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古い日本語のむずかしさ

ほぼ日アーカイブ「吉本隆明の183講演」から「古い日本語のむずかしさ」(A081)を聞いて考えたこと。4回目。

漢字の象形文字を解読をして「本来、これはこういう意味だ」と解説する人がいる。ごめんさい。ぼくは、そういうところから話をスタートされるのがどうも苦手だ。

あるオリジナルなるものが絶対的にあり、そこに人間の知恵の全てが込められていると言われているようなものだ。そういう解釈もあるかもしれないけど、「ほんとかよ。で、それで?」との気分になるのは避けられない。

古い日本語がむずかしい理由の一つに、漢字を日本語に当て字として使いはじめたからであると聞いて膝を打った。今からー江戸時代の国文学者であってもーではほとんど意味追跡不能で、古い日本語をいわば「犬も歩けば棒にあたる」状況で解釈してきた(いや、吉本隆明は、こんな失礼な言い方をしていませんが)。

古い日本語がこうなんだから、もとの漢字の意味だって怪しいのでは?と思っておかしくないはずだ。いくら規則性が強いといっても。

「そんな想像の産物というか、こじつけみたいな話で真理を説く顔をするのが不遜なんだ」と、ぼくは急に味方を得たような自信を得る。が、かといってそれで大きな顔をするわけにはいかない、当然。

ただ、歴史は宝の山だと舌なめずりする輩には気をつけた方がいい。

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