしたのでした。


あなたのやり残したことは何ですか?


若い時というのは意外に不自由です。

仕事(生活の糧)
人づきあい
目標
やりがい
結婚や家庭

あれやこれやと悩みながら
目の前のことを必死でこなしているうちに
毎日がどんどん過ぎていきます。

自分が「やりたいこと」ではなく
「やるべきこと」が優先します。

あなたはやっと今、一息ついた状態ではないでしょうか?
そろそろ自分の「中心」と対話をしてみませんか?

「そんなのないよ」という方も多いでしょう。

自分の「これは違う」と感じるものから辿るのも一つです。
私が大きな会社の「予定調和」がどうしてもいやだったように。

自分の声に耳を傾けてみてくださいね。

=======================
「50代からの未来をつくる」サービスを展開中
よろしければぽちっとご覧くださいませ。

=======================


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?