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理想を抱いて溺死しそうだけど、現実を見るのが怖い

南極の植物の研究をするために大学院進学を志してから1年半。
大学院の不合格通知をもらってから、1か月半。
浪人して来年の夏に再受験をする意思を固めて1か月。

もうすでに10月の終わり。
今年度で大学(院)を卒業する人なら内定式が終わってる時期。

再受験を決めた自分には内定などなく、一年先の身分も保証されていません。しかも今から新卒就職に切り替えるのは非常に難しい。

その中で「なぜ大学院に行きたいのか」「研究をしたいというモチベは本当にあるのか」などのことを何度も自分に問い直しています。

その甲斐あって、
なんとか以前よりもベターな研究のモチベーションを形成しつつあります。
こういうテーマで研究してみたいというアイデアも浮かんでいます。

でも、それについての先行研究を調べることはできていない。

「卒論が忙しいから」
「今体調が悪いから」
「お金の勉強したいから」

すべて言い訳です。
将来への不安という海でおぼれかけている自分がなんとかすがりついている「研究テーマ」という丸太と思っているものが、実はただの細い麦わらであることに気が付く可能性を恐れているのだと思います。

調べてみて「もうやられていた」「難しすぎる」「その大学院じゃなくてもいいよね」ということを指摘される/気が付くことが怖いんです。

だってそれしかすがるものがないと思ってるから。

お世話になってる先輩が
「これ、ライアンが研究したいテーマに関する論文でしょ?」
と論文を送ってくれたこともあります。
要旨を読んでみると、「まさにそれ」という内容でした。

でも、本文は読めていないです。

実際を知るのが怖いから。


でも、大学4年間の意識高い活動を通じて得た知識たちが頭の隅で色々励ましたり、なじったりしていることにも気が付いてます。

「最初のアイデアがパーフェクトなんてことはないから、先行研究を読んでアイデアをブラッシュアップしたほうがいいよ」
「「これしかない」というネガティブな感覚で大学院進学するならやめちまえ」
「若いときは情熱を傾けられることに挑戦したほうがいいよ」
「理由を言語化できない情熱なんて勘違いだろ」

・・・・・・・・・・・。

それでも、「南極に行ってみたい」「南極の植物の研究に興味がある」
という考え・感覚に間違いはないと思うのです。

だったら、そろそろ足を踏み出さないと。

そうした活動の中で、より良いものを形成できるかもしれない。
やっぱり違うと、別の人生により早いタイミングで切り替えられるかもしれない。

と信じて、今いる心地のいい場所の壁をを打ち破って痛みを伴う場所に向けて移動するところから。

まずは先輩が送ってくれた論文を読んでみる。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。