原点の曲「Viento」
助川久美子というアーティストのパフォーマンスに初めて触れたのは、2001年のことだった。その日私は、吉祥寺の貸しスタジオで行われたジャズセッションに招待された。女性のピアニストと男性のサックス奏者が一緒だったと記憶している。
彼女はコントラバスを豪快にスイングさせながら、自作の曲をスキャットで歌ってみせた。
「Viento」(スペイン語で「風」の意)と名付けられたその曲は、2000年の夏、彼女がとあるレコード会社に営業に行った帰り道、突然頭に降ってきたものだという。「その音が風になり、地球の反対側、遠い南米まで飛んでゆけ!」という思いから、彼女はこのタイトルをつけた。
ピアノとサックスとの掛け合いも聴きごたえがあり、私は久しぶりに極上のセッションを堪能した。
曲調としては、「和製ジャズ」というよりは、ジプシーソングのようなイメージで、彼女のスキャットは、たぎるような女の情念のようなものを想起させた。
そればかりではない。その日本人離れした独特なパフォーマンスは、私に不思議な感覚をもたらしたのである。
彼女の歌声を聴いているうちに、私の中から自然に言葉が湧き出てきたのだ。それは、メロディを日本語に翻訳するような感覚だった。鳥の鳴き声を日本語のフレーズに置き換える「聞きなし」というのがあるが、それと同じような感覚だ。
「砂漠に雨が降る、風を濡らし・・・」
どう聴き返しても、私の耳にはそのように響いた。
「砂漠に雨が降るだって? 風を濡らしながら・・・?」
そんなおよそ現実にはあり得ないような、ちょっとシュールでアンビバレントなフレーズも、生粋の日本人でありながら情熱的なジプシーの血も髣髴とさせるような彼女のイメージにぴったりな気がした。女の情念は、砂漠に雨を降らせもする、というわけか?
それは、彼女自身の魂の「叫び」が、私というフィルターを通して日本語に翻訳されたとしか思えないような現象だった。
そこから先は、ほとんどオートマチックだった。
その日のうちに1番の歌詞ができたので、次に彼女に会ったときに、その歌詞を渡してみた。彼女は、表面的には喜んでみせたが、内心では戸惑いを隠せない、といった表情を浮かべた。
「あれはあくまでスキャットで歌う曲だけど、あなたの中から言葉が出てきてしまったのなら、それはそれで仕方ない」とでも言いたげな風情だ。
これは後から聞いた話だが、本来音楽とは言葉に依存しない独立した自己表現である、という思いが、彼女のどこかにあったらしい。自分のメロディに言葉が乗っかることで、イメージが限定されてしまうことに抵抗を覚えたようだ。それはそれで筋は通っている。
ところが、そうした内心とは裏腹に、1番の歌詞を受け取った彼女は、2番も書いてほしいと注文を出したのである。おそらく私の言葉のセンスを試したのだろう。1番が女の情念ならば、2番は男の情念だろうと思い、私はすぐに2番の歌詞を書き、二つの情念は統合されるべきだろうと思い、続けて3番・4番を書いた。
彼女と会うたびに1番ずつ詞を渡していき、この曲は完成した。
波乱を含みながらも、私と彼女の作詞・作曲コンビの活動がこうしてスタートしたのである。
やがて、この作品を彼女がウッドベースの弾き語りという稀有なスタイルで、ライブで歌うようになるにつれ、「スケクミと言えば、この曲でしょう」とまで言われるようになった。
こうしてこの曲は、ラテン音楽の洗礼を受けた助川久美子サウンドの原点ともいうべき、記念碑的作品となったのである。
2005年のライブより
2020年収録
この二つを聴き比べてみると、この15年間の彼女の歌い手としての成長が如実にうかがえる。
「Viento」
砂漠に 雨が降る 風を濡らし
砂漠に 雨が降る 風を濡らし
あの人は 帰らない 噂も 聞かない
あの人は 帰らない 月が 出ても
砂漠に 月が出る 砂を 照らし
砂漠に 月が出る 砂を 照らし
あの家に 帰れない 手紙も 書けない
あの家に 帰れない 空が 晴れても
砂漠を 人が往く 影を 背負い
砂漠を 人が往く 影を 背負い
あの人を 迎えよう 熱い 涙で
あの家を 目指そう 晴れた 気持ちで
砂漠に 陽が昇る 時を 刻み
砂漠に 陽が昇る 時を 刻み
新しい 道ができ 命は 絶えない
新しい 道ができ 光 溢れ
新しい 道ができ 命は 絶えない
新しい 道ができ 光 届く