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”それっぽさ”を抜け出して。

「お、それっぽいじゃん。」
大学院の博士課程で若干の生活費が支給される制度、通称「学振」の申請書を書いている時に満足げにこぼれた一言。
無意識の言葉だったけど、言ってからハッとした。
そこにあるのは”それっぽい”だけで、”自分らしさ”がない文章だったから。

研究費を獲得するための申請書を書くことはめちゃめちゃ難しい。
自分が一番扱いたいと思っている範囲で何がわかっているのかを知っているのは当たり前。「生物学」全体でどのようなことがわかっていて、何がわかっていないのかを認識して1/4人前。自分の研究でどんなことが明らかになりそうかを予測出来て2/4人前(=半人前)。自分の研究が、「生物学」全体のどんな未知につながる道なのかを想像できて3/4人前。それを自分以外の研究者(審査員)がすぐに理解できて、納得できるような書き方ができて4/4人前(一人前)。

…たぶん。まだ僕は「当たり前」を抜け出して、1/4人前に足を書けるかどうかのところにいる段階だからほんとにそれくらいの分配なのか自信をもって言えない。

それでもわかってることはある。読んだ人が納得する申請書、心を動かされる申請書、研究費をあげたいとおもう申請書は「それっぽい」だけだと圧倒的に足りないということ。その研究を心からやりたいと思い、その分野のことを熟知して生物学全体も俯瞰できた人が、内容を考えに考え、伝わるように配慮と工夫を重ねた文じゃないと届かない。

どんどんと研究予算が減少し、減った予算を一発でっかい山を当てたい人たちが資金を限られた場所に集中投下している日本だと研究職を続けられない。「この研究者は面白いことをやっているし、実際に達成できそうだ」と思わせる”自分らしさ”が必要になる。

じゃあ、「”それっぽい”文章が悪いものか」と問われたら「そんなことはない」と答える。…こたえたい。答えさせて。
「それっぽいな」と思えるということは、申請書を見る目が養われてきたということだから。
自分で書いた申請書を「それっぽいな」と思えるということは、見てきた申請書にほんの少しでも近い文章を書ける技術が養われてきたということだから。

見る目と書く腕を養って自信をつける。
それから、嫌って程に先人たちが築いてきた知見を学び、自分の研究がどういう未知をどんな既知にできそうか想像し、それがもたらす未来を夢想する。それも最初は不明瞭なものにしかならないけど、それぞれのステップを何度も何度も繰り返すことで”それっぽく”なっていく。

丸っこくて頼りない形をした”それっぽさ”を自問自答や指導教員とのディスカッションの繰り返しによって削り出して、とがった”自分らしさ”を生み出していく。申請書の研磨は、研究者としての自分の研磨にもつながる。
そうして、とがった部分を持った研究費の申請書は読む人に届く。

「お、それっぽいじゃん。」
と一時の達成感を持つのは悪いことじゃない。真っ暗な世界を”先人の積み重ね”や”研究者としての自分の感性”という明かりだけを頼りに進む研究の世界で見つかる少ない道案内だから。

でも、そこで安心して立ち止まらないように、自分と申請書を研磨していく。一人前になれるように。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。