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半世紀を経て注目されるデザインの「CMF」とミラノデザインウィーク

インタンジブルなデザイン、つまり物理的なモノを対象にしないデザインの重要性が多く語られ、プロダクトデザインをデザインの領域としてみるのは「時代遅れ」であると言われがちです。

ソーシャルイノベーションの第一人者であるエツィオ・マンズィーニも、「今世紀に入ってからのデザインは、デザインの専門家だけのものではない」と盛んに語ります。

この5月末、マンズィーニと東京で会ったとき、彼がぼくに話したには、「かつて日本ではデザインといえば、大手メーカーのインハウスデザイナーによる話ばっかりだった。しかし、今回、日本においてもデザインがさまざまな領域の人から語られていると知り、安心した部分がある」ということでした。

彼は1980年代、当時は先進的であったミラノのデザインスクール、ドムスアカデミーのディレクターでした。1989年、同校が日本でのデザインビジネスにビジネスチャンスを見いだした三菱商事と提携したとき、彼は当事者だったので、1980-1990年代の日本のデザイン事情をよく知っていたのです。

そのおよそ15-20年間、日本の企業はこぞってイタリアのデザイン事務所にデザインを発注していました。最初の頃は有名なデザイナーの名前が欲しく、後半になるとアイデアだけのオーダーと中身は変化していきます。

そうした有名な現役デザイナーを講師として採用していたのがドムスアカデミーです。だから、マンズィーニはイタリアのデザイン界がどれだけ日本の企業と仕事をしていたかリアルに知る立場にあったわけです。

彼が東京で以下のような話をしました。

多くのイタリア人デザイナーが日本で仕事をしたが、日本の人たちに一番影響を与えたのは日立やTOTOと仕事をしたクリノ・カステッリではないか?彼は日本のデザイン界に「考え方」という点で影響を与えた。だが、他のデザイナーはそこまで「考え方」という意味で影響を与えなかったのではないか?

ぼくは、今年4月のミラノデザインウィークをクリノ・カステッリが唱えたCMF(Color Material Finish)という点から観察し、それをForbes JAPANの雑誌版へ掲載する原稿を書いたばかりだったので、驚きました。その記事がオンラインでも読めるようになったので、リンクを貼っておきます。

この記事はミラノデザインウィークの変遷について書いたもう1本の記事と一緒なので、そのリンクも紹介しておきます。

最後に冒頭の内容に戻ると、イタリアのデザイン史がプロダクトと巨匠評価に偏っているので、マンズィーニは均衡のためにインタンジブルを強調している感もあります。UXやサービスデザインからデザインに接点をもちはじめた日本の人たちは、逆にタンジブルなところを十分におさえないと話にならないので、マンズィーニの話を真に受けすぎないことも重要 笑。

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冒頭の写真は、ジュゼッペ・ペリッツァ・ダ・ヴォルペード(1868-1907)の作品の一部で、彼は「分割主義」の作家として新印象派の1人です。

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