自責を減らしたら、自己肯定感が上がった(気がする)

こんにちは、自己肯定感に悩めるライアンです。

他者と比べていたこれまで

高校入学してから最近までずっと、誰かと自分を比較して落ち込むことが数多くありました。

出来る同級生、外部からの評価を得続ける先輩、追い抜かされた感じがした後輩。

自分の見えていないところに気付く仲間、企画して発信できる友人、追いつける気がしない社会人。

(それぞれモデルがいます 笑)

身近なところでも(有難いことに)そういう人たちと接する機会があるというのに、twitterなどインターネットにはさらにすごいことをしている人たちが星の数ほどいる。

自分のふがいなさ、能力・知識の低さを嘆かない日はなかったと言えるほどです。

その人たちに追いつこうとする日々

そうした人を見て、考えるたびに

「自分もあのようにならなくてはならない。遊んでいる暇なんてない」

そんな強迫観念に似た想いと今の自分への嫌悪が、比較対象との年齢差や経験差を考慮することもなく、際限なく湧き出していました。

それまでの年齢しかもやることに一貫性はなく、時期によって違うことに手を出しまくっているから、全然習熟しない

そこで「自分はなんてダメなんだ。もっと成長しないと」

と言って別のことを始める。

でも、体や精神が付いてこない。そこで更に自己嫌悪。

成長のための成長。楽しくなく、ただただ苦しいだけの日々。

常に心の中は真っ黒。

でも望んで(?)成長できそうな(満足できるとは言っていない)機会を詰め込みまくったから、深く考えることはできませんでした。

そんな状態に光を投げかけたのは、このコロナ禍でした。

心の負担を軽くする仕組みづくり

やりたかったのにできなかったことが多くある一方で、内省する時間を多く恵んでくれました。

内省の中でも特に影響が大きかったのは、
「やみそうになった時」の対処案をあらかじめ作成すること、でした

ネットの情報をもとにして6つのルールを定めました

・数字と数字は比較しても、人と人、人と自分は比較しない
・何かに辛くなったら今の感情を全部紙に書きだす
・落ち込むことがあったらevernoteに、対処案、再発防止策を書き出す
・自分で自分をほめる義務がある
・望まない結果でも、自分の力ではどうしようもなかったら受け入れる
・実際に何が起きたことなのか、認知にゆがみはないか確認する

忘れないように紙に書いて部屋に貼ってあります 笑

今日の出来事

そんなルールを定めてから2週間が経過。
日々自己肯定感を下げにくくなったことを少しずつ感じていました。

今日は久しぶりに他者との比較スイッチが入りかけました。

そのきっかけは教養と語彙力が高いオタクとして(ある界隈で)有名なたらればさんのツイート。

たれればさんすごい人なんですよ。

僕がシナリオを楽しむにとどまっているFGOを教養と感性でこれでもかというレベルで分解、記述しているんです。

FGOの感想文を拝見するたびにその見識の深さ、関連付けの意外さなどにとても感銘を受けています。

以前のライアンは

感想文を読んでいるときは「うわ!すご!おもしろ!(語彙力消失)」して読んでいるのに。
読み終わると「それに引き換え、自分はなんて無知で無教養なのだろう」といきなり卑下し始めていました。

今日もこれまでと同じようにそのスイッチが入りかけました(多分半分くらい、カメラならオートフォーカスがはたらくくらい、まで押してたと思います)

でもそこで
「でもたらればさんは本職(編集者さん)の関連もあるんだろうな」
「自分も生物学の知識ならある程度あるぞ」

など卑下するスイッチを押すのをためらわせる思考がわいてきたのです。

勿論それは諦めではなく、「比較の前提条件が違うんだし今は気にしない」
少しずつでも(たらればさんの持つような)知識をつけたり、分解する力を身に付ければいいんだ。

というものです。

これからも良い習慣を続ける

まだ意識しないと上のルールは忘れてしまいそうになります。

これからも意識と実行を続けて、自分の身の一部にしっかりと落としこめたらと思います。

それと同時に、すごいなって思う人のすごい部分も(無理のないペース)で身に付けられたらと思います。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。