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魂の原風景「風の人」

作詞をする際、私には心得としていることがある。
○できる限り言葉の「純度」を上げること
○情景やドラマをありありと想起させるように書くこと

言葉の「純度」とは、ひとつの単語の「重さ」と言ってもいいものだが、特に助川久美子の作るメロディはシンプルで印象深いため、こちらも作詞の際にはひとつひとつの言葉を慎重に選ぶようになる。その分言葉の「純度」あるいは「質量」が問われる。一語一語にどれだけの輝きや印象を与えることができるか・・・。

「風の人」という曲は、私と助川久美子のコラボの中でも特別な一曲となった。助川はこの作品を「白玉(長音符)だらけの曲」と呼ぶ。私たちのコラボ曲は概して「長尺」なのだが、そんな中でも「風の人」は、もっとも音数(言葉数)が少ないにもかかわらず、演奏時間は最長の16分超え、しかもAメロだけ、という究極の作品となった。
その分、言葉の「純度」をどこまで上げられるかが問われた。
私はこの曲に詞をつける際、ひとつ大きな制限を自分に課した。感情を表す形容詞をいっさい使わないこと。つまり情景描写に徹する、ということだ。かっこよく言えば「引き算の美学」を追求したと言ってもいいかもしれない。

私が助川久美子と出会ってまだ日の浅い2001年初夏のことである。
ある人を思いながらギターを弾いていた彼女の頭に、ふとメロディが浮かんだ。シンプルで美しい、静かなメロディだった。
「新曲ができた」と言って、彼女からそのメロディを初めて聴かされたとき、私の頭に忘れかけていた遠い昔のヴィジョンが鮮やかに蘇った。それは、まだ二十歳そこそこの頃、何の脈絡もなく、ただときどき脳裡をかすめていく情景だった。

枯れ草が玉になって砂埃とともに舞う荒涼とした大地、乾いた風の音、今は廃屋のようになっている懐かしいわが家へ、何をするわけでもなくたった一人で舞い戻る男・・・。

それは、私の無意識の中の心象風景だったに違いないが、彼女の口ずさむそのメロディを繰り返し聴いているうち、やがて私は壮大な魂の物語へと誘われた。

完成したこの曲を、初めてライブで演奏しようとする、その前の晩、助川久美子は、歌詞のついたこの曲を人前で歌うことに、激しい抵抗を示した。「そもそも、“言葉”という意味を必要としないのが音楽のはず。それになぜわざわざ意味をくっつけて、しかも自分の声で歌わなければならないのか」というのが彼女の主張だった。

私は電話で説得にかかる。「歌え!」-「歌わない!」の電話口での押し問答は2時間を超えた。しまいには、彼女の口から「歌詞をつけずにスキャットで歌う」という言葉まで出た。あの手この手で迫る私の説得工作に、最後に彼女は「少し考えさせてくれ」と言って電話を切った。

事務所で彼女からの連絡を待つ私のもとに、やがて一通のファックスが届いた。当日の会場までの地図に彼女からのメッセージが添えられていた。

「決心しました。明日は、愛として歌います。ぜひ聴きにきてください」

ライブ当日、名ギタリストの石井鉄也をパートナーとして得て、助川久美子の気分は高揚していた。そしてこの二人が最初の一音を発した瞬間、それまでややざわついていた客席は、水を打ったように静まり返り、即興演奏も交えた40分を超える演奏時間の間、その静寂は破られることがなかった。そして最後の一音が発せられると、何秒間かの緊張した沈黙の後、会場のあちらこちらから深い溜息が漏れ、次の瞬間その溜息は割れんばかりの拍手に変わった・・・。
以後、回数は片手で数えられるほどだが、この曲をライブで演奏するたびに、同じ現象が起きる。

このときのライブ録音は、ファーストアルバム「オトナのための子守唄」のラストを飾ることになった。ライブハウスのPA担当者が録音してくれたものだが、そのPA担当者は、「あのライブは特別なものだった」と語っている。
このときのライブがどのような空気に支配されていたかが如実にわかる場面がある。収録された音源の途中に遠くで聞こえる笑い声がかすかに入っているのだが、それはライブハウスのバックヤードの控室にいた対バンのメンバーの雑談の声である。それが収録されるほど、会場は静まり返っていたのだ。

自分のライブ録音を滅多に聴き返さない助川が、このテイクだけは何度も聴き返す。その度に感じるのは一種の「霊気」だ。私もまったく同感である。このときの彼女のパフォーマンスは神がかっていた。何か崇高なものが乗り移っているように見えた。後から本人も語っているが、ライブの最中、歌っている自分を、俯瞰で見ている自分を常に感じていたという。

この曲の熱狂的なファンのある女性は、アルバムのこの曲だけ特別な儀式のようにして聴いているという。
その人のベッドの正面には巨大なスピーカーが左右に設えられている。すっかり寝る準備を整えたら、ウィスキーのオンザロックを枕元に用意し、リラックスして、この曲を大音量でかける。おそらく、ライブの空気感も含め、コントラバスを手にした助川が自分の正面にいるような気分になるだろう。曲の世界観にどっぷり浸るというわけだ。その気持ちはよくわかる。

「オトナのための子守唄」というコンセプトアルバムのラストにこのライブテイクが収録されている意味は大きい。
こうして「風の人」は、押しも押されもせぬ、助川久美子の代表作の一つとなった。

今は絶版になっている「オトナのための子守唄」は、かろうじてアマゾンで中古販売しているようだ。
アマゾンミュージック(サブスク)でも聴けるようだが、未確認。

ビルボードジャパンでは、アルバム収録曲のさわりを試聴できる。

https://www.billboard-japan.com/goods/detail/168250

ここに紹介するのは、後に助川がギター弾き語りで宅録したものである。
しかし、やはりあの幻のライブ録音にはかなわない。

「風の人」

長い 長い 旅を 終えて
男は 荷を下ろし 家の中
暖炉の 上には ポートレイト
あの頃と 変わらぬ 笑顔

白い 白い カーテン ゆれて
男は 窓辺で 夢の中
子どもたちの はしゃぐ声が
今でも 耳に 響く

青い 青い 空が もえて
男は いつしか 森の中
木陰の 墓には 忘れぬ名前
たった ひとつの 愛

遠い 遠い 道を 越えて
男は 再び 風の中
そんな男の 残したものは
空のグラスと 祈り

寒い 寒い 季節が 過ぎて
思い出 だけが カバンの中

ともしび さえも 風の中

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