木が熟す(7)

令和元年五月一日(水)

令和元年初日の五月一日はメーデーで休日。コンセプシオンのIZAKAYAという和食屋に新しい時代の到来をお祝いしに来ていた。

から揚げと枝豆をおつまみにチリワインを飲む。せっかくチリにいるのだから、ビールよりもチリワインやピスコサワーを飲むことにしている。

お酒を飲んでいると、昨日のユーザー訪問で担当者はロベルトさんに言われた言葉が耳にこだまする。

「ふーん、千代刃物さんね… 聞いた事ないな。本当に品質大丈夫?」


入社三年目、技術職として入社した私は新規プロジェクトのメンバーに選ばれた。プロジェクトと言っても、新製品の開発ではなく、既存製品の改良プロジェクトだ。

大手木工機械メーカーの機械付純正品として千代刃物の製品を検討してもらえるという千載一遇のチャンスだった。機械メーカーに製品を機械付純正品として装着してもらえると、その後の継続的な受注に繋がる上、千代刃物の品質を機械メーカーが認めたというお墨付きをもらえることとなる。つまり、市場での認知度向上には願っても無いチャンスだった。

当時私は木工用ナイフの担当技術員だったが、このプロジェクトの為に丸鋸担当へと変わった。機械メーカーの要望は「切断時に機械音が低減する丸鋸」と言うものだった。

機械音と言うのは、切削時に丸鋸が発する甲高いキーンという音のこと。木工メーカーが切断機を使用する際にはこの音が問題となることが多い。この音で耳が悪くなるのを防ぐため、耳栓をすることが多く、特にノイズキャンセリング用の耳あてを使用する場合、工場内でのコミュニケーションがとれなくなるのだ。この問題を解決すれば、工場内での会話もできるようになり、労働環境改善や生産性アップに繋がる。

音は空気が振動することによって発生する。つまり、空気をいかに振動させないかが、切削音低減にを実現する鍵であった。私たちプロジェクトチームは丸鋸が回転する際に空気に生じる揺れを最小限に抑えるための実験を繰り返し行った。

出社したら実験室に直行し、毎日毎日丸鋸を回転させて空気の振動数を計ったり、丸鋸のボディをトライアングルのようにスティックでたたき振動数を図る。ボディの素材や形状、特殊加工、コーティングなど、様々なアイディアを盛り込んで実験に明け暮れた。

プロジェクト開始から八ヶ月経ち、ようやく製品開発に目処が立った。回転時の空気振動を従来比の2/3まで低減することができたのだ。振動を抑えるということで、音の低減は勿論のこと、切削品質向上にもつながる。後は試作品を作って納品するだけとなったとき、先方の機械メーカーから呼び出しがあった。嫌な予感がした。

先方の購買部長から出た言葉は「あの件、日本工具さんにお願いしたから」の一言だった。

日本工具工業(通称日本工具)は日本最大の木工用工具メーカーで、木材だけでなく鉄鋼や非鉄金属、紙工関係まで取り扱う最大手だ。会社の規模は千代刃物の十倍以上で、資金力や人員数でも千代刃物が太刀打ちできる相手ではない。そんな日本工業が既に試作品を納品し、性能と価格でOKが出たというのだった。

「でも、まだ締め切りは先のはず… 一度だけ弊社の刃物を試してみていただけませんか。お願いします。」

上司と頭を下げた。ここで諦めたら八ヶ月の苦労が水の泡になってしまう。

「千代刃物さん、頭を上げてください。会社で決まったことです。もうどうしようもありません。日本工業さんのほうがスピードも、提案も、上だったということ。それに御社は業界大手ではないですよね。ここから御社の提案を社内で通すのはほぼ不可能です。ですから、今回のことは残念ながらご縁が無かったということで、また次回何かあれば相談させて頂きます。」

帰りの車、上司との会話は無かった。開発してきたことが無駄になったことも悔しかったが、それ以上に品質テストさえも実施させてくれなかったことが悔しかった。そして、業界大手でないこと、知名度が低いことでスタートにも立たせてもらえなかったことが何よりも悲しかった。


IZAKAYAでふと我に返ったとき、既に二時間経っていた。

ああ、今回もあの時と同じ。知名度、名前、評判… そういう看板がないとスタートにも立たせてもらえないんだ… こんな何の伝もないチリで、本当に私成果を出せるのかな… 

「アイナさん、大丈夫?」 

眉間に皺を寄せて考えていたら、IZAKAYAの大将リカルドさんの声が響いた。

「あ、リカルドさん、大丈夫です、少し考え事を… リカルドさん、お店立ち上げた時って、大変では無かったですか?日本料理だってチリでは知られていないし、お客さん集めるのご苦労されたのではないでしょうか?」

リカルドさんは五年間日本の日本料理屋で修行し、チリのコンセプシオンに店を開いたチリ人の大将で、年齢は40代後半に見える。料理人になる前はメカニックだったらしい。

「そうですね、大変でした。でも、私は日本料理が美味しいと知っていたし、修行して身に着けた技術も最高のものだと信じていました。だから、一生懸命料理を作れば絶対ファンがついてくれると思っていたんです。」

リカルドさんは言う。

「ですが、誰も食べたことがない料理はいくら作り続けても誰にも届かないということも学びました。SNSで料理を紹介したり、フィエスタに出店したり広告を出したり… あらゆることをして何とかお客さんに来てもらえるように工夫して頑張っていたら、いつの間にか時間が過ぎてお客さんも増えていったんです。アイナさんもお仕事で行き詰っているのなら、先ずは自分と自分の商品を信じること、そして自分が大好きなものをみんなに知ってもらいたいという気持ちで、取り組んでみたらどうでしょうか?」

「自分と自分の商品を信じる… そして大好きなものをみんなに知ってもらいたいという気持ち…か…」

食事を終えてお店を出たら既に夜十時を回っていた。なんだかすっきりした気分になって夜風に当たる。Uberを待ちながら、ふと夜空を見上げた。これまで見たことも無いくらいの星が瞬く満点の星空だった。



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