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アコーディオンでこぼこ道中2「再会編」

「アコーディオンの音色は人を幸せにする」安西はぢめです。

アコーディオンでこぼこ道中「出会い編」では私の小学校時代に遡るアコーディオンとの馴れ初めをお話ししました。大学でもトランペットを続けたさにジャズ研に入りました。トランペットでどんな活動をしていたかは本筋と関係ないので割愛しますが吹奏楽経験者ということでビッグバンドに入ったり、スペイン語学科の生徒を中心としたサルサのバンドに参加したりそちらはそちらで楽しく過ごしました。

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さて、「こちら」の話をしましょう。大学では中国語を専攻しまして(その話しも長くなるのでまた別の機会に)、「せっかく語学をやるんだから文化そのものも学びたい」と思って入学式の後クラス分けをしたすぐ後、日中同時通訳の大家にして担任の故塚本慶一先生「中国音楽を教えてくれるところはありませんか?」と聞きに行き、ご縁ができたのが東京琴社社長の坂田進一先生でした(文末注1)

そこで私は中国の古典音楽の基礎を勉強させて頂くことが許され、先生との長きに亘る師弟関係は今に及びます。ここでお名前を出したのは、何と言ってもこの方の存在こそが私の音楽人生、アコーディオン人生に欠かすことができないからです。

アコーディオンの先祖に出会う

さて、通い始め当初は二胡を手に取り基本的な奏法を学びました。90年代初頭のことなので「二胡」が何なのか知る人はまだあまり無く、今のようにどこにでも楽器が売っていて、どのカルチャースクールにもクラスが出来るような日が来ようとは想像もできない時代でした。坂田門下では入門後しばらくして、ある程度上達すると他の門下生を交えた合奏に加わるのが倣いでした。私は好奇心が多い上にそこそこ器用な方だったので、二胡を皮切りに揚琴(サントゥール、ハンマーダルシマー、ツィムバロンのようなピアノの前身に当たる楽器の仲間。竹のバチで叩いて演奏する)や琵琶、月琴、大阮など糸を弾(はじ)いて音を出す撥弦楽器類など、足りないパートをオールラウンドにカバーするポジションへと成長していきました。とりわけ、アコーディオンの先祖に当たる「笙」を吹いたりするのが楽しく、夢中で通っておりました。この恵まれた環境で何年も過ごしたことで、その後も特別の疑問・抵抗感を持たずに何種類もの楽器に触れて行くようになりました。丁度アイリッシュのミュージシャンの中には、笛も吹けばフィドルも達者で、ギターも普通に弾けたりする人がいてもそれほど驚かれないどころか、自然に受け入れられている感覚に似ているかも知れません。ジャグラーやダンサー、その他お料理や手芸などの分野でも自分の専門だけでなく幅広く色んなスタイルを勉強するのは極く当たり前のことというのは分かっていただけるのではないでしょうか。

さて当時、同門の兄弟弟子やその他にも出入りをしている人たちには様々な音楽の専門家が何人もおり、中国音楽や日本の古典が研究対象であっても西洋音楽の専門教育を受けていたり、アマチュアでも洋楽器に長けた人がたくさんおりました。坂田先生を始め和漢洋の音楽世界を自由に行き来する先輩方を眩しく眺めて「自分もその仲間入りをしたい」とそればかりで頭が一杯の十代でした。そんな時、ついに人生の転機が訪れます

閑話休題1 懐古写真館

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【初めの頃は二胡に専念していました(湯島聖堂大成殿内の中国古典音楽 定例コンサートにて)】

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【揚琴を覚え始めの頃でしょうか。日付けからすると、恐らく1991年の忘年会。なんと当時19歳(遠い目)】

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【琵琶をよく担当していた時期もあります。感情移入しやすくて、奏法も多彩で大好きな楽器です(湯島聖堂大成殿前にて演奏後に一門で。最後列中央が恩師坂田進一先生)】

閑話休題2 笙の話しを少々

日本にも伝来して今でも雅楽に使われている十七管の竹を束ねたような楽器「笙」こそまさしくアコーディオンの祖先なのです。大航海時代が始まり、ヨーロッパの商人や宣教師が世界中に訪れその先の文物を持ち帰った中にも笙がありました。その発音原理を利用して大きく発展させたものはパイプオルガンですし(オルガンは吹子で空気を送って音を出します。足踏み式のオルガンを懐かしく覚えていらっしゃる方もいるのでは無いでしょうか?あれも空気を送っています)、それを調律するのに基準となる音を出すために作られたのがハーモニカの起りで、ハーモニカに蛇腹を付けて手で弾いたらどうだろう…と言うのが初期のアコーディオンのコンセプト。その大本の笙に触れて汽鳴楽器(空気が金属片を鳴らして音がする楽器の総称・フリーリード楽器)の魅力に惹かれて行くのでした。

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【「マイ笙」。確か1994年に蘇州へ崑曲を聴きに行き、その時に楽器屋の片隅にぶら下がってたのを300元くらいだったと思います(その時、小さい揚琴も買ったので帰りの荷物が重くて大変でした)】

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【笙は紀元前、殷代の甲骨文に記載が残る、また2400年ほど前の物と思われる遺物が現存する古い楽器です。日本には奈良時代頃雅楽と共に伝来したとされていますね。分解すると竹の根本に簧(こう・した・huang)があるのをご覧頂けます。この小さな金属製のリードが空気の振動で豊かな音を出します。よく吹いていた頃は本番前に調律もよくやりましたが、なかなか細かい調整が難しい作業です】

出会いはシュランメルン

皆さんはシュランメルン(墺独語:Schrammeln, Schrammelnmusik)というジャンルの音楽をご存知ですか?音楽の都ウィーンの作曲家ヨハン・シュランメル(Johann Schranmmel, 22 May 1850 - 17 June 1893)が、バイオリン×2、G管の高音クラリネット、コントラギターの4人編成でバンドを始めたところ大変に人気が出て、そのスタイルのことをシュランメル(シュランメルン)と呼ぶようになったものです。主にホイリゲ(ワイン酒場)を演奏の場にして、オリジナル曲以外にクラシックの有名なメロディを編曲したものなどを弾いていました。歌手が加わることもあります。そんなシュランメルンですが、やがてクラリネットパートが、持ち運びできて豊かな音量があって、しかも和音が出せる素晴らしい楽器「アコーディオン」に取って代わられていきます。

本場ウィーンのシュランメルン楽団の演奏の様子↓

アコーディオン好きの方にちょっとご説明すると、ここで使われているアコーディオンはヴィナーハーモニカ(墺独語:Wiener harmonika)と呼ばれるごく初期の「クロマチック・アコーディオン」(3列B配列。基本的に右側だけで演奏する)で、今でも生産されていますし、こだわりを持ってヴィナーハーモニカで演奏するバンドも幾つもあります。しかし、最近ではピアノ式アコーディオンで代用されることの方が一般的なようです。お聴きの通りテンポが自在に優雅に揺れる様子がいかにもオーストリア音楽という感じで本当に心地良く感じます(友達に聴かせたらテンポの揺れが気持ち悪いと言われてしまったこともありましたが)

さて、長々とシュランメルンについて書いてきましたが、先ほどの坂田先生はバイオリンも嗜む方で、このシュランメルン音楽が大好き。門下生の中からメンバーを集めてシュランメルンの演奏を楽しんでいたのです。私は誰も弾き手がいなかったコントラギターを担当することになりました。安西はぢめ19歳、また特殊楽器に手を染めました。

何度もリハーサルや演奏会を経る内に自分の対角に座っているアコーディオンの音色がたまらなく良く聴こえて来て、いつしか「自分もアコーディオン弾いてみたい!」と思うようになりました。そこで、先生に正直に話すと神田小川町にあった伝説のアコーディオン調律家、故渡辺節さんのお店「渡辺楽器」に中古の楽器(注2)を一台手配してくれました。ここからアコーディオン人生の第一歩を踏み出したので、私のアコーディオン音楽の原体験はシュランメルンだと言えます。今回はここまで。さあ、いよいよはじまるのか?アコーディオン人生が!!

ハッピーアコーディオン安西はぢめ

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注1)恩師坂田進一先生。作・編曲家。琴士。坂田古典音楽研究所所長。東西の古典音楽に通じ、実践と理論の両方に優れている稀有な方。蛇腹楽器にも造詣が深く、ご本人もトライアンフ・コンサーティーナの演奏で70年代頃からメディアへの出演もあり、先駆者ともいえる存在。後に私が入門するボタンアコーディオンの師匠金子元孝(後に万久と号する)と親交が厚く、赤坂溜池にあった伝説のビアホール「ベルマンズポルカ」へ十代の私を食事に連れて行ってくれて、金子先生と初めて引き合せてくれた育ての親ともいえる存在。私も多大な影響を受けていて、若い演奏家を食事に連れて行ったり「本物」に触れられるようにお手伝いするのは、坂田先生のお陰で見る事ができた世界や、紹介された方が後々かけがえの無い宝物になっているため。CDの献辞には坂田先生、金子先生お二人の名前が書いてあるのはその感謝の気持ちの現れです。2017年12月坂田先生が教鞭を執っておられた上海音楽院で坂田先生の古希のお誕生祝いがあり、上海へ行き一緒にシュランメルンのコンサートを演ったのは誠に感慨深い出来事でした。

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【2017年、坂田進一先生、古希祝賀演奏会の様子。日本人がウィーンの音楽を上海で演奏する…感無量でした。2枚目の写真で先生自ら弾いておられるのが低音豊かなコントラギターです】

注2)ホーナーのMML80ベースでした。後に手放してしまいましたが、今でも細部まで良く覚えています。良く鳴る楽器でした。









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