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世界はある種の「層」を成している

太陽に背を向けなければ、自分の影を見ることはできない。
闇をくっきり描き込まなければ、光は浮かび上がらない。
トンネルに入らなければ、明るみには出られない。
いったん死ななければ、再生は起きない。
ところが人は、太陽にだけ向かいたがり、光だけを描きたがり、明るみだけが自分の居場所だと思いたがり、死を踏まえずに生を語りたがる。結局、世界の半分だけを見て、「これが全世界だ」と言い張りたいのだ。

あなたが無視している世界の半分は、必ずあなたの肩を叩き、あなたに囁きかけ、あなたを振り向かせようとする。それに逆らうことはできない。もし逆らったり、無視し続けようとすると、あなたの身体に症状が出るか、あるいは周囲の人たちとの間に軋轢を生み出すだろう。いずれにしろ、それは一種の「病理」として表れる。
なぜなら、あなたは世界の半分だけが描かれた地図を片手に人生を旅することになるため、残りの半分はあなたの扉をノックし続けるが、あなたはその扉を閉ざし続けることになるからだ。
したがって、病気から立ち直るという経験は、欠けていた世界の半分を手に入れる、という経験でもある。しかも、この「半分から全部へ」という運動は、一回では完結しないのだ。何度も何度も繰り返される。なぜなら、世界とはひとつではないからだ。

いや、実は世界はひとつである。ただし、私たちは「世界はひとつである」という真理にたどりつくまで、イヤというほど、複数の「世界」を経験するというプロセスを経なければならないのだ。このプロセスによって私たちが獲得する認識とは、結局のところ「世界はある種の“層”を成している」ということかもしれない。
これこそが進化だ。
進化とは、世界の広さと同時に、深さを知ることでもある。


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