ジョーカーを観てはいけない人
アメコミヒーロー・バットマンの宿敵、ジョーカー。
白塗りのピエロ姿はしばしば怪物と称される。
彼が怪物となるまでを描いたスピンオフ作品「ジョーカー」を観て、衝撃を受けたのでここに感想を記そうと思う。
ネタバレは極力避けたいけれど、語る上で核心に触れる可能性があるので注意されたし。
怪物になる前の彼の名はアーサー。
貧富の差が激しく、荒れ果てた区域も少なくない街ゴッサムシティで暮らしていた。
仕事はピエロ。客引きとしておどけた動きをして宣伝する。
しかし彼は悪ガキどもに店の手持ち看板を奪われ、叩き割られ、ボコボコにされ、事務所に帰っても看板を弁償しろと言われ、店長にも不気味呼ばわりされ、散々だった。
アーサーには持病があった。
突然可笑しくもないのに笑いが止まらなくなってしまう、脳の病気。それと精神的なもの。明言されてはいなかったが、うつ病や統合失調症に近いような気がした。
市営のカウンセリング施設でケアを受けていたが、治療はうまくいっていないようだった。
家にはほとんど歩けない弱りきった母親。
実は母親も精神的な病気を患っている。
彼は母親を大事にしていて、貧困で食事もろくに出来ないのに母親には食べ物を与えていた。
途中、彼が逃れようのない粗悪な環境に苦しみを抱えてノートを書き殴るシーンがある。
憎悪に近い言葉と、彼がジョークと信じる支離滅裂な言葉とが入り混じり、左手で書かれた震えた文字が私の感情をめちゃくちゃにする。
普通文字に出力すると頭の中の整理がついて人はすっきりするものだ。
(私もこうしてnoteを書いているし!)
でも彼は違う。書いても書いても憎しみと悲しみと狂気が泉のように湧き出て止まらない。
それが、彼がもうすっかり狂ってしまっているのだというどうしようもなさを表現していて、ただただ彼が堕ちていくところを見せられるのを悟るのだ。
◆いくつかのメタファー
あくまで私が勝手に思っているだけの暗喩についてひとまず挟みたい。
・笑いの持病
序盤から中盤にかけて彼の突然笑う持病は何度か起こるが、どれもそれは号泣と等しかった。
どうしようもなく苦しいとき、泣くこともできず笑うしかない。それがまたどうしようもなく苦しい。
それは実際の精神病を患っている人なら絶対に心当たりがあるだろうし、痛ましい。
後半からはその笑いが自分の意思で笑うようになる。決していい意味ではないが。
俳優の演じ分けが素晴らしいので見どころの一つ。
彼が自らの意思で笑うようになった時、広く見れば絶望的な状況には全く変わりないどころかむしろ少し悪くなっているのだけれど、ただ暴力を受ける側から振るう側になることで彼自身の苦しみが少し減るなら……と思ってしまった。
ちなみにその際街は壊滅している。
・階段
私は公開当時にはこの映画を観なかったが、どうやらジョーカーが階段で踊るらしく、それが名場面だという噂だけは耳にしていた。
実際に見てみると、それ以上の意味があると感じた。
とても長くやや急な石段は、アーサーのアパートへ続いていて避けることはできない。
階段は人生の暗喩である、と思った。
彼の人生はつらく険しく、息を切らせて長い階段を上がるかのよう。
それを道化姿の男が踊りながら降りていくのだ。
アーサーの人生から降りるということ、そして人間性が地の底まで堕ちていくことを指しているように思えてならない。
でも彼自身の表情は晴れやかだ。
堕ちることはいけないことか?そう投げかけているようで。
・番外編 舌なめずり
本編である「バットマン」シリーズのうち、三部作の二作目:ダークナイトにジョーカーが出てくる。
演者は違うし解釈も違って、ダークナイト版のジョーカーは口の左右に切り上げたような傷がある。あたかもピエロの笑った口がそのまま表情になったかのように。
彼は作中喋っている間に唾液を啜るような仕草や舌なめずりを繰り返していた。
私はそれを「口が裂けているから喋りにくくて唾液が溜まってしまうんだな!なんて細やかな表現!」と思った。
が、後ほどその演技がどう評価されているか検索した時に、彼の特殊メイクは喋ると唇から剥がれていくので、それを食い止めるために舐めていたのを演技に採用されたとのことだった。
観ている側が深読みしてしまうってあるあるなんだなあ……。
でも結構自分のこの解釈は好きなので、別作品の同人物として紹介しておく。
◆ジョーカーを観てはいけない人
本題に入っていこう。
結論から言えば、これは『ジョーカーの人生に心当たりがある人』だ。
上記の2点以上に当てはまるのなら、きっとあなたはアーサー(ジョーカーではなく、アーサー)とシンクロしてあの薄暗い家や路地にいるだろう。
彼は己の超えてはならない一線を超えて、同時に「超えることができて」、あの結果に至ってしまった。
私は、私の中に潜んでいるジョーカーを認識してしまい、そのことに衝撃を受けたのだった。
それゆえに、彼の行いを残虐だと自信を持って指摘することができない。
もちろん彼の行いは犯罪であり、法律によって有罪とみなされる。それだけは間違いない。
なのに、彼単体の人生で考えた時にジョーカーになったことでほんの少しでも救われたのではないか?と感じて、安堵する自分がいるのだ。
世の中のレビューを読んでも彼の行い自体に好意的な意見は少なかったし、友人の意見を聞いても感情移入が全くできなかったと言われた。
そう、観てはいけない人がいる。
「おまえのことだぞ」と突きつけられているのを自覚するような恐怖を感じてしまうような人が。
実際は自分はカリスマでもなんでもない、彼になることすらできず、現状を変えることもできず、ただあの土砂降りの階段にいるような。
現実であの階段にいたのは、私でありあなたかもしれない。