見出し画像

「〇〇で世界一になる」ー「世界にひとつだけの花」の歪んだ展開。

まったくの勘なのですが、日本の小さなサイズの企業が「〇〇で世界一になる」と宣言する光景を頻繁に目にするようになったのは、今世紀はじめではないかなあという気がしています。

SMAPの「世界にひとつだけの花」が発売されたのが2002年です。歌詞の最後は「小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」です。

だが、その頃に起業家の集まるメーリングリストで「目指すは世界一ではなく、ONLY ONEだよね」とこの歌に共感しながら、「結局、ONLY ONEは世界一なんだよね」とロジックが微妙に転回していた記憶があるからです。

日経新聞の記事で探すと、2016年1月に以下があります。まさしく、この種のNO1に目が向き始めたのが20年ほど前ではないかと思うのですが、実のところ、動機がどうだったか、どの時期がはじまりであるか、それらはあまり重要ではありません。

国内でそれほど名が知られていないにもかかわらず、グローバルで強い存在感がある企業に迫る。そうした企業群にクローズアップし「地域」や「品目」などで掘り下げると、都市、大企業に偏らない実態がみえてくる。世界トップクラスのシェアを誇る企業は全国に散らばる。全自動イカ釣り機、どら焼きや即席麺の製造装置、水族館向け大型アクリルパネル、特殊な顕微鏡や検査装置など特定分野で技術力がキラリと光る。

「世界シェアNo.1」隠れた日本企業のチカラ

見つめるべき課題は「世界一」との表現に込めたい精神性ではないか、と思うのです。いくつか、思いつくことを書いてみます。

「世界一」は井の中の蛙大海を知らずと紙一重

かつて評論家の加藤周一が次のようなことを話していました。

「富士山が美しい」と言う人がいれば、私もそう思う。「富士山は日本一美しい」と言われれば、首をかしげるも、その発言の趣旨は分かる。ただ「富士山は世界一美しい」と言うならば、井の中の蛙大海を知らず、と言いたい

火山という自然現象でできた似たような形状の山は、韓国にもインドネシアにもあり、どれが世界一美しいとは言い難いのです。そもそも、美しいということに一位も二位もありません。本来、ランキングできないものを無理に順位をつけようとする。

しかしながら、ランキングできないものを何らかの指標でランキング化する行為はどこの文化圏においても目にします。例えば、欧州の国の生活の質の良さをアピールします。しかし、当の欧州人も本音のところで、「自分が住んでいるところの生活の質は高いが、世界一とは思っていない」と考えています。

何ごともランキング化する、何かのコンペやコンクールで目立つ、ということに関心がないわけではないですが、それほどに視野狭窄的に熱が入っているわけではないのです(「最高レベルのひとつ」とかいう言い方をして抑制をきかせる)。

それが「我が店はピッツァで世界チャンピオンになった」という店が各地に乱立する日本との違いでしょう。あるいは、楽器演奏であれば、国際コンクールに入賞することを最優先するのも似たメンタリティにあります。

「オリジナル」の多様な解釈が余裕のある世界観をつくる

先月、日本に滞在中に見にいった展覧会があります。六本木の21_21 Design Sight で開催している「The Original」です(6月25日までですね!)。

ここでいう「The Original」は必ずしもものづくりの歴史における「始まり」という意味ではありません。多くのデザイナーを触発するような、根源的な魅力と影響力をそなえ、そのエッセンスが後にまでつながれていくものです。<中略>「The Original」をあらためて見つめなおすことは、デザインの時間を超えた文脈と、それらを生み出したデザイナーたちとのつながりをもたらし、私たちの思考や行動の可能性を広げることにつながるでしょう。

The Original

会場には「オリジナル」と判断された雑貨や家具などが100数十点展示されています。上述にあるように、「はじまり」ではなく、あえて言えば、後々の時期まで、参照されたり模倣されるに至るくらいに「影響を与えた」ようなデザインコンセプトや形状を「オリジナル」と言っています。

(この展覧会をみながら、日本において150年以上に渡るプロダクトデザインの歴史を実際にみる機会は少ないのだな、と見学者の様子を眺めていて感じました。「今回は、このアングルから時代を切り込んだか!」という批評をしている人が少ないように思ったのです。そして年表的な解説を熱心に読む。まったくの印象ながら)

このような「オリジナル」定義は、とても寛容で成熟したものです。決して生硬ではない。そして、多様な解釈を許すこのような定義の提案が、より余裕のある世界観を導きます。「世界一」や「コンクールで入賞!熱」とは距離のある姿勢がうかがえるのです。

目指すべきは、「オリジナル」と評価される存在になることではないか、と思います。

「オリジナリティ」を強調する

今週、マザーハウス副社長の山崎大祐さんが、マザーハウスとは別に独自に企画開催している教養ゼミで話す機会がありました。受講者たちが課題図書である『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』を事前に読み、印象に残った部分、著者に質問したいこと、これらをメモしてくれました。

メモに沿ったカタチで受講者、山崎さん、ぼくの3者が議論するわけです。

ここで山崎さんが何度も強調したのは「オリジナリティ」です。他のライバル商品より品質が良いとか高機能であるということではなく、どこにも対抗馬のいない世界観こそが強みであり、それが長い時間、一貫性をもってキープされたとき、ブランドとして確立されると語ります。社長でありデザイナーの山口絵里子さんは、まさにこの姿勢を具現化している、と。

さらに、山崎さんが指摘しているのは、面白法人カヤックが経営理念について述べていることも引用しながら、日本の企業の経営理念は「世界」という言葉を使う傾向にあり、オリジナリティのあるものが見つけにくい、ということです。

再び、「The Original」の展覧会のコンセプトと関連付けてみると、会社の方向性を示す記述そのもので、他の企業のあり方に影響を与えることが少なくなっているということでしょう。即ち、オリジナリティの競い合いをしていない・・・。

鉄パイプを2本接合させるのは容易だが、2つの色を混ぜるのは難しい

ピカソの言葉に「鉄パイプを2本接合させるのは容易だが、2つの色を混ぜるのは難しい」というのがあるそうです(「あるそう」と書くのは、20世紀後半のデザインの巨匠、エットーレ・ソットサスが、この言葉を引用したからです)。

つまり、鉄パイプの接合ではオリジナリティはなかなか得られないのです。何らかの融合や化学的変化がオリジナリティには必要です。そして、ソットサスはさらに「3-4種類の色を混ぜるには、それなりの経験が必要だ」と説明しています。

このステップまで到達したときはじめて、ランキング的ではない、即ちはスペック的ではない、一歩抜け出たものが浮上してくるはずです。「オリジナリティがある」と認知され、かつ「空間と時間の両方の軸で影響を与えた」と「オリジナル」と後に評価されるには、以上のようなプロセスがあると思うのです。

何らかの狭い領域で世界一を狙うのは、数値的な比較ができる製品に限定されています。そのような比較が不可能な領域で世界一を狙うと宣言するのは、自己矛盾に陥り、歪んだ精神状態を招くのでお勧めできないです。

今一度、頭の中を解放する工夫をしてみましょう。そこから一歩前進しようとするとき、新ラグジュアリーというフィールドのありかに有難味を感じるはずです。その理由は、本を読んで理解してください。

冒頭の写真©Ken Anzai


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?