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#レビュー
究極の左翼性とは何かー吉本批判への反批判
ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「究極の左翼性とは何かー吉本批判への反批判」(A105/1987年)を聞いて考えたこと。6回目。
ある考え方やグループにラベルをつけにくくなった1987年、唯一の党派性は資本主義か社会主義かだけである、と吉本隆明は語った。一般大衆が主役になったとき、一般大衆の声をどれだけ分かるか。問題はそこにしかない。左翼や右翼であることに意味がなくなった、と。
こ
時代はどう変わろうとしているのか
ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「時代はどう変わろうとしているのか」(A094/1986年)を聞いて考えたこと。5回目。
ある分野やモノについては究極のイメージを掴みかけてきたのではないか。
日本のなかで、そう思い始めた人が多くなってきたのが1980年代だった。国民の9割は中流意識をもっているとの世論調査の結果が流布していた頃だ。
吉本隆明は中流意識の拡大と並行して、究極のイメー
古い日本語のむずかしさ
ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「古い日本語のむずかしさ」(A081)を聞いて考えたこと。4回目。
漢字の象形文字を解読をして「本来、これはこういう意味だ」と解説する人がいる。ごめんさい。ぼくは、そういうところから話をスタートされるのがどうも苦手だ。
あるオリジナルなるものが絶対的にあり、そこに人間の知恵の全てが込められていると言われているようなものだ。そういう解釈もあるかもしれな
「ふつうに生きるということ」
ほぼ日にアーカイブされている「吉本隆明の183講演」にある「ふつうに生きるということ」(A182)を聞いて思ったこと。1回目。
偉大と称される人は実は日常生活をまともに送れる人ではない、と昔から言われてきた。
「あの人はえらいと言われているけど、家のなかではまったく違う」というのは、まったく珍しくないエピソードだ。「そうなんですか!」などと驚くのはフリでしかない。
ふつうの人や生き方に価値が