安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグ…

安西洋之(ビジネス+文化のデザイナー)

モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノ/東京。最新著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(共著)『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』、監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。訳にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』

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イタリアデザインについて語る場です。ことに20世紀後半、ミラノを中心として、どのように新しいデザインが生まれたか?が焦点です。このテーマの本を執筆する予定です。したがって、その頃のキーパーソンたちにもインタビューしていきます。そのリサーチ活動のプロセスやその時々に考える記事を毎月、2本程度は書いていくつもりです。 大文字(広義)のデザインと小文字(狭義)のデザインの両方をカバーしていくので、どちらか片方ではなく、両方に関心のある方に読んでいただきたいです。ロベルト・ベルガンティ『デザイン・ドリブン・イノベーション』、安西洋之『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?』あたりに関心があれば、ぜひ!

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マガジン

  • 本の感想を書いてます。

    本の感想をあまり長くなく、500字周辺を目安に書いたものです。

  • 文化の読書会

    • 253本

    読んだ本の趣旨を1章ずつ1000字以内で書いていっています。

  • 文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

    • 188本

    文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスのための文化」とでも言いたげな論が目につきます。それ、いいの?という文章を書いていきます。

  • 日経COMEMO

    • 13,133本

    日経COMEMOは、様々な分野から厳選した新しい時代のリーダーたちが、社会に思うこと、専門領域の知見などを投稿するサービスです。 【noteで投稿されている方へ】 #COMEMOがついた投稿を日々COMEMOスタッフが巡回し、COMEMOマガジンや日経電子版でご紹介させていただきます。「書けば、つながる」をスローガンに、より多くのビジネスパーソンが発信し、つながり、ビジネスシーンを活性化する世界を創っていきたいと思います。 https://bit.ly/2EbuxaF

  • メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか?

    最新著書『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』に関するさまざまなメモを書いていきます。

記事一覧

遊びの規則に対して懐疑はありえない。

文化の読書会ノート。 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』序説および第1章 文化現象としての遊びの本質と意味 (序説によれば、ホイジンガの関心は)文化そのものがどこま…

正解のないラグジュアリー探求のプロセスに意味がある・・そして面白さがある。

日経新聞電子版の次の2つの記事を読むと、これまで画一的で固定的に捉えられていたラグジュアリーとは異なるラグジュアリーのありようを目指す動きがあるのが分かります。…

都市と農村をつなぐ食 ー 農業が社会を変えるとは?

新・ラグジュアリーのオンライン講座でガストロノミーを取り上げたことがあります。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんに講師になってもらっ…

ミラノデザインウィークの行列風景が普通になった ー個人データが行列をつくる

数年前まで、ミラノデザインウィークである展示を見るために長い行列ができるのは限定された著名ブランドだけでした。 しかし、今や行列ができるのが普通です。それも街中…

意味が問われる時代のカラー ーミラノデザインウィークに関するメモ 2

今年のミラノサローネ国際家具見本市を核としたミラノデザインウィークにおいても、素材メーカーの存在感が十分に発揮されていました。その象徴的な事例がKartell x Libert…

カラーはコンセプトの構成要素か?ーミラノデザインウィークに関するメモ 1

「コンセプト」という言葉はよく使われますが、コンセプトが指すイメージには結構、文化差があるものです。 のっけからやや難しいことを言えば、装飾的であることが「単な…

デザインとアートの接近をみる

従来の枠組みが壊されても、すべてがボーダーレスになるわけでもなく、なんらかの新しい区切りはできていくーーそれでも、枠組みが壊されたり、新しい繋がりができるシーン…

スマートホームにおける親子のもめごと

最近、欧州のある研究機関のアンケートに回答する機会があり、質問のひとつに「あなたは、技術発展は新しい社会をつくると心が躍るタイプか?」とありました。それに対して…

インテリアの色の選択に潜む「内なる保守性」を壊そう!

インテリアの色を考えるのって、結構、保守的になりやすいと思います。白の壁を基調とすると、どうしてもミニマリズム志向の罠にはまります。無駄を省こうとすれば、なおさ…

企業の採用担当者って、世の中のことをもっと勉強したら?

文系修士の採用を避ける人事担当者がいるなら、それは「採用担当のあんたが悪い!」と言わざるをえません。学生が反省することではない。学生に就活で不利だと思わせる企業…

「悲観論は無意味で有害だ」と言った方が良いのか?

楽観的なことを言っているとアホかと思われ、悲観的なことを言っていると賢いと思われる・・・というのもかなりステレオタイプな理解です。 ハンス・ロリングとオーラ・ロ…

親が学校教育を終えた子どもにできること。

親が子どもの学校教育終了後の進路にどこまで相談にのれるのか、あるいはのった方がよいのか、案外の案外、一筋縄ではいかないテーマです。 ぼく自身の例を話しましょう。…

活動なしに快楽は生じない。同時に、あらゆる活動を完全なものにするのも快楽である。

文化の読書会ノート。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』第10巻 快楽の諸問題と幸福の生 納富信留『ソフィストとは誰か』と交互に読んでいる(読み終えたので、正確に…

ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方

ガストロノミーが注目を集めつつあります。ガストロノミーは料理を中心として文化や歴史などあらゆる分野を視野に入れていきますが、実践や体験とそれらの成立の背景を実感…

友人の誕生パーティーで出逢った人たち。

先週末、ミラノから東南に300キロほどいったファエンツアに出かけました。アイルランド人の友人の誕生日の前夜祭です(誕生日は丘の方にあるワイナリーのレストランでの昼…

イタリアデザイン史を振り返る 1

佐藤和子の『「時に生きるイタリアデザイン』の背景について以下のように書いたが、デザインの読書会の課題図書にしたので、気になるところにメモを残しておこう。今回の対…

遊びの規則に対して懐疑はありえない。

文化の読書会ノート。 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』序説および第1章 文化現象としての遊びの本質と意味 (序説によれば、ホイジンガの関心は)文化そのものがどこまで遊びの性格をもっているか、である。遊びが文化においてどういう位置をしめるか、ではない。これをテーマに本を書くに情報が十分ではないとは承知のうえで、彼は本を書くことにした。 ーーーーーーー 遊びは文化よりも古い。子犬がじゃれる様子をみればわかるが、遊びは文化以前で、人間に限られたものではない。 心理学や生理学

正解のないラグジュアリー探求のプロセスに意味がある・・そして面白さがある。

日経新聞電子版の次の2つの記事を読むと、これまで画一的で固定的に捉えられていたラグジュアリーとは異なるラグジュアリーのありようを目指す動きがあるのが分かります。 日本でも動き出してきたな、と思いました。 かといって、以下の記事にあるような、一部のラグジュアリーのビジネス動向にやや影がでてきたことをもって、新しいタイプのラグジュアリーの勢いがでてくるとの論調は先走っている感もあります。というのも、「クワイエット・ラグジュアリー(静かなぜいたく)」というトレンドを取り入れれば

都市と農村をつなぐ食 ー 農業が社会を変えるとは?

新・ラグジュアリーのオンライン講座でガストロノミーを取り上げたことがあります。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんに講師になってもらったのですが、彼女の以下の指摘がいろいろなところに適用できると思いました。 『南イタリアの食とテリトーリオ ー農業が社会を変える』(白桃書房 木村純子・陣内秀信 編者)を読みながら、上記を思い出しました。中小路葵さんはフランスの宮廷料理を起点としたトップダウン型とイタリアの家庭料理からのボトムアップ型を対比したわけです

ミラノデザインウィークの行列風景が普通になった ー個人データが行列をつくる

数年前まで、ミラノデザインウィークである展示を見るために長い行列ができるのは限定された著名ブランドだけでした。 しかし、今や行列ができるのが普通です。それも街中のイベントだけでなく、郊外で開催されるミラノサローネ国際家具見本市内の各ブースでさえ、入るのに行列をつくるのが珍しくなくなりました。そして、夕方、会場からタクシーで市内に帰るにも延々と並ぶ・・・冒頭の写真です。地下鉄の駅から遠いホテルに宿泊している人たちなのでしょう。 それでも今年のサローネの入場者が370,824

意味が問われる時代のカラー ーミラノデザインウィークに関するメモ 2

今年のミラノサローネ国際家具見本市を核としたミラノデザインウィークにおいても、素材メーカーの存在感が十分に発揮されていました。その象徴的な事例がKartell x Liberty です。 以下、サローネ会場におけるカルテルのブースです。フィリップ・スタルクがデザインした手前のチェアがリバティ柄になっています。 カルテルは化学者のジュリオ・カステッリなどによって1949年に創業したプラスチックをコアとする雑貨・家具メーカーです。1960年代に成功した後、一時、低迷期を過ごし

カラーはコンセプトの構成要素か?ーミラノデザインウィークに関するメモ 1

「コンセプト」という言葉はよく使われますが、コンセプトが指すイメージには結構、文化差があるものです。 のっけからやや難しいことを言えば、装飾的であることが「単なる外面」のことなのか、装飾こそがコトのエッセンスに投影される「レトリック」なのか。例えば、カラーはコンセプトに付随的なものなのか、カラーは身体感覚の一部にあり、コンセプトそのものを構成するものなのか、というのが今回の記事のテーマです。 4月6-21日の6日間に渡り実施されたミラノサローネ国際家具見本市とデザインウィ

デザインとアートの接近をみる

従来の枠組みが壊されても、すべてがボーダーレスになるわけでもなく、なんらかの新しい区切りはできていくーーそれでも、枠組みが壊されたり、新しい繋がりができるシーンには期待で心が躍るものです。 現在、ミラノのデザイン関係者たちは16-21日の6日間に渡り実施されるミラノサローネ国際家具見本市やデザインウィークの準備で大わらわです。 2月に行われたプレス発表については上の記事に書きましたが、デザイン関係者の1人であるぼくも、さまざまな渦のなかにいます。 今年の大きな変化につい

スマートホームにおける親子のもめごと

最近、欧州のある研究機関のアンケートに回答する機会があり、質問のひとつに「あなたは、技術発展は新しい社会をつくると心が躍るタイプか?」とありました。それに対して「まあ、その類」と答えました。 テクノロジーオタクでもないですが、数多のテクノロジーがそれまでと異なる世界をつくるに貢献してきたのは確かなため、やはりその世界の到来には期待大です。 さて、今週、どういうわけかスマートホームに引っ越ししました。同じミラノ市内です。 「どういうわけか」と書くのは、もともと1世紀以上前

インテリアの色の選択に潜む「内なる保守性」を壊そう!

インテリアの色を考えるのって、結構、保守的になりやすいと思います。白の壁を基調とすると、どうしてもミニマリズム志向の罠にはまります。無駄を省こうとすれば、なおさら色への挑戦はしづらくなる。 来月、引っ越しをするので新しい家具などを選びながら、自分の内に潜む「保守性」に気づかされます。 例えば、白い壁に白系統の大理石にどのような生地のソファが良いか?黒いピアノを壁によせておくと、白と黒のコントラストが強すぎないか?悩みは尽きないばかりでなく、家族のなかでも趣味は違います。

企業の採用担当者って、世の中のことをもっと勉強したら?

文系修士の採用を避ける人事担当者がいるなら、それは「採用担当のあんたが悪い!」と言わざるをえません。学生が反省することではない。学生に就活で不利だと思わせる企業側は、あまりに社会をみる目がないとしか言いようがないのです。 「課題発見能力に期待」などと能力を細切れにせずとも、もう総合力で良いに決まっているじゃない。 今頃、何を言っているのでしょうね・・・。 ぼく自身は人文系学部卒です。しかし、大学で話す機会も多いし、大学の先生と一緒に仕事するのが日常です。また、社会人の修

「悲観論は無意味で有害だ」と言った方が良いのか?

楽観的なことを言っているとアホかと思われ、悲観的なことを言っていると賢いと思われる・・・というのもかなりステレオタイプな理解です。 ハンス・ロリングとオーラ・ロスリングの『ファクトフルネス』が大ヒットしたのは、データをみると「世界って結構イケている方に向かっている」と実感した人が多いからでしょう。 楽観的になれるのは気持ちのもちようではなく、現実把握力によるのだ、というわけです。以下の記事もその線で書かれています。 最も知識が少ない人が将来を最も悲観していた。比較的に貧

親が学校教育を終えた子どもにできること。

親が子どもの学校教育終了後の進路にどこまで相談にのれるのか、あるいはのった方がよいのか、案外の案外、一筋縄ではいかないテーマです。 ぼく自身の例を話しましょう。 息子に「大学を休学して写真家の可能性を試してみたい」と言われたとき、即答はできませんでした。仕事上、写真家の世界をまったく知らないわけではないですが、長い間、どうやってサバイバルし続けるかは勘がつきません。 ただ、仮にぼく自身がプロの写真家であっても、即答はできないだろう程度には想像がつきます。 2つのポイン

活動なしに快楽は生じない。同時に、あらゆる活動を完全なものにするのも快楽である。

文化の読書会ノート。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』第10巻 快楽の諸問題と幸福の生 納富信留『ソフィストとは誰か』と交互に読んでいる(読み終えたので、正確には「きた」)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第10巻は前半、快楽について論じ、半ば以降は幸福を語り、後半は知性の至高性や徳と幸福を経由して教育・立法・政治で終わる。つまり政治学の序章にあたる。 ここでは快楽についてまとめる。 人生の全体を貫き、徳と幸福な生活に対して重要性と力をもつ快苦をめぐ

ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方

ガストロノミーが注目を集めつつあります。ガストロノミーは料理を中心として文化や歴史などあらゆる分野を視野に入れていきますが、実践や体験とそれらの成立の背景を実感できる点が興味をもつ人が増えている理由でしょう。ローカルを丸ごと分かりたいの願望にも合致します。 ひとつのテーマをあらゆる角度から考察するのはラグジュアリーも同じなので、ガストロノミーのアプローチについて新ラグジュアリー講座でも探っていきたいと考えてきました。 ラグジュアリー文脈で食あるいは料理はミシュラン星付きに

友人の誕生パーティーで出逢った人たち。

先週末、ミラノから東南に300キロほどいったファエンツアに出かけました。アイルランド人の友人の誕生日の前夜祭です(誕生日は丘の方にあるワイナリーのレストランでの昼食)。 ご存知の方も多いと思いますが、当地では誕生日パーティとは誕生日をむかえる本人がオーガナイズするものです。彼はファエンツァとダブリンの2拠点生活をしている活動的な人間なので、70人以上も欧州各地からやってきます。 その人たちのマックス2泊3日の宿泊予約、食事、ツアーなどをアレンジするので、「こりゃあ、そうと

イタリアデザイン史を振り返る 1

佐藤和子の『「時に生きるイタリアデザイン』の背景について以下のように書いたが、デザインの読書会の課題図書にしたので、気になるところにメモを残しておこう。今回の対象は「序」「第1章 1990年代。モダンクラシックの嵐」「第2章 1930年代のイタリアデザイン」「第3章 敗戦からデザイン黄金期へ」のおよそ100ページ。 方程式のないイタリアデザイン まず、次の文章だ。日本とイタリアのデザインアプローチに言及している。 デザイン研究者のアンドレア・ブランジの”Ritratti