口をつぐむことが自己の客観につながる
こんにちは、風邪で中々声を出せないライアンです。
いやー。長いですね。声がかれてしまって全然出せない(出しにくい)状態が3日以上続いています。
土日は普段から口数の少ない弟と家に二人だったのでそんなに感じることはなかったですが、今日と金曜日。
研究室にいるときは、元来おしゃべりな性格故に口をつぐむことで寂しさを感じていました。
でも、そのおかげで気が付いたこともあります。
会話という集団(コミュニティ)との繋がりを絶つことで、普段の自分がどのようなことを考えているのか客観視できる
ということ。
人間って考えてしゃべっているようで案外自動的に応対していることが多いと思うんですよ。だから、普段自分が何を考えて何をしゃべっているのか意識できない。
結構思い当たることあるんじゃないですかね。
もし、一言一言しっかりと考えているのならSNSを見ながら対面にいる友人と会話をすることなんて難しいと思うんです。
でも、そういった無意識にこそ自分の在り方の根本的な部分が現れると思うんです。
例えるならば、
少しずつ傾いた机であれば、同じビー玉を置いても色々な方向に転がる。
この場合の「少しずつ傾いた机」というのが個人ごとの根本部分の違いを表していて、「同じビー玉」というのが一つの現象を意味する。
同じことを出来事を目にしても、人によって抱く感想が違うってことです。
普段なら無意識に口から出て行ってしまう言葉を、のどの不調によりしゃべれないという状況が飲み込ませる。
それによって、普段の自分が無意識にどんなことを考えているのかが意識に上がってくるのです。
「あ、今自分こういうことを言おうとしたんだ。」と
普段、自分のことを客観的に見るのってすごく難しいことだと思います
でも、何かと要求される自己の客観視。
皆さんも、自分のことを客観視したいと思ったとき。
どこかへ一人旅に出る。その前に、意識的に口をつぐむ日を作ってみてもいいかもしれません。
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