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誰かが何とかしてくれる?長い長い高齢期

私たち50代の多くが直面する、親の介護
私たちの時は、誰かがやってくれる?

親の姿から、思うことについて書いてみたいと思います。


こんな時だけ意思を示す


私は今、青森の実家に帰省しています。
86歳の母は、食事をしたり、トイレに行ったりという
「自分のこと」は出来ます。
しかし、それ以外のこと(家事全般)はほとんどできません。

私は、帰省するたびに「今回は怒らないぞ」と心に決めています。
でもやっぱり「怒る」ことが起こるんですよね
(洒落じゃないです 笑)。

今回は、、

前回は、布団を大量に処分しました。

しかし、半分残っています。
実家滞在中に寝るための布団を出そうと押入を開けると。。

かび臭い(-_-;)

前回の帰省の時に乾燥剤を買い、入れておきました。
そんなもんじゃ効かないのです。
そこで、ネットで小型の電気除湿器を購入し、設置しました。

水がたまるたまる。。
1リットルあまりのタンクが、4日くらいで一杯になります。
掛け布団を入れている押入は、臭いがだいぶマシになりました。

でも、敷き布団の入っている押入れの臭いは相変わらずです。
乾燥機じゃないしね、、
この布団で寝るのは、私か兄か私の娘です。
体がどうにかなりそう(-_-;)

やっぱ無理よ、これ。

昔の「敷布団」より、今の「マットレス」タイプのほうが、
よっぽど寝心地も良いしね。

「今度誰かが泊まるときには、事前にネットでマットレス買うから、
これは捨てよう。」
そう提案します。
案の定、うんとは言わない母。

「臭い、かいでみて」
「。。。」
「かび臭いでしょ?」
「わからない。」
「もっとかいでみてよ」
「布団の臭いね。」

怒!
強烈な認知バイアス!!

86歳の母はもう、一日のほとんどを寝ているかテレビをみているかです。
母は使わない、
動かすことさえできないのに。
「否」という意志だけは示します。

そもそも必要ないもののために、
「除湿剤→除湿器→やっぱり捨てる」
こんな時間とお金と労力を掛けているんですけど。。


子育てとは違う

addressの家で出会った女性。
40代後半、独身、お母さんと二人暮らしとのことでした。

70代後半のお母さんは、軽度の認知症があり、
持病の薬の管理などが難しい状態とのことでした。

お母さんは何ごとも干渉されるのがイヤで、
服薬も彼女が気遣うのを嫌がり、
彼女にとってもストレスになっている、と。

家事や通院のほかにも、何かと気遣いが必要で、
毎日の時間が「溶ける」と言います。
もともとフリーランスのような形で仕事をしていて、
時間がない分仕事量は減り、
おのずと収入も減ってしまったそうです。

兄弟からは、
「(実家住まいで)経済的に助かっているでしょ。介護もやって当然。」
と思われている、と。

親の介護をしている方は、本当にすごいなと思います。
もっと認められても良いですよね。
「イクメン」ともてはやされるレベルじゃないですよね。

子育てと違う大変さは、
本人に「強固な意志」があることではないでしょうか。
介護する側に、大変なストレスが発生したりします。

しかも「やって当然」の空気がないでしょうか?


結局、身内頼り?


田舎に住んでいる友人。
お母さんと二人暮らしで、小学校の先生をしています。
私が帰省した時には、ちょくちょく会っています。

先日会った時の話です。
彼女のお父さんは、随分前に亡くなっています。
そのお父さんの姉と妹(いずれも80代、彼女にとってはおば)。

お姉さんは少し前に施設に入った。
独身で近くに頼れる人もいないため、
姪っ子である彼女が、ちょくちょく様子を見に行っているそうです。

妹さんのほうは最近事故にあい、入院中だそうです。
息子さんは遠方に住んでいるため、
事故に関する手続きや入退院の手配などを、彼女がしたそうです。

「(お母さんと合わせて)3人が肩にのしかかってるね。」
わたしが言うと
「そうなのよ、、」
そう言って、肩のあたりを触ります。

「しょうがないんだけどね。でも、私の時は?
彼女は独身です。


誰かが何とかしてくれる?


私の母は要介護1の認定を受け、
介護サービスを色々と利用できるようになりました。

しかし、誰かがそばにいつもいるのとは違います。
サービスを組み合わせて一人で暮らすには、
「出来ることは自分でする」という気力と、
マネジメント力が必要だなと感じます。

母にはどちらもない上に、「変化」を拒絶するため、
着地点は見出せません。

結局は「誰か(私?)が何とかしてくれる」
そう思っていないでしょうか?

では、私たちの時はどうなるのでしょう。

addressで出会った女性も、私の友人も独身です。
私には娘がいますが、あてにしても良いのでしょうか?

「人が長く歳をとり続ける」ことがこんなにも明らかなのに、
30年後もなお「なすがまま」は、許されるのでしょうか?


「最後は6畳」を切に思う


母が今、週に一度だけ利用しているホームヘルプサービス。
対象は「室内」の、本人の「日常に関わる部分」のみとのことです。

「玄関先を掃いてほしい」
「玄関や窓を拭いてほしい」
「戸棚の中を整理してほしい」などは、除外だそうです。

「杓子定規!」と、母は不満です。
私も「少しくらいやってくれればいいのに」と思います。

でも、田舎の家は広いし、
高齢者の家はモノがあふれています
キリが無いんでしょうね。

そもそも「日常に必要な範囲」を整えておけば、
ストレスもないし、
生活もスムーズに回るんですよね。

数十年も前の贈答品
風景になってるだけの思い出のもの
お客さんが来ないのに「お客さん用」
メンテナンスできていない使えないもの


外に放置された植木鉢だけでも、50個はあります。

大量のものを「捨てるな」と言っていないで、
「長い高齢期」をちゃんと、
「自分で」イメージしないといけませんよね。

私たちは、思考が停止してしまう「前」に、見直しましょう。

「最後は6畳一間」
心したいです。

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