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人生後半は「選択と集中」:スーパーボランティア尾畠さんの話

たくさんの雑事で管理不能にならないために
人生後半は、徐々に生活を「集約する」
スーパーボランティア尾畠さんを見習いたい!
こんな話をしてみたいと思います。


日常生活のたくさんのモノとコト


毎日の生活、それだけで大変ですよね。

食事一つとっても
冷蔵庫に何があるか
賞味期限はいつか
組み合わせて作れるものは何か
足りないものを買い出しに行く
作る
多めに作って冷凍保存とか

今、衣替えの時期ですよね。
もう終わりましたか?
気温の今後の予想を見て
もう仕舞っても良いものを選ぶ
洗濯したりクリーニングに出す
収納ケースから冬物を出して
夏物をしまう
防虫剤を入れる
靴もサンダルをしまって
ブーツを出す

この時、
今年着なかった夏物をどうするか。
傷んだし捨ててもいいかも
今年は着なかったけど来年は着るかも
お出かけ着のつもりだったけど家で着られるかも
とか、悩む。

あと私は今、旅行の準備で大変です。
実家へ「草刈り」に行き
戻ってから、またボランティアに出かけます。
移動スケジュールを決めて
交通手段の予約
ホテルの予約
実家に行ったついでに友人と会うアポを取ったり
ボランティアの前後の観光のリサーチも(笑)

荷造りも
服は、気温を調べてどれくらいの準備が必要か
「草刈り」の野良着

ボランティアも
食事は自前で、店もないとのことなので
ある程度食べられるものも持っていかなくちゃ、とか。

どちらもある程度長い期間なので、ラン用の服とシューズも。
実家の「草刈り」道具も古くなってしまったというので
どんなのものがあるか、ホームセンターに見に行ったり。

私たちは本当にたくさんのモノとコトで生きているんですね。


日常生活はマネジメントそのもの


母が
「冷蔵庫には色々あるのに、
いざ何か食べようとすると、何食べたらいいんだか」と。
田舎で気軽に買物に行けないので、
「あるもの」組み合わせないといけない。
買物に行った時には、足りないものを買っておかないといけない。

毎日スーパーに行って
「今日は何を食べようかしら」
という生活とは違うのです。
計画性が必要なのですね。

これ、本当にマネジメントですよね。
こんなにたくさんのモノとコトをマネジメントしながら生きるって、
相当な能力が必要です。

高齢期に向けて、徐々にマネジメントの範囲
狭めていきたいものだなと思います。

家と暮らし相談アドバイザーの時に
全てがとっ散らかった状態で、
「お手上げ」になる人をたくさん見てきましたから。

では何を目指すか、イメージしてみたいと思います。


スーパーボランティア尾畠さん


スーパーボランティア尾畠春夫さんを見習いたいと思います(笑)!

以前「情熱大陸」で尾畠さんを取り上げていました。
尾畠さんの日常はこうでした。

・活動費は月々支給される国民年金(自営業だったため)55,000円から捻出
自前の軽トラックで全国へ出掛ける
・ボランティア先での食事や寝る場所などはすべて自己完結
普段の生活ボランティア時の生活に合わせている
 (落差があることで、不便を感じるため)
 ※パックご飯をそのまま食べる。
 ※普段からゴザの上で寝ている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%95%A0%E6%98%A5%E5%A4%AB

そして、活動を支えているのは、「体力」です。
ボランティアのきっかけも、登山から始まったようです。

40歳から趣味で登山を始め45歳の時に北アルプス55山を単独縦走
1993年からは、由布岳登山道の整備のボランティアを開始。
65歳の時に鮮魚店を閉店、3,300kmを3か月で踏破する日本縦断に挑戦し、人との出会いの大切さを改めて感じる。
この歳から本格的にボランティア活動を開始し、以降専念。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%95%A0%E6%98%A5%E5%A4%AB

また

自宅にいる時は毎日8kmほどジョギングをする。

82歳の今も、変わらず活動されているようです。
すごいですね!

今回調べて、改めて感動しました。
決して恵まれた生まれ育ちではなかったんですね。

は、尾畠が小学校5年生時の41歳で他界
酒好きであった父は、厳しい現実から逃れるためか、ヤケ酒に走る。
7兄弟の4番目の尾畠は、近所の農家に小学5年生で奉公に出される。この時、尾畠は「世の中なるようにしかならない。やるだけやってやろう」と心を入れ替え、奉公先の主人や家族を親だと思い、何でも言うことを聞くという生活に入る。
中学校へは4ヵ月しか通えなかった。
中学を卒業するとすぐに別府の鮮魚店の小僧となる。
10年の修業後、開業資金を得るために上京し、大田区大森の鳶・土木の会社に就職する。
1968年に大分に戻り、4月に結婚。同年11月、別府市内に鮮魚店「魚春」を開業
ボランティアを本格的に始めたのは、店を閉めた65歳のころ。
「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思ったから。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E7%95%A0%E6%98%A5%E5%A4%AB


学びたい「選択と集中」


もちろん、尾畠さんのような生活をするなんてできません。

見習いたいのは、この点です。
「自分のしたいことに、生活を集約する」

尾畠さんは自分のすべきこと「ボランティア」を、
生活の中心としています。
そのための体力維持も欠かしません。

自分のしたいことを絞り、他は無くしていく。

高齢になることで、好きなことをやめる必要はありません。
むしろ、最後まで好きなことをし続けるために

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